アマチュアのやるジャズは五〇年代と変わっていない

 もう十年ほど、ジャズを演奏してきた。ジャズのライブハウスでは多くの場合アマチュア向けのジャムセッションを月一回かそれ以上の頻度で開催していて、私がジャズを演奏してきたのはほとんどそうしたジャムセッションにおいてであった。

 よく知らない人のためにジャムセッションについて解説しておく。ジャムセッションというのは、参加型のライブのようなものだ。基本的にミュージシャンなら誰でも参加でき、会場に集まったミュージシャンは全員が演奏者であると同時に聴衆である。自分の演奏するパートを用紙などに記入してセッションホストに伝えておくと、ホストは集まったミュージシャンの中から各パート一人(パートによっては複数名のこともある)を指名して即席のバンドを作る。バンドのメンバーで話し合って演奏曲を決め、一曲か二曲演奏したらステージから降り、ホストがまた次のバンドのメンバーを指名する。ここで演奏曲は、大抵の場合ジャズのスタンダードナンバーの中から選ばれる。スタンダードナンバーとは、ジャズの歴史上よく演奏されてきた数百の曲のことであり、要するにジャズミュージシャンなら誰もが知っている曲のことである。より正確に言えば、スタンダードナンバーの中で演奏できる曲があればあるだけ、レパートリーが増えてセッションの場での選択肢が増えるということだ。このスタンダードナンバーを共有しているから、初対面の相手とでも高度な即興演奏を繰り広げることが可能となる。

 ところで、スタンダードナンバーの中身というのは九割以上が一九六〇年以前に書かれた曲だ。これは何を意味するか。ジャズのジャムセッションというのは、根本的には五〇年代から変わっていないということである。

 その理由は単純で、六〇年代以降のジャズは初対面の人とやるには難しすぎるからだ。マイルス・デイヴィスで言えば、一九五六年のいわゆるマラソンセッションで収録された四枚のアルバム(『クッキン』、『リラクシン』、『ワーキン』、『スティーミン』)と、一九六七年に収録された二枚のアルバム(『ソーサラー』、『ネフェルティティ』)を聴き比べてみると、ジャズが十年あまりでどれだけ複雑になっていったかよくわかる。私はジャズをよく聴いてきた方だとは思うが、それでも『ソーサラー』や『ネフェルティティ』の収録曲の多くはコード進行が難しくて、何回聴いても曲の構成をとても追えない。そんな曲を初対面の人といきなり合わせられるわけがない。

 したがって、ジャムセッションではシンプルなコード進行と単純な構成を持つ曲が好まれる。六〇年代以降のジャズミュージシャンは概してそういう曲をやらないため、ジャズのスタンダードナンバーの増加はその前の時代で止まっているというわけだ。

 ジャムセッションにはミュージシャン同士がしのぎを削る戦いの場という側面があり、それは昔も今も大きく変わっていないが、ジャズの歴史の初期にはもっと実験の場という側面が強かった。チャーリー・パーカーをはじめとするミュージシャンたちが深夜のジャムセッションの中でビバップ(モダンジャズの原型となるスタイル)を完成させていったことはよく知られている。

 しかし現在、ジャムセッションに何か新しいジャズの萌芽のようなものを期待することはできない。中にはファンクやヒップホップなどを取り入れた新しいスタイルのジャムセッションを主導する人もいるがごく少数であり、ほとんどのジャズミュージシャンがやっているジャムセッションの内容は、五〇年代から大きく変わっていない。マイナーチェンジと言えるくらいの変化はある。アドリブソロで大きくコードからアウトしたフレーズを演奏したり、ドラムがポリリズム要素のあるフィルを入れたりする。それは六〇年代以降のジャズが持つ要素を、スタンダードナンバーの演奏に取り入れることが可能な範囲で導入したというようなものだ。六〇年代以降のジャズは本来それとは比べ物にならないほど多くの実験的な要素を持っている。

 多くのアマチュアのジャズミュージシャンにとって、ジャムセッションは主要な演奏場所になっている。ジャズは演奏人口が少ないため、大学のサークルならまだしも、社会人になってからメンバーを見つけてバンドを組むということは難しいからだ。仮にバンドを組んだとしても、その演奏内容はジャムセッションに毛が生えた程度のものであることが多い。結局アマチュアが演奏するジャズは内容的にはほぼジャムセッションであり、それは五〇年代からほとんど変わっていない化石のようなジャズだということになる。いくらプロのミュージシャンが現在進行形でジャズを進化させていっても、アマチュアの現場は何も変わらない。

 私がジャムセッションに行った帰りに、充足感よりも疲弊感の方を強く抱くことが多いのは多分このあたりに原因がある。私はリスナーとしては六〇年代以降のジャズを好む。しかしジャムセッションで演奏されるのは変わり映えのしない五〇年代のジャズだ。退屈といっていいくらいの予定調和を私は感じる。それを打ち砕いて新しい展開をもたらすほどの演奏能力も私にはない。

 そういうところで、確かにジャズは死んでいると私は思う。しかし時折訪れるプロのミュージシャンが、スタンダードナンバーを取り上げながらも新鮮な空気に満ちた演奏をして私を驚かせる。スタンダードナンバーにもまだ消費しつくされていない面があるのかもしれない。だが、そのプロのミュージシャンも、自分のライブでオリジナル曲を演奏するときの方がもっといきいきしている。結局ジャムセッションは、ミュージシャン同士のラフなコミュニケーションの場でしかないのだろうか。

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