その3
杉田春美の通っていた大学は、都内でも一流、とまではいかないが、中の上くらいの格がある私立の女子大だった。
だが、大学内での彼女の評判は、今とはまったく逆だった。
『陽気で社交的だったが、見栄っ張りな美人だった。講義にも派手な服を着てきましてね。ウチは自由な校風だったんですが、それでも流石に気にする教授もいましてね。何度か注意されたらしいんですけれど、どこ吹く風と言う感じで、まったく気にしていない様子でした』
彼女の痣について訊いてみると、
『痣ねえ、そんなものなかったですよ』との事だった。
その後、彼女と同じころ大学にいた同窓生何人かと会い、話を聞いたが、お世辞にも評判は良くなかったという。
『社交的なのはいいんだけど、お金持ちのお嬢様だっていうのを鼻にかけて、あまり評判は良くなかったですよ。友人の彼氏を取ったとか、合コンなんか開いても、いつも自分に注目が集まるようにして、ある時なんか男の子全員を”お持ち帰り”したなんて噂もあったくらいだったわ』、
どこに行っても押しなべてこんな調子だった。
特に親しい友人もいなかったという。
ただ容姿に関しては『痣なんか見たことがない。米倉涼子さんをもう少し若くしたような美人』だと言っていた。
『ほら、これが彼女ですよ』と、聞き込みをした一人が写真を見せてくれた。
何かのサークルで、合宿に出かけたときのものだという。
十人ほどで撮った記念撮影の中心に、笑っている彼女がいた。
派手なファッションとメイクで自分を飾り立ててはいるが、確かに美しかった。
そこには痣なんか欠片も見えない。
どうやら、痣が出始めたのは、大学を卒業し、一時彼女が父親が社長をしていた会社で働いていた時からだったらしい。
彼女の家は金持ちだと聞いたが、何をやっていたのか?
試しにそう訊ねてみたところ、
”良くは知らないけれど、旧財閥系の製薬会社だと聞いている”
そんな答えが返って来た。
『まあ、どうぞ・・・・』
立派な社長室で俺を出迎えてくれたのは、
『東亜製薬株式会社』の現社長である、小野道夫氏、65歳である。
東亜製薬は、大正末期の創業以来、ずっと杉田家の一族によって経営がされてきたが、前社長の解任以来、創業家の手を離れ、現在は直属の部下であった小野氏が就任したのだという。
『・・・・杉田弘氏は私が会社に入ったころ、研究開発部の部長をしていたんですが、それが先々代に見込まれて婿養子に入ったのだと聞いています。』
そこで彼は声を潜め、社長室の壁に掲げられた杉田弘氏の肖像画を気の毒そうに眺めながら声を潜めた。
『弘氏は非常に真面目な性格でしてね。大学の薬学部を優秀な成績で卒業し、薬学博士号まで持っていました。実業家というより、研究者に近い人だったんですよ。でも社長になったからには会社を儲けさせなくてはならない。そのあたりのギャップにひどく悩んでいたのは確かなようです。かく言う私も研究者として入社し、弘氏の下で働いていたことがありましたから』
まして杉田弘氏は入り婿だ。義父母や妻に頭を押さえられて、さぞ居心地が悪かっただろう。
彼が『出来るだけ良い薬を作って社会に奉仕する』ことを考えていたとしても、
実際の経営権を握っている義父母には頭が上がらなかったのだろう。
杉田家は虚栄心が強かった。
そんな中で異端者であった弘社長は、一人の味方も得られることはなかったという。
そうした性質は、息子や娘にも遺伝してしまった。
研究者あがりの父親を馬鹿にし、おまけに社員たちからも『お飾りの社長』と言われ、本社にも滅多に出てこず、研究室に引きこもって、日夜新薬の研究に没頭していたそうだ。
そんな覇気のない(妻や義父母たちからはそう見えたのだろう)彼はもう当てにはされず、義父が亡くなると、若くして既に重役の椅子に座っていた長男が、父親を解任して社長の座に就き、彼を名ばかりの平取締役にまで降格させてしまった。
新しく社長になった長男は、会社を富ませる事、いや、もっと分かりやすく言えば、自分達一族の懐だけに利益が回る、それしか頭になかった。
トンネル会社を作り、在庫の横流しや利益の横領など、やりたい放題の不正をやらかしたため、社長を解任。果ては創業家一族は全て会社の経営権をはく奪され、そして今に至るという。
杉田弘氏は、その後しばらくの間、会社の研究所に留まり、新薬の研究を続けていたが、妻の一族が解任されたのを見届けたかのように、ある日研究室で謎の自殺を遂げてしまった。
遺書はなかったという。
『”アッシャー家の崩壊”ですな』
俺が言うと、社長は目をしばたたかせたが、決して否定はしなかった。
『ところで、私が知りたかったのは・・・・』
そう言いかけると、彼は、
『ああ、お嬢さん・・・・春美さんのことですね。あの痣のことでしょう』
彼はそう言って、デスクの引き出しから、白い薬瓶を取り出した。
『弘社長からは、絶対に他言はしないでくれと厳命されていたんですがね・・・・』ため息交じりにそう言った。
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