その2
『正直言って、第一印象はあまりいいものではありませんでした』
彼女は事務所のカウンター越しに、弁当を受取り、代金を払ってくれたのだが、終始無表情で全く愛想がなかったからだ。
”なんだよ。この女”
正直、そんな気持ちがしたのは確かである。
その後同じ時刻になると毎日のように弁当を届けに行った。
彼は毎日のように弁当を配達に行った。
受け取るのは春美の役目だったが、愛想のなさと陰気さは変わらない。
その原因の一つは外見にあるというのは誰にもすぐに分かった。
杉田春美は、顔の右半分に大きな痣が覆っていたからだ。
何度か大島の方から話しかけてはみたが、事務的な言葉が返ってくるばかりであったという。
しかし、そうして何度か通っているうちに、あることに気づいた。
彼女は事務室と受付を隔てるカウンターの、すぐ手前に席があるのだが、カウンターの上に一輪挿しの花瓶が置いてあり、そこに挿してある花が、毎日違っていた。
ある日のこと、彼は一か月分の弁当代を集金に、いつもとは違った時間に訪問したのだが、そこで杉田春美が花を活け替えているのを見たのだという。
『その時の彼女の顔が、いつもみたいな陰気ではなくて、何だかとても可愛らしく見えたんです。僕は思いました。”この
『そこで、俺に調べて欲しいと、こういう訳かね?』
『ええ、そうです。何とかお願いできませんか?』
正直、物好きな男だと思わないわけではなかったが、しかし彼の目は真剣だった。
『分かった。やってみよう。だがくれぐれも言っておくが、俺がやるのは彼女のパーソナルデータを調べる事、それ以上は何もしない。
俺の素っ気ない言葉に、彼は、
『引き受けてくれるなら、お金はどんなことをしても払います』と約束し、差し出された契約書に、速攻でサインをした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
まず俺は杉田春美の日常について調べ始めた。
彼女はこの会社の事務員として働き始めて、凡そ10年になるという。
勤務態度は極めて真面目、就業時間の約1時間前には出社して、丹念に掃除をしている。仕事ぶりもほぼ完璧だが、終業時間きっかりになると、いつも先に帰ってしまう。
残業は余程特別な場合を除いて滅多にしない。
それに、やはりあの顔だ。
同僚とは仕事以外で口を聞いたことはまずない。
”何しろ陰気でしょう。こっちが話しかけても黙っているか、簡単な答えを返すぐらいですからね。やっぱり・・・・”と、言葉を濁らせる。
彼女の直属の上司の答えだ。
当り前だが、アフターファイブに呑み会に誘われたこともなければ、忘年会だとか、新年会、或いは歓送迎会といった、社内の親睦を兼ねた付き合いでさえ、
『家で用事があるから』といって、滅多に出席したことがない。
たまに出ても、
『みんなが嫌がるでしょうから』という理由で、最初の乾杯だけで、直ぐに抜けてしまうという。
年齢は、入社の時の履歴書によれば、もう36歳を過ぎているそうだ。
吉祥寺の少し先の古い木造アパートに一人で暮らしているという。
彼女の住んでいるアパートの大家によれば、
”確かに陰気ではあるけれど、家賃は毎月ちゃんと払ってくれるし、こっちが挨拶をすれば返してくれるし、礼儀正しい、素直な人なんですけどね・・・・”と言っていた。
他の住人達も、
”まあ、そんなに悪い人じゃないですよ。ただ・・・・”
と、やはりここでも誰もが言葉を濁らせる。やはり”顔の痣”について、気にしているんだろう。
杉田春美は新卒で今の会社に入って来た訳ではない。
中途採用というやつで、ある日”就職情報誌を観てきました。”と、募集広告の載った雑誌と共に、履歴書を持ってやって来たという。
俺は社長に頼み込んで、その時の履歴書を見せて貰ったが、東京都内の某私立有名女子大学の英文科を卒業しており、中学校と高校の教員免許(英語)を所持しており、その他にも英文タイプライターは一級、英検は二級の資格を持っていることも判明した。
”もう少し調べてみるかな・・・・”俺は思った。
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