僕の宝石

冷門 風之助 

その1 

 JR高円寺駅近くのビルの前、俺は1時間も前からガードレールに背をもたけてビルの入り口を見張っている。

 ビルの入り口・・・・いや、失礼、正確には”ビルの裏口”と呼ぶべきだったな。

”彼女”はいつもここからしか出てこない。


 腕時計を見る。

 午後5時かっきりだ。


 出てきた。

 昔映画で梶芽衣子が被っていたような、つばの広い大きな帽子、夕方をとうに過ぎているというのに、顔が半分以上隠れているサングラス。肘まで覆っている手袋という完全武装。

 加えてマスクと来ている。

 まあ、マスクは時節柄やむを得ないとして、サングラスまでする必要があるのだろうか?

”彼女”は辺りを見回し、人目を避けるように建物から出てくると、そのまま一直線に駅の方に向かって歩いてゆく。


 俺はシナモンスティックを齧りつくすと、そのまま尾行を開始した。

 電車に揺られている間も、その存在は別の意味で目立っている。客達の目線は彼女に集中していた。

 そりゃそうだろう。

 

 山手線に完全武装したターミネーターやランボーが乗ってきたら、やはり目出つ。

 それと同じだ。


 だが彼女は周囲の奇異な視線など、一向に気にする素振りも見せず、一駅、二駅と揺られ、吉祥寺で降りた。

 

 俺も少し距離を取りながら、彼女の後を着けて行く。

 駅前からバスに乗り、西へ三つほど、凡そ30分ほどの距離だったろうか。

 そこのバス停で降り、人通りの少ない場所を選んで歩いてゆく。


 やがて彼女が行き着いたのは、今時珍しい木造二階建てのアパートだった。

 『杉田さん、今晩は、』そう言って彼女に声をかけたのは、同じアパートの住人だったが、彼女は軽く頭を下げただけで、口を聞こうとはせず、そのまま二階の一番端の部屋、

”204号室”

 に入ると、ドアを閉めた。

 それから俺は1時間ほどその部屋を見張るが、彼女はまったく外に出てこようとはしなかった。

対象者ターゲット帰宅。1時間監視を続けるも、外出する気配はなし。本日の尾行はこれまで、以上』

 俺はコートの下からICレコーダーを出し、それだけ録音をした。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 依頼人は俺の事務所オフィス、即ち『乾宗十郎探偵事務所いぬい・そうじゅうろうたんていじむしょ』に入ってくると、ソファに腰を下ろし、俺が淹れたコーヒーを有難そうに両手で抱えて飲むと、それから訥々とつとつと語り始めた。


 依頼人の名前は大島康雄おおしま・やすおといい、歳は29歳。職業は駆け出しの小説家である。

 当り前だがそれだけでは食べて行けぬため、仕出し弁当の配達会社でアルバイトをしているという。

 あまり栄養は摂っていないんだろう。育ちそこないのキュウリみたいに痩せている。


『平賀弁護士が紹介してくれたんです。あの先生の事務所にも、僕は配達に行っているもんですから』


 相談事があるなら、一度行ってみるといい。受けてくれるかどうかは分からないけれどとも言われた。と、正直に付け加えた。

 

 俺は彼と向かい合わせに腰を下ろすと、コーヒーのカップを掻きまわしたシナモンスティックを咥え、ほろ苦さをさらに増加させたそいつを前歯で軽く噛んだ。

『初めに断っておくが、俺は法律で禁止されている他、自分の信条として、結婚と離婚に関する調査依頼は受けないことにしているが、その点も平賀弁護士から聞いているだろうね?』

『勿論聞いています』彼は二口目を啜り、大きく頷いた。

『いいだろう。じゃあまず話だけを聞こう。その上で引き受けるか否かを決める。

それでどうだね?』

 俺の言葉に、彼はまた頷いた。

 

『実は・・・・ある女性について調べて貰いたいんです』

『さっき言ったことを聞いていなかったのか?俺は・・・・』

『恋をして居るのは確かです。でもだからって、相手の事が分からなけりゃ、恋のしようもありません。ましてやそれ以上なんて、まだそこまでは考えてもいません』

 俺は音を立てて、スティックを噛み砕き、それからまたコーヒーを飲んだ。


『良かろう。先を続けてくれ』

 俺の言葉に、彼はほっとしたように話を続けだした。


『僕が彼女に初めて会ったのは、つい一か月前のことです』

 仕出し弁当屋にアルバイトとして勤めている彼の仕事は、得意先の会社などに、頼まれた数の弁当を、ミニバンで配達して回る事だ。


 その日、新たに配達することになったのは、高円寺にある事務機器の販売を手掛ける小さな会社だった。


 五階建ての貸しビルの最上階。

 従業員は社長から営業、そして事務員を含めてもせいぜい15人いるかいないかというところだ。


 しかし営業担当の社員は、昼間は外回りなどで出払っているから、残っているのは社長を始め事務員が五人ほどでしかない。

 

 最初に行った日、頼まれた5人前の弁当を受取ってくれたのが、その”彼女”だったという。

 

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