白い世界に、彩ひとひら

蒼月

白い世界に降る彩

 朝。六時に目覚まし時計が鳴る。

 私は起き上がってまたうんざりと息を吐いた。最近どうでもいい筈なのに、やけに風景がくっきりと脳裏に残る。私は目を擦りながら訳の分からない昂揚感に身を任せて階段を下りた。

 私はいつもと変わらぬ毎日に飽きたなんて思っていない。当たり前の事だから何かを考える必要もない。他の人も多分そうだろうし、別に刺激を求めるつもりもない。

 …でも、たまにおかしいと感じている自分が居る事に気づいていた。

 「お早う。」

 「おはよ。朝御飯あるから。」

 テレビでは昨日までの感染者が報じられている。私の県は百三十五人か。テレビをつけてもそのことしか報じられない日々に辟易しながら席に着く。日々広がる感染により学校は休校だったが、今日から学校が再開する。正直面倒くさい思いはあるが、あんぱんを食べて服を着替える。…最近なんだか時間がゆっくりと過ぎるような気がする。

 「行ってきます。」

 自転車に飛び乗った瞬間、何かが頭をよぎった。でも何だったのかと考える頃にはもう何も思い出せなかった。首を傾げながら自転車を走らせると、少し雲が多いことに気付く。…天気予報を見ればよかった。

 私はそのまま走り続け、学校に近くなるとスピードを緩めた。

 「お早う、風音!」

 すると髪の毛を揺らしながら女の子が走ってくる。私は自転車を降りて手を振り返し、一緒に校門に向かって歩く。…マスク人間がいっぱいだ。

 「お早う、灯里。」

 「聞いて!昨日のオンライン授業受けるの忘れた!」

 「まずくない?何で?」

 授業が始まるまでお喋りは続く。

 しかし、一時間目になっても先生が来ない。委員長が職員室に向かい、帰ってくるまでは自習をするようにと言われた。ざわざわと騒ぎ始めた教室の中が一瞬光り、轟音が響き渡った。

 何時の間にか雨が降っていた。女子が悲鳴を上げる中、私は一人呆然としていた。チカチカと点滅する教室に目を見開く。


 停電。


 ぱっと暗くなった教室に皆が騒ぐ。でも私の周りだけ、薄い膜が張られたかのようにざわめきが遠のく。

 私は停電よりも先程の妙に懐かしいような光景に気を取られていた。どこかで、私はあの光景を見た筈なのだが、どこで、いつ見たのか。そもそも、過去にこんな風に停電した事は無いにもかかわらず、何故こんなにも既視感を覚えるのか。

 そんなことを考えるうちに教室の明かりが点き、委員長と隣の教室にいた先生がやってくる。安心したように皆が笑う中、私一人だけが笑っていなかった。


 「驚いたね、あれ!雷が落ちたのかな。」

 私は昼ご飯を口一杯に頬張りながら、耳をあまり傾かせずに話を聞く。…横一列で食べるのって、変な感じだ。でも久しぶりの焼きそばパン美味しい。すると、灯里がぐっと拳を握り熱く語り始める。

 「噂が出てるの知ってる?誰かがそう仕向けたんじゃないかって。」

 「停電を?」

 「そう!このまま学校に行きたくなかったからかな。」

 目を輝かせながら話す灯里の姿をぼんやりと見つめる。

 灯里の言う通り、もし誰かが停電を起こさせたのなら何の意味があったのだろう。灯里が言ったように学校に来たくなかったから?

 私は流れる雲を見ながらぼんやりと思う。多分、そこには何もないのだ。ただ何となくだろう。皆、尤もらしい理由をつけていても、そのほとんどは何となくが多い。何となく走った。何となく買った。何となく。

 そういう自分も何となく行動している。焼きそばパンが入っていた袋を丸め、塵箱に放り投げた。


 雷は近くの公園に落ちたらしい。へぇ、とその噂を聞きながら帰り道を歩く。雨は止み、水溜まりをあえて通る灯里は一体何がしたいのかな。

 のんびりと歩いている光景も少し懐かしく感じる。今日はこの既視感の頻度が多い。眉根を寄せながら、道端にあった石ころを蹴った。

 「あのさ、灯里はどこかで見たって感じたことある?」

 「ん、デジャヴ?」

 答えようとしてまたあの既視感を覚える。いつだったか、この話をどこかで…。

 またキーンと頭の中が痛む。

 「風音?」

 「…ううん、何でもない。」

 家に帰って何故こんなにも既視感を感じるのか気になって調べるが、自分の納得するものは見つからなかった。思い込みや似たような景色や出来事を体験した、無意識に予測、前世、運命…。途中から非現実的な言葉が飛び交い、息をついてパソコンを閉じた。

 どうせ気のせい。私は布団に飛び込んだ。



 朝。目覚まし時計が鳴る。

 起きると妙に息苦しく感じた。目元に手を当てると、水滴がついている。知らぬ間に泣いていたらしい。涙の跡でカサカサの頬を擦りながら、一階に降りていく。

 「おはよ。朝御飯あるから。」

 昨日と同じあんぱん。私の県の感染者は百三十五人。もぐもぐと頬張りながら辺りを見回す。何もおかしくない筈なのに何かが違う。

 母は洗濯、父はまだ寝ている。花瓶に生けられている花々、茶色のテーブル、くるくると回る意味の解らない飾り…。何も変わっていない筈なのにこの違和感は一体何?

 首を傾げていると、お母さんが声を上げた。

 「今日から学校よね?」

 私の動きが止まる。休校は昨日明けた筈、とカレンダーを見る。今日は…一日?昨日が一日ではなく?

 …どういう事?

 「急ぎなさい!時間がないわよ!!」

 私は慌てて着替え、自転車に乗る。散歩する犬、赤信号に変わり止まる車、通り過ぎる電車。

 …昨日学校に行ったのは夢だったの?

 ぐるぐると頭の中を言い表せない何かが駆け巡る。ぐちゃぐちゃと感情が混ざり、何かを叫びたい衝動に駆られるが、何を叫べばいいのか分からない。何もかもを壊したい衝動に駆られても、何をすればいいのか分からない。自分の中で何かが渦巻き、暴れたいような泣きたいような衝動だけが残った。

 …どうすれば、らくになれる?


 「お早う、風音!」

 「お早う、灯里。」

 学校に近くなれば、やはり灯里が走ってくる。灯里は息を落ち着かせると、またオンライン授業の話を始めた。…昨日と同じ内容だった。

 「…ねぇ、昨日は学校じゃないよね?」

 「え、そもそも日曜日に学校はないけど。」

 勘違いだったのだろうか…?私は呆然としながら空を見上げると、今にも降り出しそうな黒い雲が立ち込めていた。

 …そのまま、普通に授業が始まれば、このまま終わったのに。

 授業は始まらなかった。私が体験した『昨日』と同じ事が起こった。先生がいない間に雷が光り、女子が悲鳴を上げた。停電した後、委員長が戻りその場を落ち着かせようと奮闘した。そのまま何事もなかったかのように始まり、昼休みになって灯里が興奮して話す噂。話した内容も授業も日にちでさえも、何もかも同じだった。


 おかしい。私は学校が終わると、灯里と別れてさっさと家に帰り、パソコンを開く。でも何を検索しても私が欲しい答えはやはり得られない。『繰り返す 日々』『時間 繰り返す』『正夢について』…こんなこと今まで無かった。混乱した頭を抱えながら、気のせいだと決めつけて、ベッドに倒れこんだ。

 同じ時間を繰り返すなんて有り得ない。正夢なんてもの、存在しない。もし、そんなものがあったら…。頭を振り、思考を追い払う。こんなことある筈がない。うんざりするような日々が、更に繰り返されるなんて。

 これはただの夢、妄想。夢なら覚めてしまえばいい。ぎゅっと目を瞑って、布団の中にもぐりこむ。

 何時もの私なら、この状況を楽しめただろうか。非日常を体験して灯里に自慢げに話すだろうか。そう考えながら震えている間に、いつの間にか眠ってしまっていた。



 朝。いつものように起きる、その筈だった。

 目の中に飛び込んできたのはいつもの部屋ではなく、真っ白な世界だった。全てが真っ白で、目を凝らしても何もない世界がただ静かに佇んでいる。どちらが上なのか下なのかも分からなくなりそうなほど。

 夢だと願って、ぱちん、と頬を叩いても目が覚める様子もない。ただ無慈悲に現実なのだと告げてくるだけだった。

 怖い。

 「だっ、誰かいませんか、誰かー!」

 体を一瞬震わせて叫ぶが、空しく響くだけだった。

 何故?どうして私はこんな所に居るの?

 何もない白が、私を追い詰める。狂ってしまう、こんな所に居たらおかしくなってしまう。

 私は逃げるように必死に足を動かす。でも悠々と真っ白な世界が私を追いかける。恐怖しかない世界で私は延々と走った。でも、曲がっても、飛んでみても何もない。そうしている間にも足は疲れ果てて、声も枯れた。目だけがこの無慈悲な世界を映しだしていた。…叫ぶ気力も立ち上がることもできなくなり、私は座り込んだ。

 誰もいない世界は、こんなにも静かなのか。どこまで行っても何もなく、静かに時が流れる。うるさいと感じていたざわめきも足音も恋しい。今まで当たり前だと思っていたものはここにはなく、あの世界がどれほど便利で充実していたかを思い知らされた。

 床には何の繋ぎ目もなく、手をあてても何も感じない。視覚では確かに床をとらえているのに。宙に浮いているかのようにも思わせるそれも今は怖いだけだった。しゃがみ込んだまま頭を覆ってこの現実から目を離そうとしても、頭の中で何も変わらないと分かってしまっていた。

 ぽつぽつと涙が落ちて、床と思われる白いものを通り抜けて落ちていく。

 …私もそれみたいにここから出ることができたなら。



 どの位泣いていたか。ふと視線を感じて、顔を覆っていた手を退けた。だが、辺りを見回しても誰もいない。

 …気のせいか。落胆して何気なく見上げた先には、沢山の『目』が辺りを覆っていた。

 「ひっ。」

 息をのみ、信じられない思いで見つめる。時折瞬きをするそれは、ぎょろぎょろと忙しなく辺りを見渡していた。更にそれらは一際大きい『目』を取り囲むように並んでいた。

 「何故泣く?」

 中性的な声が辺りに響く。他の目と比べて何倍もある『目』が私に問うたのだと分かった。目が喋れる筈がないと分かっているけれど、はっきりとその目が喋っていると分かった。

 私はボロボロに砕け散った勇気を振り絞り、そのおぞましい『目』に問いかける。

 「ここは、どこですか。」

 「質問に答えよ。何故泣く。」

 速攻自分の質問を無視され、ぐっと唇をかみしめた。白くなるほど拳を握りしめ、答えを探す。

 「早くせよ。」

 無愛想な声が淡々と響く。ぎりっ、と歯を噛みしめ、声が震えなくなってから答えた。

 「…ここに一人でいるのが、悲しかったから。」

 そう答えると呆れたような、馬鹿にしたような声が返ってきた。

 「それだけか。人がいればいいのか。」

 カッと頭に血が上る。私のことを何も知らないくせに!

 「違う、そうじゃない!」

 「では何だというのか。」

 「何もない、この世界が嫌なの!」

 苛立った声にも『目』は反応した。眼を細めたかと思うと、周りにあった目も一斉に私の方を向いた。びくっ、と体が強張る。探るようにこちらを見てくる無数の目は先程とは違う恐怖を私にもたらした。

 「何もないのは嫌か。だからそんな風に泣くのか。泣いたら何かが変わるのか。」

 「何も変わらなくても、泣きたくなるの!」

 「意味が分からぬ。ただの時間の無駄ではないのか。」

 「そう言われてもいい、これは私のことなんだから放っといてよ!」

 更に泣きそうになってがむしゃらに言葉を探してぶつける。『目』は不思議そうに眼を傾けた。

 「奇妙な娘だ。誰かいないのかと叫べば、今度は放っておけと言う。何がしたいのか。」

 「私は帰りたいの!こんな所はもう嫌、早く帰らせてよ!!」

 「帰る?どこに。」

 「私の世界に!早く帰らせてよ!!」

 「お前はお前の世界と言うが、そんなものどこにある。誰がお前の世界と決めた?誰がお前をここに連れて来たというのか。お前がいつ来たのかも知らぬが。帰りたければ己で帰れ。」

 冷たい態度を取られ、私はすでに苛立ってもいたし、泣きそうにもなっていた。もう自棄になっていたのかもしれないけれど。

 「帰れないから言ってるの!じゃなきゃ言わない!!」

 「そんなこと知らぬ。」

 「何でよ!!」

 「お前を知らぬ。お前の言うお前の世界を知らぬ。お前がここに来た理由も知らぬ。そんなお前にわざわざ情をかけ、助ける義理などないであろうに。」

 目の言っていることは正論だろう。でも知りたくなかったし、分かりたくもなかった。…早くここから抜け出したかった。

 怖い、ここから逃げたい、家に帰りたい。どうして私がこんな目に合わなきゃいけないの?私が何か悪いことをしたの?私より悪いことしている人なんて沢山いるのに、どうして私なの?何で、なんで、助けてよ、こんなの私は知らない。助けて、ここから私を助けてよ!!

 涙が溢れた。足も痛いし、声もガラガラ。泣いたことで目も痛いし、頬もひりひりする。誰も助けてくれないし普通の人は誰もいない。悪いことをした人は沢山居るのに、どうして私だけが。

 「…自分を哀れんで何が変わるのか。そんなもので変われるのなら、争い事など起こらぬであろうに。」

 淡々と言葉を紡ぐ声がうるさくて耳を塞いだ。

 何故と叫んでも変わらない。助けてと言っても助けてくれない。やっと現れたモノも私に冷たい言葉を浴びせる!

 「…愚か者。話も拒否すれば、お前に何が残る?お前がすべきことはもう分かっているだろうに。」

 呆れたように話すその言葉に少しだけ涙が引っ込んだ。

 私がすべきこと?

 怒りはまだ消えていない。でも、ここから私の世界に帰るためには、いつまでもここに居るわけにはいかない。

 戸惑いながらも上を向くと、目がにやりと笑ったような気がした。

 「泣かぬのか。己の不幸を嘆き、そこで泣くのではなかったのか。」

 未だ目には涙が溜まっているけれど、負けじと忌々しい目を睨み返した。

 「…ほう。ではついてこい。」

 ゆっくりと横に流れるように沢山の目が移動していく。涙を拭って立ち上がると、私はその目たちが向かう方へ足を踏み出した。


 「ここだ。」

 永遠に続くかと思われた白の世界は、意外にもあっさりと違う場所になった。目の前には白い扉が鎮座している。重そうなその扉には緻密な装飾が施されており、今にも動き出しそうなほどだった。

 「―この世界の全ての場所は目的を持って行かぬと辿り着くことはできぬ。『どうせなんとかなるだろう』『いつか誰かが助けてくれる』などと考えていれば絶対に着くことはない。あそこは謂わば廊下だ。目的の場所を強く認識して向かわねば永遠に着くことはない。逆にその思いも強くなければ、遠ざかるのみ。」

 ひくっ、と頬が引きつり目を逸らした私を、目はちらっと試すように見た。

 「さて、ここはお前の世界ではないだろうが…行く気はあるか。」

 「…私の世界ではないのに?」

 「お前の世界がどこを示すかは知らぬが、この先は全てと繋がっている。この先に進み、沢山の中からお前の世界を探すのもよし、ここに残り泣き暮らすのもよしだ。お前が決めることだ。」

 「…一緒に行ってくれる?」

 目が冷たく私を見る。

 「やることがあるのだ。お前は一人で行け。」

 じっとその扉を見つめる。日本じゃない、もしかしたら違う世界かもしれないのにここに入るの?…でも、もうこれしか選択肢はない。力強く、私はその扉を見返した。

 「ここに、入る。」

 上を見上げると、もう目はいなかった。大きく息を吸って、私はゆっくりとその扉を開けた。



 中には壊れかけた柱が数本。そしてポツリポツリと残っている壊れかけた城のような廃虚。柱も城も真っ白だが草が生えたり、苔むしたりしている。白だらけの世界に緑が追加されたことに安心するが、やはりそこにも誰もいない。静寂が辺りを包む中、自分の足音だけが響いた。

 柱に近づいてみると、妙な模様が刻まれていた。何かの文字のようにも見えるが、掠れていて読めない。柱はぐるっと円を描くように配置されていて、その円の中心にも模様が書いてある。

 私は真ん中に立ってみると、ぐわん、と視界が歪んだ。まずいと思い、中心から離れようとするが叶わず、私はゆっくりと目を閉じた。


 「う…。」

 目を開けるとあの場所は水に浸かっていた。柱の円の中心にはさっきまで無かった太い柱が立っており、その上に私は寝転がっていた。柱から下を覗いてみると、透明な水色が目に映る。段々と深くなるにつれ、青も濃くなっていく。

 段々色が出始めた場所で辺りを見回すと、廃墟に人影が見えた気がした。慌てて立ち上がり、その廃墟に向かう道を探すが、ある筈もなく。

 震えそうになる体に力をこめながら息を大きく吸って、目を瞑ったまま水の中に飛び込んだ。じゃぶ、と髪が持ち上がる。

 「…ねぇ、何をしているの。」

 ふと声が聞こえて、閉じていた目を開ける。そこには女の子がゆらゆらと漂っていた。その子の髪がきらめきながら揺れ、水の中でも彼女は何事でもないかのように喋る。

 「何故、あなたはここに飛び込んだの?」

 女の子が質問をしてくるけれど、もう息が続かない。上がろうとした私の手を彼女が掴む。

 「答えてよ。何故?」

 とうとう息が続かなくなり、息を吐き出してしまった。死んでしまう、と思ったが、苦しくない。…水の中にいる筈なのに息ができる!

 不思議に思って辺りを見回すと、彼女は手の力を強めた。

 「答えてって言っているのに!!」

 ぎゅうっとへし折れてしまうのではないかと思えるくらいに握られ、痛みに顔が歪む。

 「いっ…あっちの廃墟に行きたかっただけ!!放して、痛い!!」

 「廃墟に何で行くの?ここに居ればいいじゃない。」

 「私は帰りたいの!!」

 「廃墟が帰る場所なの?」

 「違う!廃墟の先に行くの!!」

 「どうしてここじゃ駄目なの?ここは皆が居るのに。」

 その言葉にはっと目を凝らすと、遠くから此方を伺う影が沢山あることに気付いた。彼女が私に近づいて微笑む。

 「一緒にここに居よう?」

 「嫌っ。」

 叫んで振り払うが、また掴まれる。また抗おうとして彼女が既に笑っていないことに体が固まった。

 「…嫌って何?何で駄目なの?何で皆と一緒は駄目なの?皆が悪いの?」

 「ちがっ、そんなことは言ってない!!」

 すると、少しだけ憎しみを込めた目が容赦なく私を射抜く。

 「皆と同じで何が悪いの?何が駄目なの?あなただって、皆がそう言うからって、賛同したことくらいあるでしょう!?」

 少女の親の仇でも見るような目に息を呑んだ。それと同時に投げかけられた言葉にも体が動けなかった。

 「皆がそう言うから、私はここに居るのに!!あなたは違うの!?私がおかしいっていうの!?皆と同じ、何も変わらないのに!!」

 ぎりぎりと絞められ、手の感覚が無くなっていく。彼女の手は張り付いているのではと思えるほど私の手を掴んでいる。

 「皆がそう言うから私は従った。皆が良いっていうから、自分の意見も押し殺した。なのに何が悪いの!?仕方ないじゃない、こうするしかなかったんだもの!!」

 泣きそうなその悲痛な声に頭が揺れる。キーンと痛む頭に掴まれていない手を当てて支えた。

 「嫌よ、皆と違うからまた除け者にされる!皆が正しい、そう言わないと生きていけなかった!!自分の意見を言ったって何も変わらない!!『あの子は変わってるから』『あの子は違うから』それで済むならいいけど、その後も私はそのレッテルを貼られ続ける!嫌!!そんなの耐えられない、私だけ違うのは嫌!!」

 髪を振り乱しながら叫ぶ様子に胸が痛んだ。だって、私も―。

 すると、ゆらゆらと男性が近づいてきた。この場にそぐわない笑みを浮かべる男性を呆然と見つめる。

 「安心しろ。皆に従っていればそんな事は起こらないのだから。悩む必要もない。」

 その男性は目を細めて、私に『そうしろ』と命令している。怯みかけて、必死に唇をなめて口を開く。

 「あなたは何で従うんですか?彼女と同じ理由ですか?」

 「いいや?皆がそうするからだ。人とは皆の意見にゆらゆらと乗るだけであろう?」

 にぃっとまがまがしく嗤う男性に、私と私を掴んでいた女の子がひっと息を呑む。

 「何を怖がる?そういうものであろ?」

 私は震える手を押さえて力を込める。

 私もここに来るまで、『何となく』で過ごしてきた。それはとても人間らしいけど、無責任で何も考えていない。…『目』に会ったのが最初でよかった。最初にここに来ていたら、この誘いに乗っていたかもしれない。そう考えると、『目』は優しかったのだろう。それでも気づくには、目の説き方は分かりにくかったと思うけど。

私は覚悟を決めて、きっ、と男を睨み返し口を開く。

 「私も何となくで生きてた。そうすれば望まない結果になっても逃げられたから。決めなくても、生きていけたから。…でも、もう流されない。自分のことは自分で決めるの。私は廃墟に行く。貴方達とは一緒にいけない。」

 言い切った途端、男の人の目が細められた。嫌な汗が背中を伝う。

 「…ほぅ。皆、集まれ。裏切り者には粛清を。」

 ざあああっと後ろに隠れていた人たちが表に出てくる。こんなにいたのかと驚く程うじゃうじゃと出てきて、私たちをじわじわと追い詰めていく。充血した無数の目に体が強張る。

 いくら忘れていたとしてもここは水の中。泳がなければ意味がない。先ほどから感じていたが、この人たちは動きが人間離れしている。逃げてもあっという間に捕まえられるのではないか、と思っているうちに、じりじりと距離を狭められる。

 すると、ぐいっと手を引っ張られた。

 「行くよ!!」

 最初に話しかけてきた女の子が掴んだままだった私の手を引っ張りながら泳ぐ。ぐんぐんと進んでいく背中に思わず見とれた。

 「少しは泳いで!!」

 「あ、はい!」

 バタバタと足を動かし、少しでも進むように片方の手で水をかく。段々と近づく廃墟と追手に焦る。どちらが先かと願うような気持ちで目を閉じて必死に泳ぐ。…そして、ざぱっと空気が変わった。

 ―廃墟に着いたのだ。安堵しながら息を整え、隣にいる彼女を見る。彼女は少し苦しそうに大きな息を吐いた。

 「…良かったの?あそこに居ないで。」

 不安になった私が問うと女の子は静かにうなずいた。

 「…うん、良かったの。もう、新しい目標を追いかけるって決めたから。」

 「そっか。」

 気まずくなりながら移動しようとした私の袖を彼女が引っ張った。

 「助けた代わりと言ってはなんですが。一緒に行ってもいいかな?」

 にこっと彼女は私に微笑みかけた。

 彼女はメアリーというらしい。彼女は異世界の人ではなくアメリカに住む高校生だという。ネブラスカ州といったけど…そんな州があるなんて知らなかった。不思議なことに私には彼女の言葉は日本語に聞こえるのだが、メアリーには英語に聞こえるらしい。

 二人でおかしくなって笑いあいながら、沢山のことを話した。黒人初の大統領はイケメンだ、ウイルスが大流行している…。

 …あれ。メアリーとの会話がかみ合わない。…私たちの時間は違う?メアリーの話は数年ほど前の内容だ。だからウイルスのことを知らない。

この世界がどのように時を刻んでいるのかは分からないが、急いだ方が良いだろう。いつもはスマホで時間を確認していたため、腕時計はつけていない。感覚に頼るしかないのだ。

 二人で崩れかけた廃墟を登る。時々、城が崩れてひやっとする場面もあったが、助け合ったら、なんとか乗り越えることができた。何よりも一番嬉しかったのは、隣に居てくれるメアリーの温もりだった。その日は廃墟の一番安定した場所で、疲れを取るために休んだのだった。



 目が覚めて起き上がると、メアリーが必死に何かを組んでいるのが見えた。

 「メアリー、何してるの?」

 「うーん?私たち人間だから喉も乾くし、お腹も減る。食べ物はまだ見たことないけど、水はここにあるから。水筒もどきを作って出発しようかなって。」

 メアリーの手元には何かの草が編み込まれていた。どうやら竹のような筒はあったらしく、今はその栓を作っているようだった。

 「私もする。三つ編みしかできないけど。」

 なんやかんや言いつつ出来上がった水筒は不格好ながらもちゃんとできていた。

 廃墟の奥にある扉を抜けると、そこには砂漠のような場所があった。熱くも寒くもない場所をメアリーと歩くが、何も建物がないことにある疑問が持ち上がっていた。

 「ここって、廊下なのかな。」

 「廊下?」

 「私が初めて来た時、ここみたいにどこまで行っても何も変わらないし、辿り着かない場所だったの。でも、親切…?な人に会ったんだ。その人は、ここみたいに何もない所を廊下みたいなものだって言ったの。その廊下から他の場所に行くには、その目的をしっかり持つことなんだって。」

 脳裏にあの『目』が浮かぶ。…人かどうかも怪しいが。メアリーは、ふんふんと頷きながら私の話を聞いていた。

 「じゃあ、目的を持てばいいのか。」

 「多分。でも、どんな目的を持てばいいのかな。具体的な目的じゃないと駄目だと思う。」

 彼女はきらっと目を光らせ、微笑んだ。いや、微笑むというより、にやりとしたの方が近いかもしれない。

 「それでは、まずご飯を食べませんか?」


 「ご飯がある場所。できれば肉!肉食べたい!!」

 「ハンバーグ、ステーキ、生姜焼き。しゃぶしゃぶ、チキン、焼き肉。」

 「デザートもいいよねぇ…、やばい、涎垂れてきた。」

 そんなことを言い合いながら歩いていると、急に料理屋のような場所に辿り着いた。その大きな料理屋には沢山のテーブルや椅子はあっても人の姿はない。奥にはキッチンに冷蔵庫など十分な設備が置いてあった。貯蔵庫の中には、全然人がいないところにしては珍しい程の沢山の食糧。

 「本当だ、妄想してたら沢山食べ物がある所に着いた!!」

 「お料理そんなできないけど!!」

 「気にしません!!」

 二人でうきうきと食べ物を取り出していく。倉庫らしき場所にはリュックも置いてあった。水筒や日持ちのする食べ物を詰めながら、料理役のメアリーを見る。彼女は楽しそうに野菜を炒めていた。アメリカでも日本食は流行っているらしく、彼女は野菜炒めが好きなのだそうだ。

 「では、いただきます!!」

 出来上がった料理はとても美味しかった。後で自分が作ったら美味しくない出来だったけど、その時は間違いなく美味しかった。


 「さて、次の場所に向かうかな。」

 「うん、食料が無くなったらまた寄ろう。」

 そして料理屋を出ると、右手の方向がやけに暗く感じた。

 「メアリー、あれ。」

 「何か、暗い…。夜かな。」

 まだ何も想像していないのに。

 首を傾げながらその場所に向かうと、吸い込まれそうな洞窟が佇んでいた。真っ暗な洞窟の中を進むと、水晶のようなものが赤く点滅していた。幻想的な筈なのに、禍々しく感じるのは気のせいだろうか。

 怖くなり、メアリーの手を握りながら、黒と赤が入り乱れる世界をゆっくりと進む。そこで男の子がぼうっと立っていた。余りに自然だったために気が付かなかった。

 「けひひ、新しい奴が来た。お前らもこっちに来いよ。皆が居る。」

 キャラキャラと嗤う声が辺りに響く。男の子の声じゃない声も響いているが、小馬鹿にしたような声は反響して、何処から発されているのか分からない。

 「あなたは誰!?こっちって、どこ!」

 メアリーがそう叫んだ時だった。視界が赤で埋め尽くされた。水晶のようなものが点滅を繰り返していたのに、今では全てが真っ赤に光っている。

 「こっちだよ。まさかそんなことも分からないの?あぁ、そこまで頭が良くないんだ?」

 煽るような言い方に腹が立った。多分メアリーも同じ。互いに握り合う手の力が強くなる。

 「…私たちがそっちに行くメリットはあるの?」

 「出た、メリット!良い子ぶらなくてもいいよ、馬鹿なのは知ってるから。」

 何故この人はこんな言い方をするのだろう。苛々しながら、横を通り過ぎようとするとまたあの嫌な笑い声が響く。

 『逃げる、逃げる!!』

 『ほんと、我慢が足りないよねぇ?』

 『これだから馬鹿は困るよね。こっちの事全然考えてないもの。』

 ケタケタと嗤う声の中で声がちらほらと聞こえてくる。…この水晶みたいなものから聞こえてくるんだ。私が水晶のようなものを睨むと、さらに赤い色は濃くなる。

 「あなた達、さっきから何が言いたいの!!」

 「おぉ、怖い。皆、怒ったらしいぞ。」

 『マジで?そんなもので怒るとか意味不明すぎるんだけど。笑える。』

 きゃはは、と嗤う声がどんどん大きくなっていく。視界が白くなって、鼓動が早くなる。悪口が飛び交うこの部屋に、メアリーが耐え切れず耳を塞ぐ。

 「止めてよ、少し黙って!!」

 『だって!どうする?』

 『聞いてあげればいいんじゃなぁい?』

 『やっだ、優しいぃ。もしかしてこいつらの仲間ぁ?』

 『なわけないじゃん。こんな屑知らないし。』

 ぐるぐると反響して中々耳から離れない。頭も痛いし、何より胸が痛い。ばくばくと心臓が波打つたびに、息がしづらくなっていく。体がだんだん熱くなり、目の前が赤いはずなのにどんどん白く霞んでいく。

 …このまま倒れて気絶してしまいたい。でも私の体は重く、その場から動けなかった。今すぐ止めてほしい、辛い。

 その気持ちを読んだのかは知らないけれど、男の子の口が耳元まで裂けて私たちを嗤う。

 「止めてほしいって考えてるよねぇ、今。でもさ、皆やってるんだよね、これ。」

 男の子が手を広げ水晶を見渡す。

 「楽しいよねぇ、過剰な言葉や行為で相手をおちょくると!!一々反応してくれるんだから!『私は悪くない』『何もしてない』とか言ってくるとき、ほんと、もっと虐めたくなるよ!!あぁ、楽しい、こんなにも楽しいことがあるか!?なぁ、皆!」

 笑い声が大きくなる。この人たちは本当にこんなことをして楽しいのか。することに何の意味があるのか。それで得られるものは何?頭を抱えながらぼんやりと思った。

 「ほんと、生きる価値のないやつに何の意味がある?何も理解できないやつが生きてのさばってるなんて許せない!!死ねばいいのに!!」

 『分かる!あとさ、自分は他の奴らよりも偉いんですよって澄ましてる顔してるのも腹立つ!残念だけど、私たちは必要としてないからいらないんだよね、あいつ。』

 『塵以下の存在だよね、本当。微生物に謝るべきだよ。生きてて御免なさいって!!』

 何でそんなことを面白そうに言えるの?皆、それはひどいよって言いながら、笑ってる。笑うことなの?そんなにおかしいの?何で、なんで。

 メアリーが震えながら、大きな声で反論する。

 「そんなことして、何が面白いのよ!!人を傷つけて笑って…良いはずがないのよ!!ムカつくから排除なんていう考え、間違ってる!!」

 「正論述べたつもり?悪いけど、これは普通だよ。アンタの国の大統領とか、どうよ?最近は皆が互いにケチつけるのが生きがいになってる奴もいるんだよ。毎日溜まった鬱憤を吐き出す。そうでもしないと、僕たちは狂ってしまうよ?」

 男の子が不思議そうに首を傾げる。この男の子が怖い。何故、そんな考えになったのだろう。メアリーがまたも言い返す。

 「じゃあ、貴方は他の人に罵られてもいいってわけ!?」

 「罵られたらそれ以上に罵り返すだけだよ。皆、君たちと違って罵倒語彙はあるからね。それ以上のものを返すだけ。何がいけないのか全くわかりゃしない。」

 メアリーが涙を目にためていた。私も自分が沢山の尖ったもので削られて小さくなっていく気がした。小さくなって、小さくなって…、このまま何も無くなってしまうんじゃないかと思ってしまうほどに。

 「痛いよ、メアリー。」

 「私も、痛い。」

 ぎゅっと互いの手を握る。まだ、二人だからここまで耐えられた。でも、もし一人だったら。多分もう挫けていただろう、泣きかけたその時だった。

 「あのさぁ、女子を大勢で取り囲んで威圧してさ。それって弱い奴がすることなんだぜ、知ってる?」

 そこで知らない声が後ろで響く。振り返ると、眼鏡をかけた男の子がじっとこちらを見ていた。ざわざわと水晶のようなものもざわめき出す。

 『うわ、新しいやつが来たぜ。』

 「おぅ、来たぜ。で、何だよ。おまえらが俺の何を知って罵ってくれんの?俺を罵っても楽しくないと思うぜ。ま、言っとくだけだけど。楽しみたけりゃ、楽しめ。」

 眼鏡の男の子が私たちの前にいた男の子の前に立つと、水晶の様なものから聞こえてくるざわめきが少し小さくなる。

 「不満があるなら吐きゃいい。でも、こんな風にするのはよくねぇと思うぜ。ネットでもそうだけど、自分の姿が見えない事を良い事によってたかって虐めて、マジださい。言いたいことがあるなら面と向かって言うくらいの心持ちで来いよ。それが出来ないんだったら、家庭内で吐いて終われ。いいな。」

 男の子はそう言って私たちの手を掴むと、さっさと奥に歩いていく。真っ赤に光っていた場所から暗い場所に来たせいで、まだ目がちかちかと痛む。眼鏡の子は私たちを覗き込み、口を開いた。

 「大丈夫か?…ああいう奴等は無視しろ。それも出来ないんだったら、誰でもいいから頼って進め。…まぁ、あれはきついわ。俺もそうだったからな。」

 眼鏡の男の子は一瞬顔を強張らせたかと思うと、はぁ、と溜息をついて手をひらひらと振る。情けなさそうに笑って目を閉じたかと思うと、後ろを振り返る。

 「お前もいい加減出てこいよ。」

 ばっと私たちが顔を上げると、水晶の様なものの後ろからおずおずともう一人、黒い肌をもつ男の子が出てきた。すると、眼鏡の男の子はよしっと大きな声を出した。

 「腹減った。なんか持ってないか?」


 私たちはもぐもぐと食べ物を口にしながら、自己紹介をした。眼鏡の男の子はキリルといい、ロシア出身だそうだ。モスクワは知ってた。話を聞く限り、彼がここに来たのは一年以上前だろう。

 もう一人の男の子はルイというアフリカ出身の子。コンゴ…なんとなくわかるが、アフリカの情報は疎くてわからなかった。自分ではここに来たのは二年前だと言う。

 更に驚いたのが皆、私と同じように時間を繰り返していると気づいた日に、ここに居たということだ。

 本当に繰り返していたんだ…と体を固まらせて驚いているとキリルがメアリーの分のパンを取る。

 「何でここに居るんだろうな。」

 奪ったパンを頬張りながらキリルが言う。さぁ、と首を傾げながら残ったリュックを見ると、沢山入れていた食材は底をつきていた。さすが食べ盛りの男の子と思う一方、参った、と思ってもいた。ちょんちょん、とメアリーの肩を叩き、小声で話す。

 「メアリー、一回戻ろう。もう食料無いや。」

 「えっ!?あんなにあったのに?ちょっと食べ過ぎ!」

 メアリーが男の子たちに向け、バシバシと水晶のようなものを叩く。崩れかけていた水晶のような物からぱらぱらと欠片が落ちる。

 私は何気なく欠片を拾い、重さがないことに驚く。

 「特にキリル!!あなた、私たちの二倍は食べているわ!」

 むっと腕を組み、メアリーがキリルを見下ろす。その仕草が気に障ったようでキリルが立ち上がる。

 「何だよ、こちとら全く食ってないんだぞ。今までためてきた食料をちびちび食ってた俺を労われよ!!どこまで行っても砂しかねぇし、これは死ぬかと思った時にこの洞窟が見えたんだぞ!!」

 ぎゃあぎゃあと言い合うメアリーとキリルは気にせず、ルイに話しかける。

 「ルイは今までどこにいたの?」

 「…ずっとここに居た。ここに居たらご飯もくれたし、耳を塞いで隠れる事もできたから。」

 「…そっか。」

 皆、何か問題を抱えてる。見ないふりをして、耳を塞いで。それでも、どれだけ時間がかかってもここまで進んできた。少し、その事実が嬉しくて顔を綻ばせた。


 メアリーはあの水の中、キリルはジャングルのような所、ルイはこの洞窟。それに比べ私は白い廊下と呼ばれるところ。皆が初めて来た場所はさまざまだ。

 「…俺はここから出ようと思ってる。詳しい時間が分からないけど、今聞いた限り数年は経ってる可能性が高い。早く家に帰りたいんだ。」

 キリルの言葉に皆が黙り込んだ。それは多分皆が抱えてきたことだ。メアリーが泣きそうになって口を開いた。

 「それは私も同じ。早く帰ってパパとママとお姉ちゃんに会いたい。」

 「…僕も。」

 少ししんみりしてきた空気を振り払うように私は立ち上がった。皆を見回し力強く言葉にする。

 「じゃあ帰れるように、まずは食料を調達しよう!」

 洞窟から出て四人で料理屋を想像し歩いたが、中々着かないのでメアリーと首を傾げた。長い時間歩き続け、やっと料理屋が見えた時には皆疲れ果てていた。おそらく皆の想像が足りなかったからだろう、と考えながら皆でご飯を食べた。

 また、うまいうまいと食べ続ける男子に呆れながらも楽しい時間を過ごした。今までの辛かったことも、ここに来ることで忘れることができた気がした。

 食事の後は皆でのんびりして過ごし、私たちは休憩という名の料理教室をメアリー先生のもとで始めた。

 「はい、今日作るのは皆大好きクッキー!!下手糞でもできるクッキーを頑張って作っていきましょー!!」

 全員で変な形になるクッキーに笑い転げて、お喋りしながら食べた。こんなに笑ったのはいつ振りだろうか。灯里ともこんなに笑った事は無い。私は全部食べるのがもったいなくて、こっそり袋に包んでポケットの中に入れた。



 これから持って行くリュックも三つに増やし、食料を詰め込んだ。準備が整った時、メアリーが皆の前に出て自信ありげに口を開いた。

 「いい?想像して。私たちが帰る場所を強く。」

 キリルは相変わらず指図するなと言いたげな顔をメアリーに向けていたけれど、渋々静かに目を閉じて想像し始めたようだ。

 そのまま私たちが歩き出すと遠くに大きな古城を見つけた。体力をあまり消耗しないように歩くが、気持ちが焦って皆早歩きになる。

 古城に着くと、どことなくあの水に浸かった廃墟に似ているような気がした。

 「開けるぞ。」

 緊張した声のキリルの言葉に頷いて、私たちは扉を押し開けた。

 中には鏡が壁から天井まで敷き詰められていた。皆の足が止まる。不安そうな声でメアリーが呟く。

 「これ…帰れるの?」

 分からないけど、進むしかない。ゆっくりと背後の扉が閉まるのが分かる。今まで気にしないようにしていたけど、私たちが一歩新しい場所に踏み出せば、後戻りできなくなっている。そう言えば料理屋も、私とメアリーが行った場所とは少し違っていたような気がする。

 「…行こう。」

 そうして、皆で手を繋いで進みだした。先頭はキリル。右手を鏡に当て、つたっていくようだ。メアリーの左手を握りながら私は床にあの水晶もどきのかけらを落としていく。そう、あのメアリーが叩いたときに崩れた水晶もどきだ。どうやら、鏡にはこの水晶もどきは映らないようだ。…拾っておいてよかった。

 行き止まりになって鏡づたいに回り、前に居るメアリーとルイが行き止まりだった道に置いてしまった水晶もどきを拾う。

 「なぁ、おかしくないか?」

 「…うん。私も感じてたけど、ここおかしい。」

 いつまで経ってもどの部屋にもつかない。もう一時間は歩いた気がする。幾ら広くても、こんなに長いのはおかしい。

 「これ、本当にただの城なの?…マジックハウス、みたいな。」

 皆がそわそわとしてきて、探索どころではなくなった。私たちは仕方なく、その場で休憩を取ることにした。

 「足が痛いよ…。うわ、真っ赤。靴擦れ起こしてる。絆創膏ない?」

 「ごめん、メアリー。流石に無いよ。」

 「ていうか、どうやったら着くんだ?ここもあの廊下とかいう所みたいなやつなのか?」

 その言葉に私は目を伏せ、床を見つめる。床もあの廊下と同じで真っ白で温度はなく、浮いているかのように思わせる。眉をひそめながら鏡に手を当て、ぐっと押してみる。

 感覚がある…!?

 私は急いで手を横にずらして、またぐっと押すという行動を繰り返す。

 「何してるんだ?」

 キリルが不思議そうに声を上げる。私の行動に気付いたのか、メアリーも私と同じ行動をし始める。

 「な、なんなんだよ。」

 「あっ!」

 メアリーが声を上げる。私は後ろを振り返り、彼女の方を見る。

 「ここ!ぐにゃ、ってへこむ!!さっき触ってなんか気持ち悪いなって思ってたの!」

 メアリーの方へ移動しぐっと押してみると、鏡が歪み手が中に沈む。

 「本当だ。」

 更に手を押しこむと肘まで入った。そのまま、腕を戻そうとするが動かない。入ったら何かするまで出られない、というわけか。メアリーの方を振り向き手を繋ぐ。

 「メアリー、キリルたちと手を繋いで。」

 「わかった。ほら、行くよ。」

 「え、本当に行くの?…危険じゃない?」

 「言われなくても行きますよーだ。安心しろルイ。この世界の仕掛けは死ぬものなんてねぇから。…多分。」

 ずぶずぶと沈んでいく体をさらに押しこむと、鏡を一枚すり抜けた。

 私は皆が入り終わるまで、入ってきた部屋を眺めていた。中には鏡が一つ。それも小さな小さな手鏡。さらに真っ白の世界と同じものと思われる壁。温度は感じない。

 「うわ、何この白い部屋。」

 皆が入り切るとぐにゃぐにゃしていた壁は他と同じように普通の壁に戻った。

 ぽつんと置いてある鏡の前に行き、じっと見てみる。年季の入った手鏡には、小さく細かい模様が刻まれていた。高そうなその手鏡をルイがつんつんとつつく。

 「ちょっとあなた、勝手に…!!」

 メアリーがたしなめようとした時、ルイの周りに風が吹いた。驚いたルイが後ずさろうとしたように見えたが、何故かルイの手に手鏡が収まっていた。手鏡を放そうとしないルイにキリルが叫ぶ。

 「早く放せ!!」

 「離れない!放そうとしてるけど、とれない!!」

 泣きそうに叫ぶキリルの周りの風が強くなる。その時、声がした。低い男性の声。

 『汝の罪を述べよ。』

 ぎょっとして辺りを見回すけれど誰もいない。ルイが目を見開き手鏡を見ている。

 『汝が罪と思う事で良い。述べよ。』

 ルイが気になるけれど、風のせいで近づくこともできない。

 『まだ述べぬか。見させてやっているというのに。』

 ルイの目に怯えの色が映る。一体何を見せられているのか。呼吸が荒くなっていくルイにメアリーが叫ぶ。

 「落ち着いて!深呼吸よ!!」

 でも、そんな言葉さえも聞こえていないかのようにルイは鏡にくぎ付けだった。

 『嘘は好まぬ、真実のみ述べよ。』

 ルイがゆっくりと私たちを見回す。不安と恐怖がごちゃ混ぜになったルイの顔に皆が息を呑んだ。

 「ぁ…、ぼ、くは。」

 息を止めこちらをじっと見つめるルイが心配になる。

 罪、とは何だろうか。ルイが犯した罪?

 ルイの顔色がだんだん悪くなっていくのを見て、キリルが口を開いた。

 「言えよ、ルイ。お前の罪だか何だか知らねぇけど、ここから出るにはそいつの言うことを聞くしか方法はない。それと、お前が何を言おうと俺たちは見捨てない。それが間違っていたかもしれなくても、だ。」

 私たちも頷いてルイを見る。ルイは黙ってこちらを見ていたけれど、ゆっくりと話し始めた。

 「…僕には沢山の兄弟がいて、僕が面倒を見なきゃいけなかった。でも、面倒くさくなって。…家族がいないときに、僕の後をついてきた弟を振り払って…置いて、来た。自由になれたって、思った。でも、家族たちが探しているのを見て、怖くなって。ずっと、黙ってた。漸く見つかったときには、もう、弟は喋れなくなってて。そんな風になったのは、僕の、せいで。でも、もう、言い出せなくなったっ。」

 苦しそうに吐き出した言葉が形になって、手鏡がゆっくりと吸収していった。それとともに手鏡は風の力をどんどん弱めていき、暫くしてぽとっと床に落ちた。ルイは腰が抜けたように床に座り込み、その傍にキリルが屈む。

 「罪ってそんな事かよ。殺人でもしたのかと思った。」

 「違うっ。」

 「おう。違うんならいいじゃねえかよ。俺もよく妹が鬱陶しかったら置いていくぜ。」

 冬はさすがにしないけどな、と言って、にかっと笑うキリルにルイが呆然とする。

 「でも、近くで発砲音がしてたんだ!僕が、僕が置いていかなければ、あんなことにはならなかったんだ!!」

 メアリーも叫ぶルイの前に屈みこみ、微笑んだ。

 「私も忙しいお姉ちゃんを追いかけて、池に落ちたことがあるの。…そのまま意識が戻らなくなった。大分危なかったみたい。それでも私はお姉ちゃんのことが大好きだよ。だからルイの弟も恨んだりなんかしてないと思う。」

 ルイの目に水が溜まり始めた。

 …私は言葉を失っていた。日本では考えられなくて…。それでも何か慰めようとするけれど、何も思い浮かばない。私が今までからっぽで、何も考えていなかったんだとやっと理解した。

 そんな私に、ルイに、こんな言葉を言う資格があるの?…軽い言葉に、なってしまわない?

 顔を振って、口元を引き締めた。それでも、言わなきゃいけない。私が前に進めたように、ルイも前に進める言葉を。

 「…私も嫌なことがあるとむしゃくしゃして暴れた時があったの。だから、沢山の兄弟の世話を長い間我慢してたあなたを尊敬する。ルイはすごいよ。」

 ルイの頬を雫が伝っていった。


 その後試しにメアリーがその鏡をつついてみたけれど、もう先ほどのような出来事は起きなかった。ルイが落ち着いてから壁を触ると、また一カ所グニャグニャとしている場所をキリルが発見した。また皆で手を繋ぎ進むと白い階段が目の前にあった。

 「これ、沈まないよな。」

 「流石にそれは…。」

 そう言いあいながら恐る恐る階段を登り、やっと最上階に着いた。そこには少しひらけた所に扉が一つだけ。

 「…行くよ?」

 恐る恐る重たい扉を開けて入ると、中に鏡は一切なく不思議な色合いの髪をした人が眠っていた。一つだけある窓に近い椅子に座っている人を私たちがじっと見つめていると、その人はふっと目覚めた。今までと全く違う雰囲気に皆が息を呑む。

 「あぁ、やっと来たか。遅かったな。」

 その声に聞き覚えがあった。とても。

 「えっ、『目』!?」

 「…何やら失礼な言葉を吐かれたな。あぁ、お前の言う目だ。そういうお前は泣き虫娘だな?」

 失礼な言葉、そっちも吐いてるじゃないか。むっとして睨み返すと、目らしき人も睨み返してくる。

 『目』―その人は溜息をついて私たちの前にやってくる。何をするのかと身構えたとき、その人はそのまま頭を下げた。驚く私たちを気にせず、頭を上げて話し始めた。

 「詳しくは言えぬが、ここに全てがある。だからここの管理が難しい。毎年、不具合が生じてしまうせいで他世界に影響が出てしまう。…その一つが同じ時を繰り返すようになってしまうというものだ。前々からそのことについて注意していたが、ここの支配者が中々聞いてくれぬのでな。どうすることもできなかったが、もうこんな事は無くなるから安心して良い。お前たちも元の世界に戻す。」

 その言葉を聞いて皆に徐々に笑顔が戻る。良かったと言い合う皆から離れて、私はその人に向かい合う。

 私は疑問に思っていた。一度行った場所にはもう戻れなくなるのは何故か、こことあの廃墟が似ているのは何故か。そう考えた時、『目』の言ったあの言葉は―。

 「何故もうそんなことがないと言い切れるの。」

 私が強くその人を見返した時、その人はゆっくりと目を細めた。

 「…私がここの管理者になるからだ。あの時も言ったであろう?私には用事があると。」

 じっと目を見つめる。何かもやもやとする。果たしてこれでいいのか、何か見落としていないだろうか。…何かを見落としたせいで、何かが手から零れ落ちてしまうのではないか。

 「どうして私たちはここに居るの。」

 「『全て』に気付かれたからだ。それだけしか言えん。」

 「あの水の中の世界や洞窟は何。」

 「あれは全ての中の一つだ。溜まりすぎるとあのように具現化してしまう。…人とは全く、何がしたいのか。矛盾が多すぎる。…さて、お前は何を求めている?」

 あの『目』がまた私を見る。…あの時はこの目が怖かった。自分が小さな物のように潰されてしまう気がしたから。

 私は今、何がしたいのだろう。何かしなければいけないと思うのに、何をすればいいのか分からない。…でも、ちゃんと考えなきゃ。

 「私たちが帰ったとき、どの位時間が経っているの。」

 「そのままだ。詳しくは言えぬが、来た時と同じ状態だと言えば分かるか。」

 何故、そんなことがあり得るのだろう。ここに来た時間は皆様々。数年経っている人もいる。すると、その人の目が怪しくきらめいてこちらを見る。

 「全てがお前の言うお前の世界ではない。言ったであろう?」

 相変わらず無表情にも見えるその顔をじっと見つめた。この世界はなんだったのだろう。私は目を伏せて考えたけれど、メアリーが私の袖を引っ張った。心配そうな顔の彼女に微笑んで、真っ直ぐ見つめてくる目に向き合う。

 「私たちの世界に、帰らせてください。」

 「…ふむ、帰すといったと思うが。よかろう、帰す。」

 私は唇を噛みしめ、静かに頭を下げた。すると、その人はどこからともなく本を取り出したかと思うと、ぱらぱらと本がひとりでに開く。段々と意識が薄れていく中、それをぼんやりとみていると、その人は口を開いた。

 「お前は強いか?」

 言葉の意味に少し戸惑った。そのまま、私は答えられぬまま意識を手放した。



 ふっ、と目を開ければ私の部屋だった。規則正しく時は進み、壁に掛けられている時計を見ると、かちっと音を立てて日付が変わった。

 六月二日。チクチクと進む時計を眺め、息を吐いて目を瞑った。

 皆どうしているだろうか。ちゃんと家族に会えただろうか。そういえば、連絡先も教えていない。…でも、それ以上の繋がりを感じるのは気のせいだろうか。

 私は苦笑しながら、寝ているだろう家族の顔を見に行く。久しぶりにちゃんと見た家族の顔にほっと安堵しながら沢山の出来事を思い返す。

 皆に言えば、夢じゃないのと言われるだろう。私もこれが無ければそう思っていたかもしれない。ポケットの中に入っていたクッキーを触りながら『目』の言葉を思い出し、ぽつりと呟いた。

 「私は、強くなるよ。」

 からっぽでふわふわな私も、皆と出会った今の私も。


 そして、世界は輝かしい新しい朝を迎える。

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白い世界に、彩ひとひら 蒼月 @aotsuki0505

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