5-④


「あなたは……」

 しぼすようにして、かすれた声でたずねる。

 すると、驚いたことに黒髪の騎士はフォルテの前にすっと片膝をついた。

「どうかお静かに。決して危害を加えるつもりはありません。私は青貴婦人殿どのの味方です。密かにこの後宮を探っているのです」

「密かに?」

 何か事情があるようだった。

「はい。どうかクレシェン殿にもご内密に。あの方にバレるといろいろ面倒めんどうなことになりますので。どうにも苦手でして」

「クレシェン様が苦手?」

 フォルテもその気持ちはよく分かる。クレシェンとの近しい関係を思わせる口ぶりから、王太子殿下の近くで働く高位の騎士のように思えた。

「ところで、あなたは?」

 問いかけられて、フォルテは自分が占い師ではなく侍女姿であることを思い出した。

「あ、私は……今日から占い師様付きの侍女になったフォルテと申します」

 フォルテは侍女服のスカートをつまみ、膝を折って挨拶をした。母テレサが、所作が美しいといつも手放しでめてくれた挨拶だ。今では無意識にこの挨拶をしてしまう。

「……」

 アルトは少し驚いたような表情をした後、すぐに挨拶を返した。

「侍女殿でしたか。私は隠密おんみつ騎士、アルトとお呼びください」

「アルト様……」

 深い葉緑のひとみで見上げられ、フォルテはドキリと時が止まった気がした。

 一瞬いっしゅんのことなのに長く見つめ合っていたような不思議な感覚だった。

「それで青貴婦人殿は今どちらに? お部屋にいらっしゃるのですか?」

 フォルテはぎくりとした。もちろん同一人物だと答えるわけにはいかない。

「あ、えっと、今は湯殿で入浴中でございます」

 入浴中なら、さすがに今すぐ呼んでくれとは言われないだろう。

「青貴婦人様に何かお伝え致しましょうか?」

 フォルテが問うと、アルトは少し考えてから答えた。

「いいえ。できれば青貴婦人殿にも私のことは言わないでもらえますか? あなたに見つかってしまったのは私の失態です。私のことは内緒ないしょにしていただきたいのです」

「でも青貴婦人様の味方ではないのですか?」

 アルトは何かを思案してから、決意したようにフォルテを見た。

「私はどうしても後宮の黒い噂の犯人を突き止めたいのです。私の大事な人もまた、この黒い後宮のせいになった一人なのです」

 思いがけない告白にフォルテは驚いた。

「アルト様の大事な方? 陛下のお妃様だったのですか?」

 もしかして想い人だったのだろうかと心の中をよぎった。

 しかしアルトは、その問いには答えなかった。

「クレシェン殿の密命のことは知っています。黒幕を見つけるという目的は、青貴婦人殿と同じですが私は表立って犯人をさがすわけにはいきません。だから密かに青貴婦人殿に協力したいのです。フォルテ殿も私に力を貸してもらえませんか?」

「力を貸すと言われても……私は……」

「ただのお付きの侍女といえども、青貴婦人殿がろうに入れられるのは嫌でしょう?」

「そ、それは、もちろん!」

 嫌に決まっている。牢屋に入れられる本人なのだから。

 考えてみれば、これは願ってもない救世主かもしれないとフォルテは思った。

「分かりました、協力しましょう! ただ、こちらはあまり情報を得ておらず……アルト様は三貴妃様について何かご存じなのですか?」

「ご本人に会ったことはありませんが、ご実家については多少の知識があります」

「ご実家?」

 アルトはうなずいた。

「アドリア貴妃様はブライトン公爵家、ダリア貴妃様はファッシーナ公爵家。この二家は古くより王家の重臣を務めてきた有力貴族です。もう一つヴィンチ公爵家と合わせて三大公爵家として議会で力を持ってきました」

「ヴィンチ公爵家?」

 フォルテは自分の家の名がアルトの口から出てきたことにドキリとした。

「ヴィンチ公爵家にお知り合いでも?」

「あ、いえ。聞いたことがあるなと思って……」

 フォルテは慌てて誤魔化ごまかした。

「ヴィンチ公爵家は姫君がおらず現王の正妃争いには参入しませんでした」

 それはフォルテが父の書斎しょさいで調べたヴィンチ家のけいで知っている。祖父はなかなか子宝にめぐまれず、父一人しか子が生まれなかった。

「ですが残るブライトン家とファッシーナ家は、娘が男児を生んで、正妃となることを強く望んでいただろうと思います。そういう意味では二人の貴妃様には王子や側妃を殺す動機はじゅうぶんにあります」

 アルトは言葉を選ぶようにうつむいて考えながら続けた。

「そして、もう一人の貴妃様にはまた別の事情があるのですが……」

「別の事情とは!?」

 フォルテは思わず身を乗り出して尋ねた。

 気づけば、ほぼ同時にフォルテの方に顔を向けたアルトの瞳が至近きょにあった。

 社交界にも出ていないフォルテにとって歳の近い男性とこれほど接近するのは初めてのことだった。そしてアルトもまた長らく年若い女性を近くで見ていない。

「ご、ごめんなさい」

「いえ、こちらこそ失礼致しました」

 二人はおたがいに真っ赤になって謝りながら、ぱっと距離をとった。

 どきどきして落ち着かない。二人ともこんな気持ちになるのは初めてだった。

 そしてアルトは、くささを誤魔化すように思いがけないことを言った。

「実は後宮には外に通じる隠し通路があると言われています」

「隠し通路?」

「ええ。クーデターなどが起きた時に、王が外に逃げるための隠し通路です。それが、この後宮のどこかにあるらしいのです。本宮も仮宮も隅々すみずみまで探してみましたが、見つけることはできませんでした。あと考えられるのは三貴妃様の宮だけです」

「その隠し通路を探したら何か分かるのですか?」

「それは……」

 アルトは何かを言いかけて思い直したようだった。

「三貴妃様の宮を調べるのは危険なので、そちらは私が調べます」

「え? でも……」

「あなたは私が話した情報をさりげなく青貴婦人殿の耳に入れてくれるだけでいいです。そして、占いで分かったことを私に教えてほしいのです」

「……分かりました」

 ここは素直にアルトに従うことにした。

 三貴妃にバレて占いをする前に追い出されたら大変なことになる。

 不安を浮かべるフォルテをづかうようにアルトは優しくほほんだ。

「大丈夫です。もし何かあったとしても青貴婦人殿が牢屋に入れられないように善処をくします。だから、くれぐれも無茶をしないでください」

「わ、分かりました。でも、あなたはいったい……」

 クレシェンの密命まで知っていて、牢屋に入れられないように働きかけることができるらしいこの騎士は何者なのか、とフォルテは思った。

 しかしアルトは、フォルテの疑問に答える前に、ふわりと塀に飛び乗り「また来ます」とだけ告げて行ってしまった。

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