5-③


   * * *


「はああ~。夕日が気持ちいいわ~!」

 フォルテは久しぶりにヴェールを外して、窓から差し込む日差しを一杯いっぱい浴びる喜びにひたっていた。

 キャラメル色の髪は高く結んでポニーテールにしている。服は動きやすいこんの侍女服だ。

 アドリア貴妃の占いを終えた後、ブレス女官長に憑依したゴローラモが侍女服を手に入れてきたのだ。さらに占い師の世話用に臨時の侍女を親戚の娘にたのんだといってクレシェンにしょうかいしてもらった。これで安心して部屋を自由に出入りできる。

「あんまり危険なマネはしないでくださいよ。はっ。はっ。ふう~。侍女服を着ているからってどこでも出入りできるわけではありませんから。はっ。はっ。ふう~」

「分かってるわよ。ゴローラモったらクレシェン様に聞かれて思わず本名を言っちゃうんだもの」

 クレシェンに「臨時の侍女の名は?」と聞かれたゴローラモ女官長が「フォルテ」と答えてしまったのだ。

 だからといって今はとくも失ったヴィンチ家の娘だとバレることはないと思うが。

「私うそをつけないしょうぶんでして。申し訳ございません。はっ。はっ。ふう~」

「ところでさっきから何をやっているの?」

「見ての通り、屈伸くっしん運動です。いざという時フォルテ様を守るためきたえておこうと思いまして。しかしこのぼうだらけの体ときたら、腹筋しようにも体が上がらず、スクワットしようにも一回で息が切れるんですよ。ああ、たおけんと言われた私がこのようなしゅうたいをさらそうとは。親愛なるテレサ様。どうかみにくき子羊をお許しください。はっ。はっ。ふう~」

「運動するか、お母様にざんするかどっちかになさいよ」

 ゴローラモはブレス女官長の巨体で、器用に屈伸運動をしている。動きにみょうな切れがあってなんだかおかしい。

「それより先程のアドリア様にはおどろきましたね。はっ。はっ。ふう~」

 ゴローラモは、今度は足上げ運動にちょうせんしている。

「まったくよ。これで一件落着かと思ったのに」

 占いを始めたフォルテに向かって、開口一番「私が殺した」と言い出したのだ。

 よくよく話を聞いてみると、殺したというのは飼っていた小鳥のことだった。中庭に飛んできた美しい小鳥をつかまえて飼っていたらしい。部屋で飼っていたその小鳥が、ストレスからか羽を自分でむしるようになり、可哀想かわいそうだからと外に連れていってやることにした。

 しかし外に出ると、小鳥は空に羽ばたきたくなったのだろう。まあ、鳥だから当然だ。だから逃げないように強く強くにぎりしめた。そうして気づいた時には冷たくなっていたらしい。あまりに幼い少女のあやまちだった。無知が小さな命をうばった。

 さすがに殺したという事実は幼いながらもショックだったらしい。

「青貴婦人様、私はごくに堕ちますか? 煉獄れんごくの馬車がむかえに来ますか?」

 それがおそろしくて眠ることもできなかったらしい。

だいじょうですよ。お墓を作って毎日お水をやって謝ってください。それを続ければ、小鳥も許してくれます。もう二度と同じ失敗をしないことです。そうして今度は困っている生き物がいたら助けてあげてください」

「ああ、よかったあ。毎日お墓に謝ればいいのね。そうすれば地獄に堕ちないわね?」

「はい。悪意なくやった過失です。神様もそこまで無慈悲むじひではないでしょう」

「ああ。これで安心して眠れるわ」

 どうやらそれを確かめるためだけに占い師を呼んだらしい。

 自分の未来を占ってほしいわけではないようだった。だから結局いつもの色石を使った占いはやらないままに、とりとめのない幼子の話し相手になって終わってしまった。

 日がかたむき始めるまでアドリアの宝物を一つ一つ見せられ、絵合わせやボードゲームにも付き合わされた。子どもと遊んでやっている感覚だった。

「もしかして陛下も私のように、アドリア様と過ごしていたのかしら?」

 ふと感じた推測は、今では確信に変わっていた。

「まあ、自分にえて考えたなら、あのような幼い少女に女性として手出しするのは罪悪感をいだきますね。というか恋愛れんあい対象にはなりませんね。はっ。はっ。ふう~」

「じゃあ世継よつぎの子どもなんてできるわけがないわね。もっと女同士の嫉妬しっとドロドロの世界かと思っていたけどひょうけしたわ。少なくともアドリア様はそういう世界とはえんだもの」

 そしてそれが不幸とも思ってなければ、変えたいとも思っていない。

 いや、きっと変えたくないのだ。

 永遠の少女。永遠の無垢むく

(アドリア様にとっては、それが一番幸せなのかもしれない)

 考えを巡らすフォルテはゴローラモのさけごえで我に返った。

「た、大変ですっ!! フォルテ様っ!!」

「どうしたの!?」

 何か重大な事実にでも気づいたのかとあわてた。

「この体はうでせをしようにも、お腹が先に床についてしまってできませんっ!」

 ゴローラモはそうな顔で、腕より出張ったお腹でうつせのままジタバタしている。

「……」

「なんたることだっ。指一本で腕立て百回できたこの私が……。ああ、テレサ様。あなた様にこの姿を見られなかったことだけが救いでございます。このようなずべき体に憑いた私をお許しください」

「勝手にやっててちょうだい」


 フォルテは太った体を持て余す側近を置いて小さな庭に出た。

 いつの間にか夕日はしずみ、夜空に満月が光っている。

「このへいを登ったらどこに出るのかしら?」

 ゆうべ黒の騎士が飛び乗った塀に近づいて見上げた。近くで見ると思ったよりも高い。

「この塀に飛び乗ったの? そんなことできる? まさかあの騎士は……」

 人間じゃなかったのかも、と思い始めたところで人の気配に気づいた。

庭の片隅かたすみから黒いかげが、やみがすようにすっと現れるのが見える。

 フォルテは青ざめた顔で後ろに一歩下がった。

 その一歩をめるように黒い影も一歩進む。

(こんな所に忍び込めるなんて……もしや後宮の黒幕? 暗殺者なの?)

 ゴローラモを呼ぼうにもきょうこおりついて声が出ない。殺されるのだと思った。

 そうして月が雲から姿を現すように、黒い影が正体を見せた。

 暗殺者の恐ろしい風貌ふうぼうを想像していたフォルテだったが、意外にもさわやかな黒髪に全身黒ずくめの男は、月の精霊かと見まごうほどの美しい騎士だった。

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