1-②


「これは?」

 男は怪訝けげんな顔でフォルテを見つめた。

「つ、つぼです!」

 言い切るフォルテの手には、モザイク調のった装飾そうしょくいろどられた小ぶりな壺がにぎられていた。

「壺? これがいったい……」

「こ、これはただの壺ではございません。わたくしが念をめ、朝に夕にいのりを捧げた特別な壺でございますの。これをそばに置いて大事に手入れをすれば、必ずやすべてがよい方向に向かうことでしょう。間違いございません!」

「この壺が? 本当に?」

 黒フードの男はあやしむように占い師のヴェールを覗き込んだ。

 フォルテはぎくりとして壺を引っ込める。

「し、信じないのならいいですわ。壺のことは忘れてくださいませ」

 そのままテーブルの下にもどそうとしたフォルテの手を、黒フードの男がつかんだ。

「誰が信じないと言った。もらおう。いくらだ?」

「いえ、やっぱりこの壺は……あっ!」

 黒フードの男は、再び戻そうとしたフォルテからうばうように壺を受け取った。

「この壺は私がもらう。これだけはらえば文句ないだろう!」

 男は有無うむを言わさずふところから札の束を出してドンと机の上に置いた。

 フォルテは目の前の大金にごくりと唾を飲み込む。

「なんだ! 足りないのか?」

「い、いえ。充分じゅうぶんでございます。ありがとうございます」


 壺を手に揚々ようようと帰っていく黒フード男の後ろ姿を見送ってから、フォルテはヴェールを外した。キャラメル色の豊かな髪がこぼれ、んだ空色の瞳が悔恨かいこんかげると、そのまま丸テーブルにした。

「ああ……ついに犯罪に手を染めてしまった……」

 罪悪感に落ち込む少女のとなりには、すでに天をあおいで懺悔ざんげの姿勢にひざまづく側近騎士きしがいた。正直そうなちゃ色の瞳が印象的な、二十代とおぼしき青年だ。

《ああ、親愛なるテレサ様。ついにあなた様の娘が悪事を働いてしまいました。止めることができなかった私をお許しください。うう……うう》

「私だって分かってるわよ、ゴローラモ! でも仕方がなかったのよ! どうしてもお金が必要だったんだから……。分かるでしょ?」

《ですが、亡きテレサ様が知ったらどれほどおなげきになったことか……。あの清らかで美しい奥様おくさま愛娘まなむすめが……。よりにもよって霊感れいかん商法に手を染めるなんて》

「どうせ私はお母様のように清らかでも美しくもないわよ」

《いえ、お顔はテレサ様に生き写しでございますが、中身が残念……あ、つい本音が。これは失礼いたしました》

 側近の騎士は、わざとらしく深々と頭を下げる。

「いいわよ。分かってるわ。その上犯罪にまで手を染めて、もうまともな結婚もできないわね」

《それでいったいいくらで売ったのでございますか?》

「いくらかしら? この厚みから考えると一万リルぐらいあるわね」

《はい?》

 精悍せいかんな騎士姿の側近は、短くまとまった茶髪ちゃぱつかたむけ聞き直した。

「だから一万リルよ。これでビビアンの薬が買えるわ。よかった」

《フォルテ様。確かあの壺はテレサ様が輿し入れの時に持参した、高名な壺師に作らせた大変貴重なお品でございました》

「え!? 物置にあったから持ってきたのに、まさかお母様のものだったなんて……」

 屋敷やしきの物置でほこりを被っていた壺だ。みがいてみたらずいぶん綺麗きれいになったので使えると思って持ってきたのだ。

《ええ、ええ。確かにあれは花をかざったり水差しにしたりするような使い勝手のいい壺ではございません。王家の窓辺に飾っても遜色そんしょくのない貴重な芸術作品でございますからね》

「そ、そうなの? 知らなかったわ……」

 騎士の額にはいかりジワが浮かんでいる。

《なんということを……。あれは十万リルのがついてもおかしくない代物しろものでございますよ! ああ、なんておろかな。テレサ様の形見に等しい品なのに》

「そんな……! 今更いまさら取り返すのも無理だし、どうしましょう。でも売り値に関係なく、犯罪に手を染めたことは確かだわ」

《何言ってるんですか! 霊感商法とは二束三文の劣悪品れつあくひんを高値で売りつけることを言うのです。高価な芸術品を十分の一の値で売って誰がうらむんですか! 驚くべき逸品だったと知って感謝されますよ》

「だって壺をそばに置けばいいことがあるって言ったのよ。それを信じてあの人ははだはなさず持ち続けるのよ。ああ、神様。ごめんなさい。うそをついて人をだましたりしたからばちが当たったのよ。お母様の大切な形見だったのに……」

 丸テーブルに突っ伏したまま頭をかかえる少女に、側近騎士はそっと手をばした。

 そしてキャラメル色のつややかな髪をぜようとしたが、その手は少女の髪にけ込むようにすりけてしまった。

 茶髪の騎士は少女に気づかれないままに、くやしそうにその手を見つめる。

 そして気を取り直して言葉をかけた。

《フォルテ様は何も悪くありません。すべてはビビアン様のためにしたこと。神様も、亡きテレサ様も分かっていらっしゃいますよ》

「ありがとう。……そうね、早くえてビビアンに薬を買って帰らなきゃ。今朝飲んだのが最後の薬だったのよ。急いで飲ませないと命が危ないわ」

 妹のビビアンは薬が切れると発作ほっさを起こす病にかかっているのだ。

 準備を終えると、戸口に三十前後の長い銀髪ぎんぱつの青年が立っていることに気づいた。

「ピット……」

 動きやすい綿のブラウスに緑の長丈のベスト姿の青年がやわらかくほほんでいる。

「またフォルテ様の独り言ですか? ずっと話し声が聞こえていましたが……」

「あ、ええ。そ、そうなの。ずっとしゃべってないと落ち着かないたちだから」

 フォルテは誤魔化ごまかすように話を合わせた。

「そろそろお屋敷に戻らないとまずいかもしれません。今日の占いは終わりましたか?」

「ええ。今のお客様で最後よ。いつも付き合わせてごめんなさい」

「いいえ。私のことなら気になさらないでください。あなた様ほどの身分がありながら、従者も連れずに一人こんな所で占い師の仕事など……」

「いえ、従者ならちゃんと……」

 フォルテは横に立つ背の高い騎士を見上げた。

「え?」

「ううん。なんでもないわ。私のことなら心配しないで。占い師をやるぐらいだもの。危険を察知する能力だけは高いのよ」

 そう。とてもたよりになる一流の剣の使い手でもあった側近騎士は、もうこの世に存在しない男だ。なぜなら五年も前に死んでしまったから。

 亡き母を全身全霊ぜんしんぜんれいで敬愛する側近であった彼は、娘達をたのむと言われていながら、最悪の状況じょうきょうの時に死ぬことになった無念から成仏じょうぶつできずに現世に残った。

 だが誰にも見えない幽霊ゆうれいにできることなど何もない。どくに打ちひしがれながら屋敷をうろうろしていたゴローラモだったが、ある日フォルテがためらいながら尋ねた。

「ずっと知らない人がいると思っていたけど、ゴローラモ? ずいぶん若くなったのね」

 驚いたことに誰にも見えないはずの騎士は、なぜかフォルテにだけは見えていた。

その日から、テレサの忠実な騎士は、フォルテの側近霊騎士となったのだ。

《道中の危険はこの私が命に代えてもかい致します。ご安心を》

 ゆうに跪く騎士に、フォルテは小声でささやいた。

「代える命がもうないじゃないの。調子いいんだから。しかも五十で死んだくせに、ちゃっかり二十代の容姿に戻ってるし」

《フォルテ様の側近に相応ふさわしい姿になったのです。これもぶかいテレサ様のお導きでございましょう》

 生きていれば、誰もがうっとりれるような精悍で美しい騎士だった。

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