1-③


   * * *


「アルト様、ご決断ください」

 王宮の一室では栗色の巻き毛を垂らした、容姿にも服装にも隙のない、あるいはわいげのない青年が跪いていた。

 その横には肉のかたまりと言っていいほどの巨体きょたいが、遠慮えんりょがちにチョコンと両膝をつけて跪いている。本来片膝を立てるのが正式な拝礼の形だが、片膝かたひざだけではこの巨体を支えきれないため、特別にこのダルだけは略式を許されていた。

「決断? このくだらぬ議案のことか? クレシェン?」

 アルトはげん頬杖ほおづえをつきながら、栗色巻き毛の青年に言い捨てた。

 長い金髪を後ろで束ね、黒に近い葉緑の瞳を険しくゆがめる。不機嫌な顔をしてもどこか育ちのよさや人のよさが滲み出る美しい青年だ。

「はい。今最も重大な議案でございます」

 クレシェンと呼ばれた男は、王太子のあつに怯むこともなく慇懃いんぎんれい即答そくとうした。

「これのどこが最も重大な議案なんだ!」

 アルトは議案の書かれた羊皮紙を側近に広げてみせた。

「ダル、読んでみろ!!」

 ダルは贅肉ぜいにくと筋肉が仲良く共存する巨体を揺らし、羊皮紙に顔を近づけた。

「おい、顔!! 油断しきってるぞ!」

 られて、ダルは八の字に垂れ下がっていたまゆを慌てて凶悪きょうあくげた。

 途端とたんに人のいい相貌そうぼうが、極悪ごくあく非道な鬼軍曹おにぐんそうの顔になった。

 あまりの人相の悪さに、アルトは一瞬いっしゅんたじろぐ。

「待て! 怖過ぎる。そのぐらいでいい」

「はい。失礼致しました」

 ダルは恐縮きょうしゅくしてから、適度な鬼軍曹顔に安定させて羊皮紙に目を向け読み上げた。

「一カ月後の秋の収穫しゅうかく祭の最終日に王宮にて舞踏ぶとう会を開く議。なお、この舞踏会において王太子殿下でんかめられし美姫びきを、新たに後宮に入宮させることを第一の目的とする」

 アルトは深くうなずいてから、ぎろりとクレシェンをにらみつけた。

「これのどこが重大議案だ! くだらん!!」

「先日の議会にて国王じょうが正式に決定し、いよいよアルト様の時代が参ります。国王陛下がご病気がちだったため、重臣の中にはまるで自分が王のごとくう者もおり、王権が不安定になっております。民衆の間でも王家の失墜しっついを囁く声が聞こえておりますゆえ一刻も早くあとぎを見せて王としての盤石ばんじゃくな地位を作ることが重要でございます」

「だからといって、まだ王にもなっていないのに早まり過ぎだろう」

「いいえ。おそ過ぎるくらいです。思えば五歳のころよりおそばに仕えさせていただき二十年。事情があったとはいえ浮いた話一つなく、もしや女性に興味がないのではとかげながら深く心を痛めておりました」

「それは違うだろう。気になる姫君ひめぎみがいたとしてもお前の圧が怖くて気持ちがえてしまうというのが正直なところだ」

「なんと! 私のせいだと申されますか! これほどアルト様一筋に仕える私の!」

 ショックを受ける側近に、アルトは慌てて言い直した。

「いや、お前のあふれんばかりの忠誠は分かっている。私が今もこうして生きていられるのはひとえにお前の並々ならぬ尽力じんりょくのおかげだ。感謝している」

 実はアルトの二人の兄は後宮内で暗殺されている。父王は残された王子達の身を案じ、後宮から出して信頼しんらいできる貴族の元でひそかに育てさせた。だが、その王子達すら次々暗殺され、残ったのはクレシェンの家で育てられたアルト一人になったのだ。

 アルトだけが無事だったのは、このクレシェンの知力と、彼の実家でたたき込まれたアルトの剣技けんぎと、それから……。

 クレシェンの隣ではダルが眉を八の字に下ろして油断している。

「ダル! 顔!!」

 ダルは慌てて眉を吊り上げ、鬼軍曹の顔に戻した。

 このダルの泣く子も黙る凶悪な人相と、毒をける鼻きのおかげだ。

 その二つの能力を買われて、幼い頃からいつも二人のそばにいるダルだが、恵まれた巨体を持ちながら剣の腕前はからっきしだった。

 一年前、譲位を決意した父王がアルトを王宮に戻した。最後の一人となったぎの身を案じごくに戻されたはずが、どこからか情報が刺客しかくおそわれたことがあった。

 その時ダルがられそうになり、アルトが思わず身をていして守ったのだ。クレシェンは護衛のくせに主君に守られたダルにカンカンだったが、その目撃者もくげきしゃ達から、王宮に戻ってきた王子は信じられないほどの巨体だと勘違かんちがいしたうわさが広まった。クレシェンはその方がアルトを守るのに都合がいいと黙認もくにんし、その噂はいまだにきちんと否定していない。

 こうしておもてたいに現れないなぞ多き王太子は、名前さえも知られぬまま民衆の間で様々に噂されていた。

 しかし正式に王となるなら、もう隠れてばかりもいられない。

 今度の舞踏会がそく前の王太子の大々的な初お披露目ひろめの場でもあり、クレシェンはその場で後宮に入れる姫君まで決めてしまおうと言うのだった。

「アルト様。急がねばならないのです。今度の舞踏会で未来のおう様を見つけていただかねば困るのです。これをのがせば子のさずからぬ運命かもしれないのです」

 なぜか尋常じんじょうでなくあせるクレシェンに、アルトはかたをすくめた。

「舞踏会を開いてガラスのくつを履いたシンデレラを見つけろというのだな」

「シンデレラでも白雪姫しらゆきひめでも美女でもじゅうでも、なんでもいいから選んでさっさと世継ぎを作ってください!」

「今選んじゃいかんものが一つ混じってなかったか?」

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