2-②


「昼からペルソナ様がいらっしゃるのよ。お茶を出してほしいの」

 その言葉にピットがぎょっとしてとなりにいるフォルテを見る。

 フォルテは予想外の用事にくちびるみしめた。

「ほら、マルベラとの婚約こんやく話が進んでいるでしょう? ペルソナ様ったらずいぶんマルベラが気に入ったようで、三日と空けず会いに来られるのだもの。ああ、そうだわ。美味しいケーキでも焼いておいてちょうだいね、ピット」

「か、かしこまりました。ですが……お茶は誰か別のメイドに出してもらっては……」

 ピットは、なんて意地の悪い女だろうかと思った。

 ペルソナというのは、幼少からフォルテの婚約者として両家で約束をわしていた相手だった。しかし今は、ナタリー夫人の連れ子であるマルベラが婚約者にとって代わろうとしている。

「あら、知らないあいだがらでもないのだし、ペルソナ様も久しぶりにフォルテに会いたいと言っておられたのよ。フォルテのために言ってあげてるんじゃないの」

「ですが……」

 反論しようとするピットの腕をフォルテが引いた。

「いいのよ、ピット。私もペルソナ様には一度会っておきたかったから」

 両親の葬式そうしきから一度も会っていない。

「でも……」

 不安そうなピットにフォルテは微笑んでみせた。

「大丈夫。心配しないで」

「ああ、そうだわ。あなたにも朗報があったのよ、フォルテ」

 ナタリー夫人は今思い出したように、意地の悪い顔でフォルテをちらりと見た。

「先日、王宮より招待状が届いたのよ。一カ月後の収穫しゅうかく祭の最終日に、王宮でとう会が開かれるの。そこで王太子殿下に気に入られた姫君ひめぎみが、新たに後宮に召されるらしいのよ。だんしゃく以上の名家は、一人だけ娘の参加が許されているの」 

「王宮の舞踏会?」

 フォルテははずんだひとみほほを紅潮させた。

 別に王太子にめられたいわけではない。舞踏会というものに興味があるのだ。

「私が……行ってもいいのですか?」

 継母ままははになってから、初めてナタリー夫人がいい人だと思えた。

 しかし、そんな思いは僅かの時間でくつがえされる。

いやだわ、何を勘違かんちがいしているの? 図々ずうずうしいわね」

「え?」

「もちろん、このヴィンチ家からはマルベラが行きます」

「え? でも……」

 ペルソナとの婚約話が進んでいるのではないのか……?

なかこうしゃくのペルソナ様と王太子殿下のきさきだったら優先順位は決まっているじゃないの。だからマルベラがもし殿下に見初められて後宮に入ることになったら、ペルソナ様はあなたに返してあげるわ。朗報でしょう?」

 フォルテはショックを受けた顔で義母の言葉を受け止めた。本来なら公爵家の正当な血筋であり、長子でもあるフォルテにすべての権利があったのだ。

 ピットが心配そうに、ちらりとこちらをうかがってくる。

 しかし、この数年で奪われることに慣れたフォルテは、ゆったりとうなずいた。

「分かりました、お義母様。感謝いたします」

 フォルテはもう一度ドレスをつまんで頭を下げた。

《このくそ女め! 母親面しやがって! 精神的に参っておられた公爵様をたぶらかし、まんまと後妻に入り込んだじょめ! このっ! このっ!》

 つんと部屋を出ていくナタリー夫人をばしながら、ゴローラモが悪態をついている。

「ふふ。やめなさいったら……」

 ただ一人見えているフォルテは、しょうしてたしなめた。

「え?」

 ピットは首をかしげる。

「あ、いえ、なんでもないわ」

 ナタリー夫人の様々な仕打ちにも明るくえられるのは、このゴローラモがフォルテ以上の怒りをもって仕返しをしてくれているからだ。

 ただし、まったくダメージをあたえることはできないが……。

 でも、むしろそれでよかったとフォルテは思っている。

「舞踏会に行きたかったのではないですか?」

 ピットはづかうようにたずねた。

「まさか! うっかり凶悪人相の殿下の後宮なんかに入ることになったらどうするのよ。絶対嫌よ! マルベラが出てくれてよかったわ」

「でも王太子殿下ですよ。おうになれるかもしれないのですよ」

「まっぴらごめんだわ。今の国王のせいで私達まいはこんなきょうぐうになったのよ」

 フォルテは妹を不幸にしたデルモントーレ国王を、決して許さないとちかっている。

 もちろんそのむすの王太子も同罪だ。


 五年前に母テレサがくなった。母を心から愛していた父であるヴィンチ公爵は、ショックのあまり部屋に引きこもるようになってしまった。それほど父は母を愛していた。

 そんな時にメイドとして入り込んできたのが、ナタリー夫人だった。

 どこぞの貴族の血筋だが今は没落ぼつらくしてメイドとして働いているというナタリー夫人は、入った当初から態度がでかく図々しく、気づけばメイド頭のようにい、あっという間に父の世話を取り仕切るようになっていた。

 その頃には無気力にベッドの上でほとんどの時間を過ごしていた父は、ナタリー夫人が世話をするようになってからさらに悪化し、一週間ほどでたきりになってしまった。

 その寝たきりの父が、どういうわけかナタリー夫人と結婚けっこんすると言ったというのだ。

 ナタリー夫人の手には、父の署名が入った結婚嘆願書たんがんしょがあった。

 デルモントーレ国では、公爵の結婚は国王のしょうだくを得ることになっている。

 なぜなら、公爵家は政治に大きな一石を投じる事ができるからだ。

 この国の政治は王と重臣達、そして王国の各地の領土を治める公爵家によって成り立っている。特にこのヴィンチ公爵家は、王宮にも近い領土を治める有力貴族だ。

 だから公爵家の当主の結婚は、ぎんに吟味を重ね、権力が集中し過ぎないか、不当なこうがないかよくよく調べてからでないと許可が下りない。

「あんなインチキ嘆願書、陛下の許可が下りるわけがありません」

 当時は健在で、フォルテの護衛騎士きしとして働いていたゴローラモは、浅はかな女の戯言たわごとだろうと、さほど心配をしていなかった。

 どう考えても身分違いであやしい女の差し出す嘆願書など門前もんぜんばらいだろうと思っていた。

 公爵の結婚には二カ月ほどしんに時間がかかるので、その間に女のじょうを調べて追い出せばいいと、軽く考えていたのだ。

 だが、何をどうやったのか国王の許可は三日で下りた。

 しかもその翌日、ヴィンチ公爵は亡くなってしまった。

 そして一週間後には、ナタリー夫人は連れ子のマルベラを屋敷に呼び寄せ、すぐに別の男と結婚し、公爵家に婿むこりさせた。

 それら一連のことに関する書類は、なぜかあきれるほど簡単に王の許可が下りた。

 フォルテはヴィンチ公爵を名乗る義父に、いまだ会ったことはない。

 ナタリー夫人とも会っている様子はない。

 そして、何かの陰謀いんぼうを感じひそかに調べていたゴローラモは、ねむぐすりを飲まされた翌日に死体となって見つけられた。

 すべては五年前のほんの三カ月ほどの間に起こった出来事である。

 そうしてフォルテはとくを奪われすべてを失った。

 頼りにしていたしつやメイド達はピットを除いて全員かいされ、ナタリー夫人の連れてきた怪しげな者達にえられた。

 その上フォルテとビビアンは部屋から追い出され、せまい物置小屋に押し込まれた。

 部屋にあったドレスも調度品もすべて奪われ、姉妹ですきま風の吹く質素な部屋で身を寄せ合って暮らしている。そして使用人の一人のようにこき使われてきた。だが元々体の弱かったビビアンは、過酷な暮らしで持病を悪化させ、今では薬が手放せない状態になっている。

 フォルテだけなら、こんな家を捨てて占い師をしながら一人生きていったかもしれない。しかし病弱な妹には屋敷を出ていく体力すらない。

 だからどれほどひどいあつかいを受けようとも、ここで暮らすしかなかったのだ。

 そんな苦しい暮らしを続けて五年。

「公爵家の家督がこんなに簡単に奪われるなんてありえないわ!!」

 父の書斎でこっそり調べていたフォルテは、ゴローラモの言う通り、それがいかに異常な事態であるかを知った。王がきちんと政治を行っていれば、こんなことは起こるはずのないことだった。だから尚更なおさら、無能な王が許せなかった。

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