第二章 不遇の公爵令嬢

2-①


「ねえ、ピット。この国ってだいじょうなのかしら?」

 フォルテはしきちゅうぼうで焼き菓子がしをつまみながら銀髪ぎんぱつの料理長に話しかけた。

「どうしたのですか? 急にそんな心配をして」

 人のよさがにじみ出ている料理長は生地きじばしてうすいパンを形作りながらフォルテを見下ろした。フォルテが手伝うと言っても「ではうらないでおつかれでしょうから、この焼き菓子を食べてから」などと言っていつも休ませてくれる。

 両親が健在のころから、ここでピットのお菓子かし作りをながめながらおしゃべりするのが日課だった。この瞬間しゅんかんだけ、あの幸せだった頃にもどった気分になれる。

「ほら、もうすぐ国王陛下がじょうなさるってうわさでしょ? でも次の王になる王太子殿下でんかってずいぶん太っていて、それはそれはきょうあくな人相らしいって噂なのよ」

「え? 王太子殿下は太っているんですか? 金髪の美青年だと聞いたことがありますが」

「以前に占ったごれいじょうの知り合いが王宮で働いていて殿下を見たことがあるらしいの。王宮内でも一部の人間しかお顔を知らないって話だけれど、刺客しかくおそわれて中庭に飛び出てきたところを偶然ぐうぜん見たそうよ。うでのいい側近に守られて、おそろしい形相で巨体きょたいを丸めてふるえていたらしいわ」

「そうなんですか……」

 ピットは相槌あいづちを打ちながら、器用に生地を伸ばしてくるくると丸めている。

 厨房のほう使つかいとまで言われるピット料理長は、若いがとても腕のいい料理人だ。

 本当はあちこちの貴族からきのさそいがかかっているのだが、フォルテのためにこのヴィンチ公爵家にとどまってくれている。

「ここだけの話よ。気弱な陛下をずっとあやつってきた重臣達が、譲位を機にクーデターを起こす動きが出ているみたいよ」

「フォルテ様、またそんな恐ろしい情報をこんな所で気軽に言って。だれかが聞いていたらどうするんですか」

「大丈夫よ。他に誰かいたら教えてくれるから」

「え? 教えるって誰が?」

 フォルテはあわてて口を押さえた。

 れい騎士きしゴローラモのことを知っているのは、妹のビビアンだけだった。

「か、かんってヤツね。ほら、私って昔から勘がいいでしょ?」

「ええ。それはそうでございますが……」

 母テレサの死も、父の公爵の死も幼いフォルテは予知していた。

 フォルテはゴローラモが霊としてつきう前から、勘のするどい子どもだった。

 いや、そういうフォルテだからゴローラモが見えるのかもしれない。

「しかし、そんな情報をいったいどこから……」

「最近占いの仕事がすっかり評判になって、王宮の重臣なんかもおしのびで来ることがあるのよ。恋愛れんあい関係がほとんどの婦人方と違って、国政の相談なんかが多いの」

「フォルテ様の得意分野でございますね」

「まあね。したこともない恋愛相談よりはよっぽど答えやすいわ」

 フォルテは父が死んでから誰も入ることのない書斎しょさいに、こっそり入り込んで書物をあさるのが趣味しゅみのような変わった子どもだった。

 しかし、その根底にはぐうな自分の立場に対する猛烈もうれついかりがある。

 こんな政治をする国王のせいで、自分と妹は不幸なのだと……。

 おかげで政治のコアな相談にも、石の持つ意味を的確に伝えることができた。

「まさかクーデターが成功すると占ったのですか?」

「ううん。さすがにそんなことにはなってほしくないしね。クーデターが起これば、数年は国が乱れるわ。それに……成功しないだろうと思うの」

 フォルテがそう思うなら、成功しないのだろうとピットは胸をろした。

 二つのうちどちらを選ぶか。

 その選択せんたくにおいてのフォルテの勘は、幼い頃から本当にすぐれている。

「それにしても、やはり占いをやるのは危険ではないですか? 男性と二人きりで、もしものことがあったら……」

 ピットは、フォルテが占い師をすることには最初から反対していた。

 三年前、妹の薬を手に入れるために働くと言い出した時は本気で心配してくれた。

「大丈夫よ。『青貴婦人は四十代の未亡人』という設定で変装しているから。誰もその正体が十七のむすめだなんて思ってないわ」

「でも万一ヴェールを取られて顔を見られたら。フォルテ様の美しさに心をうばわれて無体なことをするやからが現れるやも……」

 心配するピットをよそに、フォルテはぷっとした。

「もう。そんなふうに思っているのはピットだけよ。顔を見られたら、こんな小娘に相談していたのかとおこる人はいるかもしれないけど」

 笑い飛ばすフォルテにピットは不安を滲ませた。

 この公爵令嬢は知らないのだ。自分がどれほど美しい容姿をしているか。

 社交界にデビューする前に両親を失い、屋敷の中しか知らない少女には、その美しさをたたえる男性達と出会う機会がなかった。

 さらには公爵が死ぬ前におかした失態によって、明るい未来さえも失った。

 このびんな少女がたよれる大人は自分しかいない。

 そのことを痛いほど知っているからこそ、ピットはフォルテとその妹を守るために公爵家に残っているのだ。

《フォルテ様、ナタリー夫人がこちらに向かってきます》

 ふいに霊騎士が風のように姿を現し、フォルテの横にひざまずいて告げた。

「いけない! おさまが来るわ!」

 フォルテは食べかけの焼き菓子を慌ててたなにしまい、公爵令嬢にしては質素なドレスの上からメイド用のエプロンをつける。

「フォルテ様、この生地をこねてください」

 ピットは慌てて、まだ成型してない生地を大皿にのせてわたした。

 フォルテはかみを後ろに束ね、大急ぎで手を洗い生地をこね始める。

 それとほぼ同時ぐらいに廊下ろうかからかんだかい声がひびいた。

「フォルテ! フォルテはどこ? またピットのところなの?」

 やがて厨房の戸口に義母のナタリー夫人が姿を現した。

 フォルテは今気づいたという様子で、生地を丸める手を止め、きんで軽くぬぐってからドレスの両端りょうたんを持ち上げ貴族の娘の礼をする。

「ごきげんよう、お義母様。こんな所にまでなんのご用でしょう?」

 見事な挨拶あいさつをする義理の娘に、ナタリー夫人は細過ぎるまゆげ、口端を陰険いんけんゆがめた。

「またピットの手伝い? 本当に役に立っているのかしら?」

「非常に助かっております、奥様おくさま。ちょうどパンが焼き上がりました。よかったらおし上がりになっていかれますか?」

 ピットが代わりに答えてかまからパンののった鉄板を出した。

 パンのこうばしいにおいとチリチリ焼ける音が食欲をそそる。

「あら、美味おいしそうね。じゃあ一つだけ……」

 ナタリー夫人はたんげんを直して料理長にほほみかけた。

「美味しいわね。あなたの作る料理はどれも素晴らしいわ」

 ナタリー夫人はとしもなく、色っぽい目でピットを見つめた。

「ピット、助手がしいならもう一人料理人をやとってもいいのよ。あなたがフォルテに手伝ってもらいたいと言うから、ここに寄越よこしているけど、こんな素人しろうとが手伝っても役に立たないでしょう?」

「いえ、決してそのようなことはございません。フォルテ様のおかげで助かっております。どうかこのままお手伝いいただけたらと思います」

 公爵令嬢が料理人の手伝いなどつうはしない。

 だがここの手伝いがなくなったら、フォルテはもっとこくな労働に回されるのだ。実際に下働きがやるようなそう洗濯せんたくをさせられていた時期もあった。それを見かねたピットが自分の助手に使わせてほしいとたのみ込んでくれたのだ。

「あなたがどうしてもと言うなら仕方ないわね。ああ、そうそう。フォルテに用を言いつけに来たのだったわ」

「なんでしょうか?」

 またいつもの雑用かと思いつつ、フォルテは作り笑いをかべた。

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