4-③


「ブレス女官長、そちらは後宮の本宮でございますよ」

「あ、あら、そうだったわね。方向おんになっちゃったわ。ほほほ」

 いつもと様子のおかしい女官長に、侍女達は首を傾げて配膳室に入っていった。

 そして無沙汰ぶさたに入り口でおうちする巨体の女官長に、侍女達は何かダメ出しされるのかと震え上がったが、単に何をしていいか分からないだけだった。

 先に女官長がどういう一日を過ごしているのかリサーチしておくべきだった。

「ブレス女官長様!」

 そんなゴローラモが後ろから侍女の一人に呼びかけられた。

「な、何かしら?」

「クレシェン様がお呼びです。占い師様にご挨拶の後、部屋に来るように言っていたのにまだかと……」

「あ、あら。そうだったわ。ちょっと頭がぼんやりして……。お部屋まで一緒に行ってくれるかしら?」

「は、はあ。いいですけど……」


   * * *


「まったく。すぐに部屋に来いと言ったのに何をしているんだ、ブレス女官長は!」

 アルトのしつ室では、いらいらしながらクレシェンが部屋を歩き回っていた。

「太っていると歩くのに時間がかかるんです。許してあげてください、クレシェン様」

 ダルは、同じ肥満仲間としてブレス女官長には寛容かんようだった。

 そして朝食をまたしても食べ過ぎてソファにぐったり座っている。

「お前は朝から食い過ぎなんだ、ダル! 毒見と言いながらお前がほとんど食べてるじゃないか!」

「でも残すともったいないんで……」

 ダルは毒見ついでにアルトが残した食事を完食するのが日課になっていた。

「少しは運動したらどうだ! またしょうきゅう試験に落ちるぞ。早く殿下の側近に相応ふさわしい地位に上がれと言っているのに」

 口ではひどくののしるくせに、クレシェンはダルを気に入っていた。おそろしい顔の割に心根がやさしく絶対に裏切らない誠実な人柄に信頼しんらいを寄せている。あとは剣の腕さえ上達すれば王太子の側近として悪くないと思っているのに。

「まあ落ち着いてクレシェンも朝食を食べたらどうだ」

 アルトは一人掛けのソファに座って食後のフルーツをつまみながら言った。

 朝食はアルトの要望で、毎朝ここで三人揃って食べることになっている。

 三人掛けのソファにふんぞり返って座るダルと、一人掛けソファで姿勢よくフルーツをほおるアルトを見ていると、どの角度から見てもダルの方が主人に見える。

「私はブレスの話を聞いてから食べます。まったく、何をしているのだ」

 やれやれとクレシェンがかたをすくめたところに部屋の外から声がかかった。

「ブレス女官長様がいらっしゃいました」

「入れブレス! おそいぞ! 挨拶をしたらすぐに来いと言っただろう!」

 クレシェンが怒鳴どなった。

 つきいの侍女と共に部屋に入ったゴローラモ女官長は、ひざまずいて拝礼する侍女にならってクレシェンの前で太いひざをついた。

「も、申し訳ございません。少し気分が悪くなってしまい……」

「気分が? まあいい、早く報告せよ! あの占い師はどんな顔だった? 知っている顔ではなかったか?」

 ゴローラモ女官長は、はっと顔を上げた。

(そういうことか。着替えを手伝うふうをよそおって顔を見てこいと命じられていたんだな)

 すぐに理解するとゴローラモは答えた。

「残念ながらまったく知らないお顔でございました。非常にずかしがり屋の占い師様ですので今後のお世話は私が一手にお引き受け致します。私にだけはずいぶん心を開いてくださったようですので」

「ブレス女官長に?」

 クレシェンは若い女官や侍女に恐れられている強面こわもての女官長を見下ろし、首を傾げた。

「お前に心を開いたなら誰でもだいじょうそうだがな。まあいい。としはどうだ? 何歳ぐらいに見えた?」

 ゴローラモ女官長はすぐに答えた。

「おそらく四十代かと思われます。良家の貴婦人のようにお見受け致しました」

「ふむ。うそはないか……」

 クレシェンは少し考え込んだ。

「他に何か気づいたことやあやしい様子はなかったか?」

 クレシェンの問いに、ゴローラモは「いえ、何も」と首を振った。

 するととなりに跪く侍女が声を上げた。

「恐れながら、殿下、発言してもよろしいでしょうか?」

(え? 殿下?)

 クレシェンの後ろにはソファに座る二人の男が見えている。一人はこちらに背を向けて一人掛けのソファに座り、もう一人は三人掛けのソファでこちら向きにふんぞり返って座っていた。

「なんだ、申してみよ」

 クレシェンがソファに振り返り、視線だけで許可を得て代わりに答えた。それはゴローラモの位置からは、ふんぞり返って座る男に向けられたものに見えた。

「気づいたことと言いますか、驚いたことでございますが、朝食をどの程度ご用意しようかと迷い、多い分には失礼にあたらないだろうと、五人相当分の食事をお持ち致しました。すると、あの占い師様は短い時間にすべて完食しておりました。見たところ太っているようには見えませんでしたが、それはもう恐ろしい大食漢のようでございます。やはり常人ではないようにお見受け致しました」

「なんと、五人分を完食したのか! ダルやブレスにも引けをとらぬ食い意地だな」

 クレシェンはあきれ返った。

 だがアルトは、聞いていて少しおかしくなった。

「じゃあ、今度からは十人分持っていってやりなよ」

 そして大食漢に理解の深いダルが、アルトの代わりに答えた。

 一方、その五人分の朝食を平らげた本人でもあるゴローラモ女官長は――。

 ふくよかな贅肉にもれそうな目をまん丸に見開いて一点を見つめていた。

(ま、まさか……今答えたのが……王太子殿下……? あ、あれが……!?)

 その視線の先には、ソファに誰よりもえらそうにふんぞり返って座る巨漢、ダルがいた。

 しかも朝食を食べ過ぎて気持ちが悪いのか、世にも恐ろしい形相になっている。

 ゴローラモはただただ、ひどくショックを受けたように呆然ぼうぜんとソファにしずむ巨体を見つめていた。

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