第25話 苛立ち

 それから何週間が過ぎ、とうとうクラスマッチの日がやってきた。

 バスケの控えメンバーだった俺は、準決勝で惜しくも敗退したクラスメイトの勇姿を見届け、グラウンドで百坂たちの応援をしていた。ちなみに俺の出番はなかったが、ベンチで巧みにスクイズボトルをさばいてチームのベスト4進出に貢献した、はずだ。


「せんぱーい」


 聞き覚えのある声。

 振り返ると、アイドルのライブに来ているのかと疑うほどキラキラしたうちわを持った月宮が駆け寄って来た。

 うちわの中央には『神崎先輩』と書かれている。

 北代が月宮のことを思っていることはまだ月宮には言っていない。多少の罪悪感はあるが、このクラスマッチが終われば、月宮は嫌でもその事実を知ることになる。

 俺がサッカーのメンバーじゃない時点で勝負はついているのだ。


「おい何だそれ、目がチカチカするから捨てろ」


 普段と変わらない態度を心がけながら接する。


「何てこと言うんですか! 神崎先輩のファンに殺されますよ」


 また大袈裟な……と思っていると、四方八方からドス黒い殺意を感じた。

 見渡すと、月宮の持っているうちわなど比べ物にならないぐらいきらびやかなうちわとペンライトを持った神崎ファンが俺をぎろりと睨みつけていた。めちゃくちゃ怖いんだけど。

 何が一番怖いかってこんな真昼なのにペンライトを持っていることだ。いつ使うんだ? 真っ暗になったりするわけ? ボール見えねえじゃん。


「か、かんざきー! がんばれー!!」


 生命の危機を回避するためにこれ以上ない大きな声で叫んだ。

 すると、同志だと勘違いしたファンたちは俺の両手いっぱいにうちわやペンライトを渡し、再びグラウンドに向かって黄色い声援を浴びせた。だからペンライトいつ使うんだよ。

 ピピーッと試合終了のホイッスルが鳴った。

 結果は二対一で俺たちのクラスの勝利。


「すごいじゃないですか! 先輩たちのクラス決勝ですね」

「そうだな。じゃあ俺みんなのとこ行ってくるから」

「先輩!」


 踵を返してクラスメイトの祝福に向かおうとする俺を月宮の声が引き止めた。


「なんだ?」

「あの……、先輩は決勝戦出ないんですか?」

「何言ってんだお前。俺はバスケのメンバーだぞ。出られるわけないだろ」

「そう……ですよね。一緒に応援頑張りましょうね」

「おう」


 顔を少ししかめた月宮は、納得したように頷くと、うちわを突き出して親指を立てた。

 なぜそんな当たり前のことを聞くのだろうか。

 ある種目に登録されている生徒が、他の種目に出ることはルール違反だと言うことは月宮も知っているはず。

 まあ、月宮の考えていることなんか普段からよくわからないからいいんだけど。


「瀬良! 喜べ! 俺のスーパープレーで決勝まで来ちまったぞ!」


 クラスメイトのほぼ全員が集まっている輪の中から走り出して来た百坂が、俺の肩をがっちり掴み、自慢げに鼻を鳴らしながら言う。顔近い顔近い。それにいつもと同じトーンで話しかけて来たせいで、俺の鼓膜は破れる一歩手前だ。


「お前まじでうるせえよ」

「ああ、すまんすまん」


 謝る声すらうるさい。

 おもむろに迷惑顔を見せながら、百坂を引き剥がす。

 だが、準決勝の百坂のプレーは確かに光るものがあった。

 野球部エースで、ドラフト注目株ともなれば、やはり常人の身体能力とはかけ離れているのだろう。

 こいつ、うるさくなかったらさぞモテただろうにな……。

 などと、百坂の心配をしているところで、準決勝第二試合の試合終了のホイッスルが鳴り響く。

 結果は歴然だった。

 5−0で二年四組の勝利。

 普通のサッカーの試合でもこんなに大差がつくことはない。しかも、高校サッカーの試合時間は基本的には八十分。

 それに比べて、この学校でのクラスマッチは前半十分、後半十分の計に十分という非常に短い時間だ。

 まあ、クラスマッチなんてものは本気でやる部活とは違って、みんながみんな経験者じゃないし、本気でやってるやつなんかもいないから少々の点差がつくことは仕方がないことだろう。

 しかし、この試合は誰が見ても圧倒的な差があった。

 それもそのはず。二年四組のメンバーは八人中六人が現役のサッカー部で、一人は陸上部のエース、ゴールキーパーを務めていた奴はバレー部でリベロを務めている、らしい。全部百坂情報だ。

 そしてもちろん、その中には北代もいる。


「面倒くさいことになった」


 俺は、北代が一方的に押し付けてきた約束が脳裏に浮かぶ。


「おいおい! 俺が面倒くさいって言いたいのか?」


 俺のつぶやきを拾い上げた百坂が鼻の穴を膨らませた。


「いや、お前のことじゃ……」


 と、言いかけたところで、確かにこいつも面倒くさいなと思ったが、明言するのは避けておこう。


「んっだよ、なら良かったけどよ」


 お前本当に幸せなやつだな。



 準決勝第二試合が終わると、決勝戦まで三十分の休憩時間が挟まれる。

 その三十分間の間に、軽音楽部の生演奏、チア部と応援団の演舞といったスーパーボウルさながらの演出がなされる。

応援団長の姿など目もくれず、チア部の揺れるスカートを目に焼き付けていると、応援ブースの最前列で、決勝を今か今かと待ち構えている月宮の姿を発見した。

 あんな上級生の派手めな女子たちの中を、躊躇もなく割り込んでいける月宮のメンタルには感心する。あいつなんでメンヘラなんだろう。


「瀬良、決勝だけどどうする?」


 決勝の準備をしていたクラスの輪の中から神崎が抜け出して来た。


「どうするってなにがだよ」

「出るか出ないかってこと」

「そんなもん出ないに決まってるだろ。出ないっていうか、そもそも俺はメンバーに入ってないし、出たくても出れねえよ」


 俺が何の気なしにそう言うと、神崎が体操着のポケットから折りたたまれた紙を出して、俺の前で広げた。


「そう言うわけでもないんだけどなあ」


 それは、このクラスマッチに登録されているメンバー表。

 いたずらな笑みを浮かべる神崎のもったメンバー表には控えの欄に『瀬良拓真』の名前が記載されていた。


「お前なに勝手に……」

「こうでもしないと、瀬良はやらないだろうと思って」


 神崎の眼差しが鋭くなる。

 その視線の強さに思わず胸を反らしてしまった。

てかおい、権力の乱用じゃねえか! いいのかよこんなの。

 待てよ……。ということは、俺はバスケのメンバーじゃないのにせっせとスクイズボトルを配ってたのか? 何だよそれ、死にたいんだけど。


「このままいけば俺たちのクラスは間違いなく負ける。さすがの百坂でも、現役サッカー部の奴らには敵わない。それでいいの?」


 神崎の言うことは正しい。まず間違いなく俺たちは負ける。

 でもだからどうだって言うんだ。

 こんなのただの学校内でのイベントに過ぎない。そりゃ高級焼肉を食べたいか食べたくないかと言われれば、食べたい。

しかし、県大会がかかった試合でもなければ、国立競技場でやってるわけでもない。この試合に負けたからって何か俺たちクラスに罰が課せられるなんてこともない。


「いや、そんなこと言ったってほら、俺足がさ」

「この試合は八十分じゃないんだよ」


 心臓がえぐり取られるような感覚に陥る。

 神崎のやつ……。


「それでもさ、俺役に立てないだろうから」


 首に手を回して誤魔化すようにその場をしのごうとする俺を見て、ようやく諦めがついたのか、神崎が俺に背を向けた。


「紬ちゃん取られちゃっていいんだね。瀬良がその気なら俺ももう自分ができることをやるよ」


 胸に衝撃が走った。


「何でそれ」

「紬ちゃんから聞いたよ」


 話を聞いていたのか、近くにいた漆原が顔を出した。


「月宮が? なんで?」


 聞くと、漆原は大きなため息をついた。


「瀬良くんさ、紬ちゃんが何も知らないとでも思ってたの? そんなわけないじゃん。だって紬ちゃんはこの話、北代くんから聞いてるんだよ」


 北代が? じゃあ何で……

 −−バンッ。

 頭が混乱する前に、誰かが俺の背中を叩いた。


「痛ってえ」

「じゃあ何でじゃないよ! そんなの言わなくてもわかるだろ! このヘタレ!」


 俺怒鳴りつけたのは、顔を赤くした姫野だった。

 三人が揃って鋭い眼差しを向ける。

 まさに八方塞がりだ。

 それでも俺は、さっと視線を落とすことしかできなかった。


「……俺には関係ねえよ。俺がサッカーしたくねえのなんか、お前らが一番わかってるだろ」


 地面に吐き出すように言って、三人の間を抜けていく。


「瀬良がそう言うならわかったよ。俺は俺のやり方で何とかするから」


 神崎の声は俺の背中に届いていたが、振り向かなかった。

 だいたい取られちゃっていいんだねってなんだよ。あいつはそもそも俺のものでもなければ、北代のものでもない。取られるとか取られないとかそういう問題じゃねえんだよ。

 だから俺にそんなことを言われても困る。


「おい、お前出ねえのかよ」


 敵意のこもった低い声が背後から聞こえて振り返ると、そこには北代がいた。今日はよく話しかけれれる日だな。


「メンバーじゃねえからな」


 周りに好きかって言われてさすがにイラついていたのか、言葉が荒々しくなる。


「あの約束はどうすんだよ」

「そもそもお前と約束なんかしてないし、あいつのことが好きなら早く告白しちゃえばいいだろ。俺のことなんか気にする必要ねえぞ。好きにしてくれ」


 そんなことを言ってるくせに、胸の奥底では居心地の悪さを感じる。


「俺に負けるのが怖ええのかよ。まあいい、この試合でお前たちのクラスをボロボロに負かしてやるよ。そしてお前は紬とおさらばしてもらう。せいぜい爪でも噛んで見てろ」

「……」


 なにも言えずに、北代の背中を見送る。

 ヘタレ……か。

 確かに俺はヘタレなのかもしれない。俺は自分が惨めになる姿を見せたくないんだ。自分がもうなにもできないという現実をまた受け入れるのが怖い。

 だから、三人に追い込まれても、北代に勝負をふっかけれれても、どこか逃げ道を探してしまう。

 本当は気づいていた。神崎たちや北代に腹が立っているんじゃない。

 大切なものが何かわかっているのに踏み出せない。そんな俺のことが、俺は大っ嫌いだ。

 俺はいつまでたっても弱いままだ。

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