第26話 罠

 サッカーの決勝はクラスマッチの大トリを飾る。

 そのため、グラウンドにはほとんどの生徒が集まり、たかがクラスマッチだと言うのに妙な緊張感が漂っていた。

 少し離れたところに腰掛けて試合が始まるのを待っていると、ベンチを取り囲む女子たちが驚きの声を上げた。


「神崎くん出られないの?」


 は? 今なんて?

 あまりの衝撃的な事実に、思わずベンチに駆け寄って、取り巻きたちをかき分けた先にいたのは、足首に包帯を巻いた神崎だった。


「神崎お前……」

「ごめん。さっきの試合で接触した時に怪我したみたいで、さすがに決勝でみんなに迷惑はかけられないよ」


 神崎が申し訳なさそうに言うと、クラスのみんなが一斉に落胆した。


「ほんとごめん」

「でも、怪我してるなら仕方ないよね」

「だねだね、怪我してる神崎くんに無理させるのも違うよね」

「「ねー」」


 どうやら女子たちの中では意見はまとまったみたいだ。

 男子たちも、神崎の背中に手を添えて、「あとは俺たちに任せろ」という雰囲気を醸し出す。百坂に至っては「ここは俺の任せて先に行け」という場違いなフレーズを涙ぐみながら言い放った。どこに行くんだよ。

 待て待て待て。

 どう考えてもおかしいだろ。

 さっきの試合ずっと見てたけど怪我するようなラフプレーはなかったし、そもそもお前スライディングとか綺麗にかわしてたじゃねえか。


「神崎お前本当はできるだろ」

「なんでそんなひどいこというかなあ。俺はこんなにも足を痛めてるのに……」


 わざとらしく悲しみながら、足首を撫でる。

 んのやろう……。


「瀬良、そっくりそのままその言葉お返しするよ」


 完全にやられた。

 クラスのみんなは神崎の嘘に気づいてないし、それを俺がみんなに伝えても、怪我してる人間に無理させる残虐非道な人間としか思われないだろう。

 自分にできることってこういうことかよ……。

 

「神崎の代わりどうする?」


 試合に出る男子たちが、ベンチで輪になって話し始めた。

 クラスの男子一人一人に名前を挙げていき、ああでもないこうでもないと言いながら、あと一人を誰にするのか決めかねている様子だ。


「もう代わりは決まってるよ。初めに登録したメンバーしか出れないからね」


 神崎が男子たちに声をかけると、安堵の表情を浮かべながら輪を解いた。


「そうなんだな。良かった良かった。で、誰?」

「瀬良だよ」

「「……」」


 時が止まった。時って本当に止まるんだな。


「やだなあ神崎冗談はよせよ。この状況でそれはウケねえから。なあ?」


 一番に口を開いたのは坂本だった。こいつにはあまり思い入れはないので紹介は省く。

 いや、まあ気持ちはわかるけどそんなストレートに言うなよ。さすがに傷つくぞ。

 女子たちも口をぽかんと開けて、ただただ俺の方を見る。


「冗談じゃないよ。控えは瀬良で登録してる」


 事実を証明するために、神崎がさっき俺に見せたメンバー表を、みんなの前で広げた。


「まじかよ……」


 たかがクラスマッチだと言うのに、二組のベンチではまるで世界が終わったかのような空気に包まれている。

 こんな空気になるのも仕方ない。

 自慢じゃないが、俺はサッカー以外のスポーツは全くもってできない。バスケもバレーもテニスも野球も、並以下のレベルであると自負している。

 そんな姿をクラスメイトも体育の授業で目撃しているため、俺対してのスポース信頼値はゼロだ。

 今からクラスマッチの決勝だって時に、助っ人がそんなやつじゃクラスの指揮が下がるのも仕方がない。

 みんな、ほんとごめん。


「まあまあ、みんな絶対驚くから。俺を信じてよ」


 神崎が抜群のスマイルで説得するもんだから、クラスのみんなは仕方なく了承し、指揮がだだ下がりのなか円陣を組んだ。


「絶対勝ってみんなで焼肉行くぞー!」


「「おおー……」」


 こんなやる気のない円陣初めてです。みんな、すんません。




『ただいまより、クラスマッチサッカーの部、決勝を始めます』


 放送部の心地い良い声がグラウンドに響き渡り、両者が向かい合って握手をする。


「お、逃げたんじゃなかったのか?」


 北代はかなり強めの力で俺の手を握った。


「気が変わったんでな」

「これで約束は成立だ。勝ったら俺が紬をもらう」

「なに言ってんだお前、あいつはお前のものでも俺のものでもない」

「まあせいぜい頑張れや」

「こっちのセリフだ」


 互いに背を向け、自分のポジションにつく。

 ふと応援席に目をやると、月宮と目が合ったが、特に何も合図をすることなく俺は前を向いた。

 心なしか、月宮のメガホンが強く握られているような気がした。

 月宮もまさか俺が試合に出てくるとは思わなかっただろう。それどころかさっきまで熱烈に応援していた神崎がいないことを悲しんでいるかもしれない。

 神崎がいないと言う事実は、応援席にいるほとんどの女子を悲しませているようで、さっきから『神崎くんいないなら帰ろっかな』オーラが半端なく醸し出されている。


『おっと、準決勝までいた神崎くんの姿が見当たりませんね。代わりに出ているのはせ、せ、瀬良くんだそうです!』


 実況係のカビラ風の男子生徒がマイク越しに言うと、グラウンドがどよめく。


「「誰?」」


 ですよねー。

 なんというか、自分の存在意義が見失われそうな気分です。

 だが、ここに立ってしまったからにはやるしかない。

 クラスメイトも会場全体も俺に期待なんかしていない。むしろ足を引っ張るんじゃないかと心配されてるぐらいだ。

 やっぱり、俺の中での怖さは消えることはない。

 それでも、クラスメイトを、あの勝ち誇ったような北代を、そしてこの会場全体をぎゃふんと言わせることができたら、それはもう気持ちがいいに違いない。

 それに今日は散々な言われようだったからストレスもたまっている。この際どうにでもなればいい。

 俺は二回、三回とジャンプして膝の調子を確かめる。

 今日は悪くない。

 久しぶりの感覚に胸の鼓動が強くなった。

 

 ピーーーーッッッ! 


 笛が鳴るのと同時に、グラウンドが熱気に包まれる。

キックオフされたボールは俺の足元にパスされた。


「瀬良こっちだ!」


 前に走る坂本が手を上げてボールを要求する。

 俺は、ボールを蹴りやすい位置にコントロールして顔を上げた。


「どいつもこいつも、好き勝手言いやがって! この野郎!」


 右足を大きく振り抜く。

 坂本めがけて一直線、とてつもないスピードで放たれたボールは、坂本と構えていたゴールキーパーを追い越した。

 綺麗な波を立てながら畝るネットから、スピードを失ったボールが重力に引っ張られて地面に落ちた。


 空気が揺れるほどの大きさで響いていた声援が一瞬で鳴り止む。

 ピッチに立っていた選手もみんな、何が起きたのか把握できない様子で立ちすくんでいた。



『……ゴ、ゴーーーール!!』



 長い沈黙を切り裂く実況によって、グラウンド内は今でかつてない熱狂に包まれる。

 会場の熱気につられて、チームメイトが俺を押しつぶすような勢いで飛びついてきた。

 その中で、百坂だけは、俺に飛びついてくることなく、親指を立てて一回だけ頷いた。まるで『俺はお前の実力には気づいていたが?』と言わんばかりだ。そういえば、神崎の代わりが俺になった時、百坂だけは一度も反対意見を示さなかったな。

 なんだか照れくさくなって、百坂にぎこちない頷きで返した。

 呆気にとられた四組の中で、北代だけは唇を噛み締め俺を睨みつける。


「あんなのたまたまだよ。切り替えてこ、北代」

「お前は本当にあれがたまたまに見えたのかよ。もういい、俺があいつにマンマークでつくから、お前らは点取ることに集中しろ」


 そう言って、北代は肩に置かれた手を強く振り払った。そんなに殺気立つなよ。

 相手ボールから試合が再開されると、それからずっと北代は俺をマークした。

 さすがに現役というだけあって、簡単には剥がすことはできない。

 それでも、俺はボディフェイントや巧みなテクニックを使って、北代を交わす。

 北代も必死についてきてはいたが、俺のスピードについてくることはできず、俺は再びゴールネットにボールを叩き込んだ。


『な、なんなんだあいつはー! サッカー部のディフェンスの要、北代くんもついて行くことはできないのか?』


 実況が興奮を抑えきれないという様子で、鼻息を荒くしながら吠える。

 前半終了間際、さすがにサッカー部を六人も要する四組も意地を見せつけるように一点取り返し、早くも前半が終わった。


「今思い出したぞ」


 ベンチに帰る時、北代が声をかけて俺を止めた。


「なんだよ」

「お前のことだよ。お前、泉台の魔術師だろ」


 何を急に中二病みたいなことを言い出すのかと思ったが、『泉台の魔術師』とはきっと俺のことだろう。

 中学時代、そんな異名で呼ばれているというのを小耳に挟んだことがある。

 なぜ『魔術師』と呼ばれていたかなんて理由は知らないが、そんな異名がついてしまうくらいにはそれなりに名の知れた人間だったのだ。


「よくそんなこと思い出したな」

「お前のことは忘れもしねえ。俺の中学サッカーはお前たちにボロボロにやられて終わったんだからな」


 ……何言ってんだ? 今思い出したんじゃなかったのか?


「そ、そうか」

「この際約束なんざどうでもいい。俺は今日必ずお前を倒す」

「勝手にしろ」


 なんか主人公が北代みたいにじゃないですか? 主人公の座奪おうとしてんじゃねえよ。

 ベンチに戻ると、案の定クラスメイトたちが集まって来た。


「瀬良お前めちゃくちゃうめえじゃん! 何でもっと早く言わねんだよ!」

「瀬良くんすごいね!」

「なんかレベチすぎてちょっとキモい」

「瀬良がいたら優勝確実だ!」


 今まで体育で見てきたポンコツの変わりように驚きを隠せないクラスメイトたち。こんなに人に褒められたのは何年ぶりだろうか。

 ちょっと待て、一つ聞き捨てならないセリフがあったぞ。誰だ出てこい。


「あんなに嫌がってたくせに、怪我してたとは思えないよ! ヘタレなんて言ってごめんよ少年」


 水を渡しながら、姫野が興奮気味に話しかけて来た。


「まあ今日は膝の調子がたまたまいいんだよ」


 高校に入学する前、自分でボールを蹴ってみたことがあるが、その時は五分も持たなかった。

 それに比べると、今日は一度も違和感を覚えていない。もう完治してるんじゃないかと思うほど膝の調子は絶好調だ。


「またまたあ、この調子でサッカー復活か? いいないいな! 私もう一回瀬良っちが本気の舞台でサッカーやってるところ見たいよ!」

「さすがにブランクがあるからな。本気の舞台っていうのは厳しいだろ」

「ちぇっ、でも今日見れてよかったよ。久し振りにこう、血がグアーってくる感じだった! 試合始まってすぐの−−」


 姫野はまるで自分がプレーしたかのように細々と俺のプレーを振り返り始めた。

 ここまで喜んでもらえると、さすがに照れる。


「おいおいそこの二人! 俺を抜いて話すなんて許されんぞ!」


 俺と姫野の間に横槍を入れて来たのは、汗をかきながらも全く息の上がっていない百坂。


「別にそういうつもりはねえけど」

「いいからほら、後半の作戦会議するぞ」

「おう」


 俺が百坂の近くまで行くと、突然俺の首に腕を回して、唇がくっつきそうな距離まで顔を近づけてきた。


「俺、この勝負に勝ったら姫野に告白しようと思ってんだ」

「は、はあ? 急に何だよ! てか何、お前姫野のこと好きなの?」


 こんなに近くに百坂の顔があることと、唐突なカミングアウトに驚きを隠せず、百坂の腕を剥がそうとしたが、俺の握力では百坂の手は離せない。


「そうだ。俺は姫野が好きだ! だから後半も頼むぜ!」


 にかっと白い歯を輝かせると、ようやく俺を解放してくれた。


「お、おう……」


 嵐のように突然現れ、去って行く百坂の背中はいつもより大きく見えた。

 あれ? フラグ立った?

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