第17話 暗闇から

 パンサー号事件以来、月宮の様子がおかしい。

 おかしいと言っても、普段のしつこさは変わりないのだが、口数が減ったというか……。


「何だよ月宮。そんなジロジロ見られると食べづらいんですけど」

「……っは! ご、ごめんなさい」


 こんな風にぼーっと俺のことを見つめることが増えたのだ。

 まるで恋する乙女のような目つきで……って違う違う。こいつは北代のことが好きなはずだ。どうせ奴のことでも考えているんだろう。

 そしてもう一人。


「おい姫野、どうしたそんな固まって」

「……あ、え? 私そんな感じだった? 最近あまり寝てないんだよねえ。はは」


 そう言うが、姫野の目の下にはクマなんて面影すらない。

 姫野も最近の月宮の変化に気づいているのか、月宮がぼーっと俺を見つめている時に、なぜか固まっている。

 向かいに座っていた漆原と神崎が、呆れた顔で俺を見た。


「なに? 何だよ二人とも」

「なにもないけど」


 なにもないならそんな顔で俺を見るな。


「お前ら早く食わねえと昼終わるぞ」

「あ、ほんとだ! 私次移動教室なんですよ」


 そう言って月宮は、弁当を一気に胃に流し込む。

 急いでいたせいか、見事に喉に詰まらせた月宮が、苦しそうにむせ返す。


「そんなに急いで食べんな。ほらこれ飲め」


 俺が月宮にペットボトルを渡すと、月宮はいい飲みっぷりで、半分ほど飲み時を飲んだ。


「ありがとうございます……ってこれ……先輩の」

「口つけてないから安心しろ」


 言うと、月宮は突如顔を真っ赤の染め上げ、慌てふためきながら弁当を片付け、駆け足で教室のドアに向かう。

 ドアのところで立ち止まった月宮は、くるりと振り返る。


「……先輩のバカっ!」


「え、あいつ何で怒ってんの?」

「瀬良くんってほんと」

「だな」


 神崎と漆原は大きくため息をついて両手を仰ぐ。

 その隣で姫野はまた固まったまま、月宮が置いていった俺のペットボトルを見つめていた。


 

 月宮と姫野の様子は、時折おかしくなるがそれを除けば俺たちは前と変わらず、常に一緒にいる五人組という関係性のままだった。

 その日は神崎と漆原が生徒会だったため、俺たちは三人で帰っていた。

 俺たちの学校にの最寄駅には、他にも多くの学校があって、この時間帯はキャラメル色のブレザーだけでなく、セーラー服や学ランといったさ、様々な制服がごった返していた。

 その中に、一つ見慣れない制服があった。

 この辺の学校のものではないグレーの学ラン。

 しかし俺は、その制服がどこの学校のものかすぐにわかった。

 −−私立鷹山ようざん高校。

 県内屈指のスポーツ校で、今年度野球部は甲子園優勝。バスケ部、バレー部、そしてサッカー部はインターハイ優勝。その他個人競技の部活でも全国優勝者を輩出し、この夏に創立以来初めての十冠を達成した福岡県民なら誰もが知る高校だ。

 そして、俺が進学するはずだった高校でもある。

 怪我をした時の記憶が蘇り、心なしか気分が悪くなってくる。


「瀬良っち大丈夫?」


 中学時代の同級生である姫野もあの制服がどこのものかすぐにわかったのだろう。俺の事情を深く知る彼女は、俺を心配そうに見つめる。


「大丈夫、ありがとう」

「え? 先輩どうかしたんですか? なんかすごい気分悪そうですけど……」

「どうもしてないぞ。大丈夫だ」


 月宮にまで心配させるわけにはいかないので、姿勢を正し絵がをを作ってみせる。

 それでもあまり効果はないようで、月宮の眉間にはわずかにしわが寄っていた。


「そんなに心配すんなって。だいじょ」

「あれ? 瀬良じゃね?」


 血の気が一気に引いて、顔が青ざめていくのが自分でもわかった。

 振り向いた先には、サッカー部のリュックを背負った三人組の体格のいい男子がいた。


「ほら、やっぱ瀬良じゃん! めっちゃ久しぶりじゃね? 中学の県トレ以来か?」


 日本サッカーの育成年代における有望な選手をセレクションによって選ぶ制度を『ナショナルトレーニングセンター制度』と言って『県トレ』とはその一種であり、簡単に言えば県選抜の意味を持つ。


「赤星……、久しぶりだな」

「おいなんだよ瀬良、久しぶりってのにそっけねえぞ」


 この赤星と言う男は、中学も所属チームも違ったが県選抜で一緒になり、あまり得意なやつではなかったがそれなりに話す仲だった。

 あまり素行が良くないことで有名だったが、サッカーの実力だけは確かなものがあり、それが高校の目に止まり鷹山高校に入学した。

 ただサッカーも真面目にやっていると言うわけでもなく、県選抜の際もみんなのやる気を削ぐような言動を繰り返していた。

 こんな奴が鷹山に入って、真面目にやってきた俺がこうやってサッカーができない体になる。

 あの時に嫌になるほど痛感した世の中の理不尽さに、赤星を前にして再び打ちのめそうになる。


「そうか? そんなつもりはないけど」


 今すぐここから逃げ出したくてたまらない。


「まあお前は前からつまんねえやつだもんな。はは、すまんすまん言い過ぎたわ」

「いや……」


 本当にこいつは何にも変わっていない。そうやってすぐに他人をバカにし自分が王様のように振る舞う。そんな奴がピッチに立っていることに反吐が出そうになる。


「もしかして後ろの女子二人お前の連れ? ひゃー、めっちゃ可愛いじゃん。連絡先教えてよ」


 赤星は俺の後ろにいた姫野と月宮に目を向け、いやらしい表情で詰め寄ろうとする。

 振り返ると、二人とも生ごみを見ような目を赤星に向け、この上ない嫌悪感を示していた。


「おい、やめろよ赤星。こいつら二人とも彼氏いるから」


 咄嗟に嘘をついてしまったが、功を奏したのか赤星は舌打ちをしてスマホをポケットにしまった。

 その時、俺はあることを思い出した。

 鷹山は実力もすごいが、練習量の多さでも有名だ。

 年間に与えられる休みはお盆と年末のみ。しかしサッカー部は全国大会に出れば、年末年始に冬の選手権があるため実際の休みは夏の盆休みだけだ。

 それにもかかわらず、こいつらはこんな時期に学校から遠く離れた場所にいる。


「おい赤星、練習は休みなのか?」


 聞くと、赤星は腹立たしい笑顔で言った。


「サボった」


 その一言は、俺をどん底に突き落とすには十分すぎた。

 それでも赤星は、まだまだ言い足りないようで、俺の心をますます黒く染め上げていく。


「だってよお、練習めっちゃだりいんだよ。バカみたいに走らされるしやってらんねえよ。今は怪我して病院行くふりして遊び回ってんの。どう? 俺頭良くない?」

「……そ、そうだな」


 悔しいのか悲しいのか虚しいのかわからない。ただ俺は拳を握りしめて、この感情を押し殺すことが精一杯だった。今ここで赤星に手を出したら後ろの二人に迷惑がかかることは明白だ。


「おい瀬良反応わりいぞ。どうお前も一緒に遊ぶか?」

「……いや、それはいい」

「ははっ、そうかお前はそこのかわい子ちゃん二人と遊ぶんだもんな。いいなあ」


 はやく俺の前から消えてくれ。



「俺も怪我しよっかなあ。そしたらお前みたいに可愛い子と遊べるんだろ? 怪我、最高じゃん」



 ああ、もうダメだ。

 どうしてこんな奴がサッカーしてるんだよ。なんで俺じゃなくて、こんな……。


 −−パチンッ。


 顔もあげられなくなっている俺の耳に乾いた音が響いた。

 見上げた先には、姫野が手を振り切り、その先に頰を抑える赤星がいた。


「何すんだよこのクソ女!」

「なんで……、なんであんたみたいな奴がサッカーやってんだよ! なんで瀬良っちじゃなくてあんたみたいなクズが……。あんたがどうしようが私には関係ないけど、頑張ってきた人をバカにするようなことは絶対に許さない!」


 ここから姫野の顔は見えないが、彼女の声はだんだんかすれ、夕焼けに照らされた涙が一粒落ちていく。


「な、なんだこの女、頭おかしいんじゃねえの。もう行こうぜ」


 そう言って、赤星たちはすぐさまその場を後にした。

 何は姫野に声をかけるべきなのはわかっている。

 でも、今口を開いたら、俺は我慢できずに泣き出してしまいそうだった。


「さ、咲先輩大丈夫ですか?」


 後ろから月宮が、微動だにしない姫野に詰め寄る。

 その時、姫野が膝からがくっと崩れ落ちた。


「お、おい姫野! 大丈夫か?」


 俺も一緒になって駆け寄ると、姫野は恥ずかしそうな笑顔で俺たちを見上げた。


「いやあ、やり返されるんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたよ。腰抜かしちゃったぜえ」


 いつものようにおどけてみせる姫野だが、声と膝はガクガクと震えていた。


「ごめん姫野」

「私が許せなかっただけだから瀬良っちが謝ることないよ」

「ありがとう……」


 そう言って、俺は今まで姫野にちゃんと感謝を伝えてなかったことを思い出した。

 あの時姫野がいなかったら俺は再び学校に行くことはできなかったし、こうやってこの学校にも進学できなかった。

 今日だって、姫野が赤星をぶってくれなかったら、またあの暗闇に閉じ込められるところだった。


「姫野」


 頭を掻きながら笑う彼女の名前を呼ぶ。


「ん?」

「本当にありがとう」

「え、ええええ? なんだ急に恥ずかしいな」


 姫野の顔に血が巡る。


「いや、今まで言えてなかったから。中学の時もありがとう」

「私は何もしてないよ……って言っても君はそう言うんだろうね。だからちゃんと受け取っておくよ。どういたしまして」

「そうしてくれると助かるよ」


 そう言って、俺は姫野の手を引いて起き上がらせる。


「月宮も変なことに巻き込んですまなかった」


 呆然と立ち尽くす月宮にも迷惑をかけてしまった。

 俺の過去のことなど何も知らない月宮は、どうすればいいのかわからなかっただろう。


「いえ……、私は全然大丈夫です。私何もできなくて……」


 月宮は今にも泣きだしそうな声を漏らした。


「なんでお前が責任感じてんだよ。お前は何も悪くないしただ巻き込まれただけだろ。だからそんな顔すんな」

「でも……、でも……」


 とうとう月宮は目から大粒の涙をこぼし始めた。


「おいおい、なんでお前が泣くんだよ」

「だってええええ」


 駄駄をこねる子供みたいだったが、月宮の表情から本当に俺のことを心配してくれていることが伝わってきた。


「まあ、なんというかありがとな。俺は大丈夫だから」


 言いながら月宮の頭を撫でる。

 すぐに自分がやっていることに気づいて手を引っ込めた。

 え、何やってんだ俺……。

 だが、月宮はそんなこと気づいてないとばかりに泣き続けていた。


「つむぎんは本当にいい子だねえ」

「咲せんぱあい、大丈夫ですがあ? 手いだぐないですかあ?」


 月宮は姫野の胸に飛び込んでは、両手で姫野の右手を包み込む。


「大丈夫大丈夫。怖がらせてごめんねえ」

「咲せんばああい」


 普段はことあれば姫野に突っかかる月宮も、心の奥底ではしっかり姫野のことを尊敬していたようだ。

 俺からサッカーが奪われた日、この世の全てが俺を否定しているように思えた。

 だが、それがあったからこそ姫野や神崎、漆原みたいに俺のことをわかってくれる奴に出会えたし、少しやばいが俺のことを本気で心配してくれる後輩にも出会えた。

 ボールを追いかけていた日々も俺のとっては大事な時間だったが、今はこうやって三人で一緒に帰る時間が、かけがえのない時間なのだろうと思いながら、夕焼けの空の下を三人で歩き出した。

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