第15話 待人

 こんな時期に道眞公に会いにきても特にお願いすることはなかったので、とりあえず自分と家族の健康、そして世界平和を祈っておいた。

 参拝を終えた後は、神社恒例おみくじを引いて、五人で互いの結果を確認し合う。


「先輩! 私大吉ですよ大吉! いやあ、神様もやっぱりわかってますねえ。先輩は何でした?」


 大興奮の月宮が、おみくじを引きちぎれそうなほどに広げながら、俺の目の前まで近づける。


「はいはい良かったな。俺は吉だよ。可もなく不可もなくって感じだな」

「ぶっはー! 先輩普通すぎでしょ」


 腹を抱えて笑う月宮さん。何がそんなに面白いんだよ、泣かすぞ。


「みんなはどんな感じなんだ?」


 これ以上月宮の得意げな表情を見るのは不愉快だったので、みんなに話題を振る。


「俺は大吉だったよ」

「私も大吉」


 神崎、漆原は両者大吉。なんだこいつら神様にも愛されてんのかよ。


「姫野は?」

「私は中吉だよお。なんか中途半端だなあ。これなら凶のほうがレア感満載でいい気がするぜ」


 ふてくされながら恐ろしいことを言う子だ。

 俺はこれでも神様や幽霊、占いといった非科学的なことは意外と信じるタイプだ。おみくじなんかもあなどれない。

 実際、俺が凶を引いた年は怪我でサッカーをやめないといけなくなったし、姫野にも振られた。おい、そんなこと思い出させてんじゃねえよ。


「まあこの中では俺が一番運勢は良くないらしいから安心しろ」

「へへっ、咲先輩、私は大吉ですよ?」


 どうして神様はこんないやらしい奴に大吉なんかを与えてしまったんだ。


「くっそお、今回は私の負けだ。つむぎん、次は必ず私が勝つからね」

「望むところです」

「ねえねえ、みんな『待人まちびと』のところなんて書いてあった?」


 おみくじで争いを始めようとしていた不謹慎な二人の間に入ったのは、興味深そうな表情の漆原。

 おみくじで誰もが気になるのが『待人』の欄だろう。

 多くの人が恋愛と結びつけて考えるが、実際は恋愛に関わらず、その人にとって良い出会いがあるかないかということを予言してくれるらしい。


「ええとですね、私は『来る 驚くことあり』って書いてます! ええ、なんですかねこれ。瀬良先輩が私にサプライズしてくれるってことですか?」

「なんでそうなんだよ。お前頭大丈夫か?」

「フラッシュモブとかはもう時代遅れなんで他のことにしてくださいね」


 勝手に話を進めるな。


「咲は?」

「私は『来るとも遅し』だって。なにをー! 遅いなら私の方から迎えに行ってやる! 待ってろよ待人ー!」


 今にも明日の太陽に向かって走り出しそうな姫野の目は、メラメラと燃えていた。そんな感じで来られたら待人も困るだろ。

 きっと姫野の隣に立つ奴は、彼女のように明るく、誰にでも優しい男なんだろうな。もちろん言うまでもなくイケメンだろう。

 そんなことを考えては落胆、でもするかと思っていたが、思いのほか平気な自分に驚かされた。確かに姫野のことは以前好きだったし、自分でもまだわずかにそんな気持ちがあると勝手に決めつけていたが、案外そうでもないらしい。時間が解決してくれるとはよく言ったものだ。


「瀬良はどうだった?」

「ああ、待人待人……」


 『待人』の欄を見た俺は、思わずさっき漆原に言われた言葉を思い出し、固まってしまった。


「なになにー?」


 俺の様子がおかしいことに気づいた漆原が、耳元に髪の毛をかけながら覗き込む。


「うはー! やっぱり神様は見てるんだねえ」

「瀬良、神様の言う通りにしないとね」


 神崎と漆原はいたずらな笑みを向けた。


「お前らが何考えてんのかさっぱりわかんねえけど、なんかバカにされてる感じで腹立つ」


 俺はそう言うと、すぐさまおみくじ掛けに行き、硬く結びつけた。

 『ためらうな』ってなんだよ。ためらうも何も選択肢がないだろ。なんて考えていると、四人ので話していた月宮が目に入った。

 待て待て、それはありえないだろ。突然首を横に振り始めた俺を見て、隣にいた女子高生ぐらいの三人組が三歩ほど後ずさりしたので一言謝っておいた。 



 太宰府を後にした俺たちは、近くにあったレストランで夕食を済ませ、家に着いたのは夜の九時を回った頃だった。

 帰りの電車の中では俺と神崎以外は爆睡していたが、俺たち二人は寝過ごすわけにもいかなかったので、眠気と戦いながら起きていた。

 もう遅い時間なので女子三人を家まで送る予定だったが、たまたま神崎の姉貴が車で近くまできていたため、俺以外の全員は神崎の姉貴が家まで送ってくれることになった。勘違いしないで欲しいのは、俺ははぶられたわけじゃなく、家が駅から近いので歩いて帰っただけだ。

 家に帰ってきてからぐっと疲労感が押し寄せてきて、ベッドに横たわるとすぐにでもまぶたが落ちてきそうだった。

 さすがに風呂に入らずに寝るのは、俺の倫理観に反するので、重い体を起き上がらせる。

 風呂に入ってから今日の荷物を片付けるのも面倒だし、明日の朝に片付けるのも億劫なので、仕方なく机の上に置いたお土産の整理を始めた。

 一つは家族、もう一つは近くに住む祖父母の分だが、後一つ見覚えのない袋があった。

 中を覗くと、お土産と水色のいかにも女子の持ち物といったパスケースが入っていた。


「……失礼します」


 このまま放置しておくわけにもいかず、申し訳なさを感じながらもパスケースの中身をそっと取り出す。

 俺が取り出したカードはうちの学校の学生証で、名前の欄には『月宮紬』と書いてあった。


「あの時か」


 そういえば、月宮がトイレに行くときに荷物を持たされた。あの時に渡しそびれたのだろう。

 ふと、俺の中の悪魔と天使が激しい論争を始めた。


『やっぱり学生証といえば証明写真だろ? 見ちゃえよ拓真。ほらほら早く』

『だめよ拓真! 女の子のプライバシーを覗くなんて男の子として恥ずべき行為よ』


 今、俺の親指の下には月宮の顔写真がある。

 あの写りが悪くなることでしか話題にならない証明写真、いつもバカにして来る後輩の恥ずかしい一面を今手に入れることができるのだ。


『そうだ拓真、少しずつ親指をずらせ!』

『だめよ! そんなことしたら紬ちゃんに見せる顔がないわよ!』


 そうだな天使、女子の私物を勝手に見るなんて言語道断。そんなことをしていては男がすたる!


「だがそんなこと知らん! たまにはあいつに恥ずかしい思いさせてやってもいいだろ!」


 天使の願い叶わず。

 しかし、親指の下から現れたのは、目がくりっくりの恐ろしいほど肌の白い、盛れに盛れた月宮だった。


「学生証にプリクラ貼り付けてんじゃねえ!」


 気がつけば俺は床に学生証を叩きつけていた。


「こう言う事態もお見通しなのかあいつは……」


 脳裏には、いやらしい笑みで俺を小馬鹿にする月宮の顔が浮かんだ。

 その時、ベッドの上に置いてあった携帯から着信音が鳴り響いた。

 画面には『月宮紬』の文字。

 俺は恐ろしくなって辺りを見回す。窓の外からコンセントまで部屋の隅々に隠しカメラがないかを探した。大げさだと思うが、月宮ならやりかねない。

 悔しがる俺を遠隔カメラで確認しながら優越感に浸ってる可能性は十分にある。

 部屋中をくまなく探すも、それらしいものは見当たらない。部屋の確認が終わるまで約五分。その間にも月宮は時折切りながらもずっとコールを鳴らし続けていた。


「どうした月宮」

『ちょ、ちょっと先輩なんで出ないんですか?』


 怒りと焦りが入り混じったような声の月宮は、これまでになく取り乱していた。


「なんだそんな慌てて」

『せ、先輩、私のパスケース持って帰ってませんか?』

「ああ、お前の買い物袋の中に入って」

『見てませんよね?』


 言い終わる前に、耳元で月宮の鋭い声が響く。


「……見てないに決まってるだろ」


 ここまで月宮が焦っていると言うことは、俺が心配しているようなことは怒ってはいないのだろう。

 だが、月宮のこの声を聞く限り、俺の犯した罪の重さは相当なものだという予想がつく。くそっ、天使の言う通りにしておけば良かった。


『本当に見てないんですね?』

「見てない見てない。神に誓う」

『ならいいですけど』


 さっきのどす黒い声とは違い、優しい安堵の声を漏らす月宮。


「じゃあ明日学校持って行くから」

『わかりました! ありがとうございます。それではおやすみなさい。といきたいところですが、先輩がまだ紬ちゃんと電話し』

「おやすみ」


 何かまだ話しているような気もしたが、月宮も今日は疲れているだろう。ゆっくり休んでほしいとの願いを込めて電話を切ってあげた。

 それにしてもあんなに焦ることないだろ。確かに見られるのは恥ずかしいかもしれないが、月宮はしっかりと盛れたプリクラを貼ってるから心配はいらないはずだ。少し覗いてしまったが、さすがにあれを剥がして見てやろうなんか思わない。

 あいつからいつもしつこく絡んで来るくせに、俺を信頼できないと言うのか? 失礼極まりない奴め。見たことはよくないと思ってるけどね!

 そんなことを考えながら、床に落ちていた学生証を拾い上げた。

 −−その時。

 学生証から、正方形の何かがひらひらと舞い落ちた。

 気づいたときにはすでに、あらわになった本当の写真が目に焼き付けられ、俺は心臓をえぐられるような衝撃を受けた。


「これが……月宮?」

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