第11話 転校生
−−転校生。
それは、修学旅行に次ぐ学生の心を躍らせるワードである。
アニメや漫画の世界では頻繁に転校生が登場してくるが、実際のところ、転校生なんてそうそう登場してくることはない。もっとも、義務教育制度の真っ只中である中学ならまだしも、受験という壁を超えて晴れて入学した高校を転向するなんて、よっぽどの理由がない限りありえないだろう。
そんな現実世界に生きる俺たちの教室が朝からざわつきはじめたのは、朝練から帰って来た百坂が、息を切らしながらものすごい形相で放った一言からだった。
『転校生が、来るぞ!』
その言葉を聞いた誰もが、初めは百坂を見向きもせず、また百坂の妄想が始まったぐらいにしか思われてなかったのだが、次々と入って来る生徒たちが『職員室でうちの担任と話している違う制服を着た女子を見た』という情報を伝えたため、教室が徐々に浮かれた雰囲気に包み込まれていった。百坂、信頼度ゼロである。
特に男子に至っては「女子」というパワーワードが頭から離れず、髪はショートかロングか、身長は高いか低いか、そして、胸は大きいのか、果たして小さいのかという推測に忙しい。挙げ句の果てには巨乳派と貧乳派で、朝まで続きそうな激しい論争が繰り広げられていた。
もちろん女子たちは、転校生がイケメンハイスペック男子ではないことが確定した時点で「転校生」に男子ほどの興味はなく、くだらない論争の渦中にいる男子たちを、廊下に落ちている汚い雑巾を見るような目つきで睨んでいる。が、やはり多少の楽しみはあるようで、どんな女の子が来るのかという予想話がコソコソと聞こえて来る。
「な、瀬良、お前はどんな女子が来て欲しい?」
そんな彼らを教室の端から見守っていた俺の肩を、百坂ががっと掴んだ。
自分の信頼がないことに気づいてない百坂の顔には、この上ない笑顔が浮かんでいた。ああ、俺泣いちゃいそうだ。
「どんな女子が来て欲しいってお前、そんな願望言ったってもうそいつは来てるんだし何も変わらないだろ」
「そんなつれないこと言うなよ! 俺はやっぱり脇が綺麗な子がいいな」
「え、今なんて?」
思わず、聞き返してしまった。
「だから、脇だって」
「急にお前のフェチを晒されても困るんだけど」
「これお前にしか言ってないからな。内緒だぞ」
お前との秘密の共有なんて一ミリもドキドキせん。
その後も、脇の良さについて俺に熱弁する百坂だったが、チャイムが鳴り、担任が教室に入って来ると、すぐさま自分の席へと戻り、なぜかイエス様に祈りを捧げるポーズを取っていた。
先生が入って来たことで、先ほどまでの喧騒は消えたが、教室にいるみんなの顔からは期待が溢れ出ていて、それにつられて俺の胸の鼓動も少し早くなった気がした。
「えー、今日はお前たちに新しい仲間が増える。おーい、入っていいぞ」
ドアがゆっくりと開くと、見慣れない制服のスカートを揺らしながら、今咲いたばかりの花のような笑みを浮かべる少女が先生の側に立つ。
「「よっしゃー!」」
男子たちは、喜びを抑えきれずに雄叫びをあげた。
そうなるのも無理はない。
スカートからは白く、それでいてバランスよく肉付いた脚が伸びていて、くびれは制服の上からでも十分認識できるほど引き締まっている。大きく澄んだ瞳と綺麗な鼻筋はショートカットというスパイスによってより強く強調されていた。
間違いなく美人だった。
俺だって他の男子たちと一緒になって雄叫びをあげてもおかしくはなかった。
それができなかったのは、目の前にいる彼女が中学時代俺を振った、もう二度と会うこともないと思っていた
◆
姫野とは中学二年の時に初めて同じクラスになった。
一年の頃からその容姿と活発な笑顔で、男子だけでなく女子からも人気のあった彼女とただの平凡な中学生だった俺とではそれまで接点もあるわけもなく、もちろん同じクラスになっても話すことはほとんどなかった。
そんな彼女との関係に変化が訪れたのは、夏の中体連が終わってからだった。
その大会で大怪我をし、サッカーができない体になってしまった俺は、夏休みが明けてからも学校に行く気になれず、家に引きこもっていた。
サッカー部の奴らも、怪我をした俺になんて声をかけていいのかわからなかったのだろう。初めのうちは様子を見にきてくれていたが、すぐに誰も来なくなった。
それはそれで俺も気を遣わなくて済んだから、お互いにその方が良かったのだと思う。
学校に行かなくなってから一ヶ月が経ち、家のインターホンが鳴るのは宅配便と回覧板のみ。
その日は回覧板も隣の田中さんの家に渡し、母から宅配便は来ないと聞いていたにもかかわらず、インターホンが鳴った。
「やあ少年、君に笑顔を届けにきたよ」
玄関を開けた先にいたのは、自信に満ち溢れた笑みを浮かべた姫野咲だった。
それからというもの、姫野は俺の分の牛乳を片手に毎日家に訪れては、誰と誰がもうすぐ付き合いそうだとか、最近女子グループの「姫んず」に亀裂が入ってきているなどどうでもいい話をしてくれた。ちなみに「姫んず」には姫野の漢字が入っているものの、本人とは無関係のグループだった。
そうやって姫野と毎日過ごして行くうちに、俺はしっかりと姫野に笑顔を届けられて、学校にも行くようになった。
簡単に言えば、俺の心は完全に姫野に奪われていた。
それまでサッカーしかしたことがなく、ろくに女子を好きになったこともなかった俺が彼女の可憐な容姿と、笑顔で楽しそうに接してくれる姿に虜になってしまうことなんか当たり前のことだった。
俺と姫野が学校で親しくしているところを見ていたクラスメイトも、俺たちがそういう関係になっているのではないかと疑い始め、俺や姫野を冷やかしてくるやつらもいたし、当の本人であるこの俺も、もしかしたら姫野も好きなんじゃないかなんてこの上なく痛い勘違いをしていた。
『ごめん、私……瀬良っちに対してそういう感情ないんだよね。えへへ』
それ以降、姫野は今までのことが嘘であるかのように、俺を避けるようになり、結局一度も話さないまま、三年に上がる頃には転校してしまった。
俺は、姫野のそれが、ただの優しさだったということに気づけなかった。
◆
痛すぎる過去を思い出して穴に突撃したくなっているところで、姫野の自己紹介が終わり、先生が俺の方を指差した。
話を全然聞いてなかった俺は、なぜ俺が指をさされているのかわからないでいると、右奥から自然拡声器の声が聞こえてきた。
「瀬良、せけえぞ! 俺と席を代わってくれ!」
百坂の声を聞いて腑に落ちた。
指で差されていたのは、俺ではなく俺の後ろに今日突如として現れた机と椅子だ。
ほう、姫野がここに座るってことか。って!
おいなんだこれどうしたら良いんだ? 姫野が俺の後ろ? なんでこんなことになるんだよ。
そうだ、百坂に席を代わってもらおう。あいつもさっき代わって欲しいって言ってたし。
と、百坂の方に目をやると、見慣れないグレーのスカートが視界に入った。
恐る恐る顔を上げると、不思議そうな表情を浮かべる姫野がいて、俺と目が合うや否や、くしゃっとした笑顔を向けて言った。
「よろしくね!」
その笑顔は、初めて合う人に向けるような笑顔で、ほてり上がっていた体が一気に冷めていくのを感じる。
「よ、よろしく」
俺の返答に満足した姫野が後ろの席に着く。
また俺は勘違いしていたのか。
まさか俺のことを覚えていないということはないだろう。まあ、勘違いして告白してきた身の程知らずの気持ち悪いやつだという認識をされていたなら、彼女に記憶から抹消されている可能性もあるが……。
多分さっきの挨拶は「拒絶」だ。あの頃と同じ「お前とはもう関わるつもりはない」というサインだろう。
変に意識してた俺がバカらしい。というか、一人で舞い上がってすいません。
安心してください。僕はあなたに振られた過去なんか誰にも言いませんし、関わることもないですので、高校生ライフを存分に楽しんでください。
心を安らかに落ち着かせながら、無の境地に至っていると、その心を乱す声が聞こえた。
「久しぶり……」
俺の知っている元気な姫野とは違う声に驚いて振り返ると、目を伏せて耳を紅く染め上げた姫野がそこにいた。
……なんだこれ?
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