第12話 帰り道
朝の姫野の顔が頭から離れず、意を決して話しかけようと思っていたが、休み時間になると彼女の周りには人だかりができ、俺は席から離れることを余儀なくされていた。
姫野の明るい性格も相まって、クラスの男子はもちろん、女子たちの中にももう溶け込んでいる。なんなら俺よりもこのクラスに溶け込んでいるような気さえする。
そんなこんなで昼休みになる頃には、俺はもう完全に姫野に話しかけることを諦めていた。
そもそも、後ろの席にいながら姫野から話しかけてこないということは、そういうことなのだろう。
昼休みのチャイムが鳴り、さっきまで音一つなかった廊下から、徐々に木の
どうせ自分の席には姫野目当ての女子が押しかけることを予想した俺は、気まずい雰囲気になる前に席から立ち上がる。
神崎と一緒に飯でも食おうかと彼の席を確認したが、綺麗に椅子が引かれているだけで、肝心のイケメンはどこにもいない。そういえば今日は生徒会があるって言ってたっけな。
どこで食べようかと悩んでいると、何か嫌な予感がしてきたのですぐさまドアを凝視する。
「せんぱーい。あ、みなさんこんにちは」
こんな予感は当たらなくて良い。
姫野のことで頭がいっぱいになっていたからか、完全に奴の存在を忘れていた。てかなんでお前も普通に俺のクラスに馴染んでんだよ。
「なんだよ月宮」
「今日はどこでご飯食べますか?」
「なんでお前と飯食うのが当たり前になってんの?」
月宮の自己中心ぶりに頭を抱えていると、月宮が突然大きな声をあげて、俺の奥を指差した。
「あーーー!」
「おい急に大きい声出すな」
「だ、だって先輩あの人……」
動揺を隠せない様子の月宮の目線に沿って顔を向けると、その先には困惑した表情で小首を傾げながらこっちを向く姫野がいた。
「もしかしてお前知り合いか?」
「ああ……、い、いえこの時期に転校なんて珍しいなと思っただけです」
「まあそうだな。あ、でもお前珍しいからって変なことするなよ」
「な、なんですか! 私がこんなにしつこくするのは先輩だけです!」
頰を膨らませながらプンスカしている月宮。俺にしつこくするのもやめてほしい。
「はあ……、じゃあとりあえず今日……ってお前! 急に飛びついてくんなよ!」
月宮は、かなり強めの力で俺の腕にまとわりつく。それにも関わらず、目は俺ではなく、その先にいる姫野を捉えていた。
「これは、宣戦布告ですから」
「おい、お前変なことするなって言っただろ」
「変なことじゃないですけど」
何か気に触ることをだったのか、今までより鋭い目つきで月宮は俺を睨みつけた。
「……なんかすまん」
謝っちまったしよ。
俺が謝る頃には、月宮は不気味に口角を上げながら、再び姫野を見ていた。
申し訳なくなって、姫野に謝罪の意味を込めて頭でも下げておこうと教室の奥に目をやると、そこには目を丸くしたまま、時が止まったかのように微動だにしない姫野がいて、俺はどうして良いかわからず、月宮に引っ張られるがままに教室を後にした。
◆
その日の放課後、俺は半ばスキップをしそうなほどに気持ちを高ぶらせながら、次々と階段を降りていた。
なぜ俺がここまでテンションが高いかというと、今日は久しぶりに一人で放課後をすごすことができるからだ。
先ほど月宮さんより「今日は委員会があるので一緒に帰れません」というこの上ない朗報を受けた。そもそも月宮と一緒に帰る約束なんてないのだが、いつの間にか俺の中でも月宮と帰るが当たり前になってしまっていること気づく。慣れというものは本当に恐ろしいな。
そんなことはさておき、今日ははやく帰って七時から放送される日本代表戦を見なければならない。担任に手伝いをさせられたことでほんの少しばかり遅れをとってしまったが、まだまだ時間には余裕がある。
正門に近づくにつれて、外周を走っている女子バスケ部の甲高い掛け声が聞こえてくる。この時間になると帰っている生徒は少なく、駐輪場で談笑している男子生徒たちと、正門で誰かを待っている女子生徒が一人だけしかいない。
その女子生徒が誰かということが一瞬でわかったのは、俺たちとは違う制服だったからなのか、その後ろ姿が、俺がずっと見続けてきた姿だったからなのかはわからない。
そこにいたのは姫野咲だった。
誰を待っているのだろうか。遠くからでも彼女がそわそわしていることが伺える。もしかしてもう彼氏でもできたのか? さすがに初日からそんなことはありえないか。もともとこの学校に彼氏がいて、そいつにわざわざ会うために転校してきたとか? いやいや、そんな馬鹿げた話あるわけないか。いやでも姫野は確かに可愛いとは思うけどあんまり恋愛しているイメージはないし……って何考えてんだ俺は! こんなこと俺には関係ないだろ!
「瀬良っち!」
いつの間にか姫野の隣を通り過ぎていたことに気づいたのは、懐かしい呼び名で呼び止められた時だった。
「……姫野……さん、なに?」
「なんでそんな他人行儀なのさ!」
姫野は不満げに眉をひそめた。
「それは……」
こっちのセリフだ。中学のあの日からずっと俺を避けていたのはお前だろ。喉元まで上がってきた言葉を食い止める。
ただ自分が勘違いしてただけじゃねえか。なに考えてんだ俺は。
「だよね。わかってる」
姫野は無理やり笑って見せたが、背中は小さく縮こまっていた。
「いや、すまん。別にお前は何も悪くないのに」
「ううん。そうじゃない。そうじゃないんだけど……。あーもう! せっかくまた会えたのにこんな辛気臭いのやめようよ!」
決まり悪そうにしていた姫野だったが、大きく深呼吸をして俺の知っている笑顔に変わった。
「そうだな。その方がいい」
「じゃあせっかくだから少年、一緒にゆっくりと帰りながら思い出話に花を咲かせないかい?」
その懐かしい口調と眉根をきりっと釣り上げた挑戦的な表情を見て、わずかに胸の鼓動が早くなるのを感じた。
「まさか同じ学校に瀬良っちがいるとは思わなかったよ」
正門を出た俺たちは、夕焼け色に染まり始めた空の下で駅に向かって歩き始めていた。
「まさか姫野が転校してくるとは思わなかったけどな」
「ははは、私も一生この街には帰ってこないはずだったんだけどねえ。親が離婚しちゃったんだ」
「そうだったのか……。そりゃ大変だったんだな」
気になっていたことを姫野自身から言ってくれたのはありがたいが、それと同時に不純な動機を思い浮かべていた自分が情けなくなる。姫野さんごめんなさい。
「うーん。私は転校っていう結構大きな変化はあったけど、全く知らない場所じゃないし何人かは知り合いもいるからね。特に大変ってわけではなかったよ。離婚も私が知らないうちに決まってたし」
姫野は自嘲的に笑いながら言っているが、目の奥には諦めのようなそんな感情が巻きついているように見える。まあでも、姫野自身がこうやって自分を納得させようとしているのだから、俺が口を出すことではない。
「姫野ってここからどこに引っ越したんだ?」
俺の素朴な質問に、姫野は驚いたように目を丸めた。
「東京だよ」
「東京⁈ ってあの東京か?」
「はは、何それ。東京なんて一つしかないよ」
まさに田舎野郎の反応をしてしまった。
なにせ俺はこの歳になっても東京に行ったことがないのだ。来世は東京のイケメン男子にしてください、と神様に頼んだこともあるぐらいだ。
「すごいな」
東京にいたことの何がすごいのかは自分でもわからないが、そんな感想しか言えない。
「そっか……。私そんなことも君に伝えてなかったんだね。ほんとひどい女だな」
姫野はまた俯いて、自分に言い聞かせるように呟く。
「だからそのことはもういいって」
「……私ずっと言いたかったんだ。あの時、君を避けるような態度をとってしまってごめん」
辛気臭いのは嫌だといていたくせに、唐突に深々と頭をさげる姫野を前にして、俺はどうすればいいのかわからずあたふたとしてしまう。
「ま、待て待て。なんでお前が悪いみたいになってんだよ。そりゃ振られたことはそれなりにショックだったけど、好きでもない男に告られてああいうことになってしまうのは普通のことだろ? だから」
「ち、ちがう! そうじゃなくて私はあの時……」
声を荒げた姫野が急に話すのをやめた。
よく見ると、目線は俺ではなく、俺の後ろに向いている。
そういえば、背中から殺気のようなものがひしひしと伝わって来ているような気がしてならない。
「瀬良先輩……?」
俺が振り向く前に、肩に手が置かれる。
この背中が一気に冷める感覚を俺は知っている。
ゆっくりと振り向くと、そこには目が全く笑っていない、三人ぐらい殺した後のようなおぞましい表情の月宮さんがいらっしゃった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます