第2話 失恋はほろ苦い
自販機の前で、三十秒ほど悩んだ結果、コーヒーといちごみるくのボタンを押した俺は、席で待つ彼女のにピンクの紙パックを突き出した。
「何が好きかわからんけど、これでいいか?」
「ありがとうございます」
目を真っ赤に腫らした彼女は、白く透き通った細い手を伸ばして、いちごみるくを手に取ると、ストローを突き刺して一口吸い上げる。
よく見ると、目はパッチリとした二重で、肌はシルクを連想させるほどにハリとツヤが出ている。学校一とまではいかないが、間違いなく上位に食い込んでくるほどには可愛い顔立ちだ。背丈こそは低いが、そのぶんの栄養がしっかりと胸に行き届いていて、胸のサイズは申し分ない。
「甘い……」
「嫌ならこっちでもいいけど、コーヒーとか飲めるか?」
「失恋したばかりの幼気な少女にコーヒーを勧めるなんてどんな神経してるんですか? もしかして失恋とほろ苦いをかけてたりしますか? 全然面白くないです!」
しかし、めんどくさい。
「なんかその、すまん」
「以後気をつけてください」
「はあ」
いや、以後関わらないから気をつける必要ないんだけど。
「そういえばまだでしたね。私は一年の月宮
自分で言って自分で泣きそうになってる月宮に、かける言葉が見つからない。何それ自虐なの? どんな反応すればいいんだよ。
「俺は二年の瀬良拓真」
当たり障りないように、自分の名前だけをさらっと伝える。
「瀬良先輩、私振られちゃいました」
「知ってる」
始まってしまった。
まあ、話は適当に相槌を打って、最後に「お前ならいい人見つかるよ」なんて言っておけばそれとなく終わるだろう。
「好きだったんです」
「だろうな」
「私ずっと
北代とは、多分さっきこいつを振った彼氏のことだろう。あ、今は元カレか。
「へえ」
「ちょっと! もっと真剣に聞いてくださいよ!」
そう言って月宮は頰を膨らませて、両手の拳をテーブルに打ち付ける。
「はいはい」
「北代先輩は私の恩人なんです。あれは入試の日のことでした……」
「待て、回想から入んの?」
「いちいちうるさい人ですね。話聞くって言ったんだからちゃんと聞いてください」
「……わかったよ」
それが人に話を聞いてもらうやつの態度かよ、という言葉をぐっとこらえて了承すると、月宮は満足そうに頷いて、話し始める。
「あれは入試の日のことでした。電車を乗り間違えて時間ギリギリに駅に着いた私は、頭の中が真っ白になって、そこから学校までの道のりがわからなくなったんです。ギリギリに着いたせいで周りに受験生もいなくて、もうどうしようって泣きそうになってたんですよ。そしたらこの高校の制服を着た人が優しく声をかけてくれて、学校まで連れて行ってくれたんです」
「で、それがその北代ってやつなわけか」
「その通りです! 瀬良先輩理解が早くて助かります」
いや、誰でもわかるだろ。これで北代の話じゃなかったらそれはそれで怖えよ。
「もう一目惚れでした。私中学まで恋愛とか無縁だったんですけど、その時世界が変わったかのようにバラ色になって、ああ恋ってこういうことなんだって。それからはもうほんっとうに頑張りました。まずはやっぱり可愛くならないと話にならないじゃ無いですか? だからメイクとかファッションとか、表情とか姿勢とか! もうめちゃくちゃ頑張りました」
乙女全開で目を輝かせる月宮を見てると、興味のなさが倍増してあくびなんか出そうになる。
「見つかってよかったな」
「いやあ、結構苦労したんですよ。初めは話しかける勇気が出なくてずっとグラウンドで北代先輩を眺めてるだけでした。北代先輩サッカー部なんですよ! 北代先輩はディフェンスなんですけど、ラインコントロールがすごいうまくって、オフサイドトラップとか決まった時にはもう抱きついちゃいそうでした」
「わかる。わかるぞ月宮。オフサイドトラップまじ見てて気持いよな。確かにシュートもかっこいいんだけど、あの息を揃えて罠にはめる感じが……ってお前サッカー詳しすぎない?」
ラインコントロールやオフサイドトラップなんて、サッカー経験者じゃないと知らない単語を並べられて興奮してしまったが、こいつなんでこんなに詳しいんだ? どうにも経験者には見えないけど。
「北代先輩に近づきたくて勉強したんです。ルールブック買って、ダヨーン契約してプロの試合もめちゃくちゃ見ました。前回のワールドカップのベルギー戦なんかもう泣いちゃいましたよ」
「わかる、わかるぞ月宮。ってお前怖えよ!」
「何でですか? 好きな人の好きなことを好きになろうとするのは当たり前じゃないですか?」
なにお前リンカーンなの? 好きな人の好きな人による好きな人のための国家とか絶対に作るなよ。
それにしても、理屈は理解できるが、月宮の場合それが常軌を逸している。ルールを覚えるまではわかる。だが、ルールを覚えただけの人間にベルギー戦の良さなんてわかるはずがない。月宮のサッカー知識は経験者にも引けを取らないレベルだ。
そんな知識を、ただ好きな人に近づきたいと言う理由だけで身につけてしまうとは……、こいつもしかして……。不穏な四文字が頭をよぎる。
「そ、そうだな。俺もそう思う。たぶんきっと、うん」
「ですよね! てか先輩サッカー詳しいんですね。今度一緒に観に行きませんか? 北代先輩の試合」
「は? なんでそんな拷問みたいなことしなきゃなんねえんだよ」
プロの試合とかならまだしも、誰がたかが高校生の、しかも友達でも何でもないやつの試合見に行くんだよ。負けろとしか思わねーぞ。
「ちぇっ、先輩つまんないですね」
「あのな……」
「そんなことより続きです」
俺の拳がもう直ぐで出そうになっていることなど気づきもせず、月宮は続ける。
「ある日、勇気を出して声をかけたんです。『あの時助けてもらった者です』って」
「どこの鶴だよ」
「茶化さないでください! 今いいシーンなんで」
いいシーンなんでってなんだよ。俺からしたら全部つまらんぞ。全俺が泣かない。
「はいはい」
「そしたら覚えててくれたんですよ『ああ……、あの時のあのショートカットの子ね』って。私中学の頃ロングだったんですけど、先輩間違えて覚えてて、はあ、もう、可愛くないですか?」
月宮は頰に手を当て、意味ありげにため息なんかついて完全に浸りきっている。
おいおい、その感じ怪しくねえか? 完全にお前忘れられてるだろ。それを可愛いと思えるお前のメンタルに涙が出そうになるわ。まあでも変なこと言ってまたこいつが泣き出すのも面倒だ。
「あー、可愛い可愛い」
「え? 瀬良先輩もしかして北代先輩のこと……」
「一回ぶん殴っていいか?」
「それでー、思い切って告白したんです。そしたらなんと! OKもらえて、晴れて私たちは恋人になったんです」
「めでたしめでたし」
「ちょっと! まだまだこれからなんですけど! 勝手に終わらせないでください」
どうやら月宮は俺の強制終了に応じる様子がない。
「ちっ」
「あー! 今舌打ちしましたね。仕返します! ちっ」
なんだそれ。こいつもしかして……、バカなのか?
「それからの私たちは、それはもうラブリーでジュエリーな時間を過ごしまして」
間違いない、バカだ。じゃないとそんな一カラットもなさそうな希少価値ゼロの時間をさも愛おしそうに語れるわけがない。
相槌を打つのも疲れてきた俺を差し置いて、月宮は興奮を抑えきれず、口を止めることはしない。
「毎日寝るまで電話をして、休みの日には絶対一緒にデートをしました。朝起きるときも私が電話で起こしてあげたり、部活の日は必ず応援に行きましたし、平日も部活終わるまでずっと教室で待って、終わったら一緒に帰ってました。もう私達の愛で地球を救えるんじゃないかってぐらいでしたよ!」
もうお前らがメインパーソナリティーやれよ。
それにしても、話を聞いているだけで、胃の中にあるものが口から出てきそうになる。
放課後毎日一緒にいて、週末さえもデート三昧。おまけに家に帰っても電話と、……一人の時間がまるでない。
少し北代に同情すら覚えるぞ。俺だったら三日で限界だ。
「でも……、だんだん電話をしたくないって言い出して、次は一緒に帰るのも嫌だって言い出して、デートもだんだんしなくなって行きました。それでさっき……」
さっきまでの明るい声音はどこかへ消え去り、ハリのない震えた声が月宮の口からぽろぽろと落ちる。
まあそうなるだろうな、とは思うが、ここでそんなこと言ったって、月宮を余計傷つけるだけだろう。傷ついている女の子に正論をかますことはナンセンスだなんて俺でもわかる。
俺はただ黙って月宮の話は聞く。
「わかってるんです。自分が重いことぐらい。でも……、好きになったからしょうがないじゃないですか。一緒にいたいって思うのも、独り占めしたいって思うのもしょうがないじゃないですか……」
月宮はそう言って、流れてくる涙を拭う。それでも追いつかないのか、テーブルには一滴、また一滴と涙が落ちている。
「まあ、そんだけ人を好きになれるってすごいことだと思うけどな」
「そう……思いますか?」
月宮がぐちゃぐちゃになった顔を俺に向ける。
「そりゃもうめちゃくちゃ思う。お前なら次はきっといい人見つかると思うぞ」
嘘じゃない。素直に好きな人をここまで好きになれることはすごいだ思う。憧れはしないし、自分はその好意を向けられたいとは思わないけど。
「じゃあ、先輩が付き合ってください」
「は?」
なんかこいつ今すごいこと言わなかった?
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