メンヘラ後輩は愛が欲しい!
赤鳥栄汰
第1話 遭遇
校庭の木が、緑を帯びて来た六月。
帰宅部の俺は、グラウンドで部活動に励む学生たちの喧騒の中、一人で下校していた。
いつもは同じクラスの神崎と一緒なのだが、今日は生徒会があるらしく、先に帰ってしまった。
サッカー部がボールを蹴り上げる音が、俺の気持ちを少し高ぶらせる。
実は俺は中学時代までずっとサッカーをやっていた。自分で言うのもなんだが、実力はそれなりにあった。
まあ、大怪我が原因でやめざるを得なかったんだが、今でもサッカーは大好きで、ボールの音を聞くと自然とシュートの素振りをしてしまう。
「今のは神コースに入ったな」
ふんっと鼻を鳴らしながら、周りに誰もいないかを確認する。よかった、誰も見てなかった。
スキップなんてしながら階段に差し掛かったところで、踊り場に男女二人が面と向かって立っていた。
それを見た俺は、とっさに身を隠してしまう。
キスでもおっぱじめようもんなら、二人の間を切り裂くようにして通り過ぎてやろうと思ったんだが、そんなバラ色の雰囲気ではなく、不穏な空気が二人を包み込んでいた。
「どうしてですか……?」
髪を肩ぐらいまで伸ばした彼女と思われる女子が、スカートの裾をぎゅっと握りしめている。リボンの色が黄色だからおそらく一年生だ。
「なんでって、お前重いんだよね」
男子の方は、ポケットに手を突っ込んだまま、つまらなそうに言い捨てる。
「だって……、だってそれも好きって言ってくれたじゃないですか!」
「いや、そん時はそう思ってただけだし」
「ずっと一緒って言ってくれました! 全部嘘だったんですか? 私信じてたのに……」
彼女がかなり語気を荒くして訴えるも、彼氏の方には響いてないようで、舌打ちすら聞こえてくる。
修羅場じゃん。やっべー、なんか楽しくなってきた。今日は白飯だけで三杯いける。
「そういうところがめんどくせえんだよ。俺はもう無理だから。もう話しかけんなよ。じゃ」
「ちょっと待ってください! 待って……」
懸命に引き留めようとする彼女の抵抗も虚しく、彼氏は手を振り払って階段を降りて行った。
「なんで……」
彼女はそう呟くと、しゃがみこんで顔を埋める。
いやあ、うん、やっぱ恋愛って大変ですね。
彼女さんは可哀想だけど、俺が慰める義理もないし、何より関わりたくない。
俺はそっと立ち上がって気づかれないように踵を返す。
−−その時。
肩にかけていた鞄を誰かにぎゅっと力強く引っ張られた。
「……見てましたよね?」
背後から聞こえる幽霊のような細い声が、俺の背中の温度を一瞬にして冷やす。
「な、なんのことかわからないなあ」
「本当にわからないんですか? さっきからこっちを見ないようにしてるのはなんでですか?」
「いやその……、急いでるんだよ。そうそう俺急いでる。だから手離してくんない?」
「そうですか……」
俺の苦しい言い訳を受け入れたのか、彼女の手の力がゆっくりと抜けていく。
手が離れたらすぐに走り出そうと、バレないように足腰に力を入れて、スタートダッシュの準備をする。
離れた! 走れ俺! セリヌンティウスが待っている!
右足を大きく踏み出す。
しかしその時、解放されたはずの左肩に、再びさっきの数倍の負荷が襲ってきて、前にかかっていた重心が、大きく後ろに引っ張られ、俺の体は床に叩きつけられた。
「痛ってえ! 何すんだよ!」
頭を押さえながら目を開けると、そこにはまだ目をほんのりと潤ませた少女が一人、床に膝をついて、訝しそうに俺を覗いていた。
「そんな言い訳が通じると思ってるんですか? 絶対見ましたよね?」
「見てねえって」
「嘘です。顔に『やっべ、見ちゃいけないもん見ちゃったな。泣いてるあの子は可哀想だけど、俺が慰める義理もないし、関わりたくない。気づかれないように静かに帰ろ』って書いてますよ」
「俺の顔面にそんな余白ねえよ」
俺の心を完全に読み取った彼女に恐怖すら感じた。おかげで本当に書いてるのかと思ってスマホで自分の顔確かめちゃったじゃねえか。
「……そうやって、あなたも私のことを見捨てるんですか……?」
震える声はだんだんと小さくなっていき、彼女の目から、大雨を予感させる一粒の涙が俺の頰に落ちてきた。やばい、始まる。
「ちょ、落ち着……」
「うああああああん! ぞうやっでえ、みんなわだじ、ひくっ、のおおお、ごどなんでえ、どうでもいい、あぐっ、でええ、みずでるんだあああ、わああああああん!」
「おいおい、ちょっと落ち着けって。泣くな! 頼むから泣くな!」
学校中に響く渡るような泣き声を聞きつけた野次馬たちが、徐々に集まってきて、俺に冷たい視線を送る。
「わだじなんでえ、じんだほうがいいいい」
「ちょ、わかった! わかったから! 話聞くから! な? いいだろ?」
完全に冤罪を被りそうな現状に我慢できずに、そんなことを口走ってしまった。
「ほんと、ひくっ、ですか……?」
「ああもうほんとのほんと。だからとりあえず泣くのはやめような」
彼女はぴたっと泣き止んで、鼻をすすりながらこくりと頷く。
野次馬たちも、状況が深刻でないことがわかると、その場からはけて行った。
こいつの失恋話なんて、腐る程どうでもいいんだが、話を聞くと言ってしまった以上、付き合わないといけない。逃げることもできたかもしれないが、また泣き叫ばれても困る。
まあでも、こういう時は話を聞いてもらえる相手がいるだけでも随分楽になるもんだろ。適当に相槌打っときゃすぐ終わる。
なんて、甘い考えだったと今では後悔しかない。
どれだけ周りに誤解されようが、女を泣かしたと言うレッテルを貼られようが、この女、月宮紬とは関わるべきじゃなかった……。
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