3章第2話

「乱心というと」


 とおれは草薙に問うたのだが、そのときリオンは突然無言でおれの上着を脱がせ始めた。


(数日前からなのだが、……何をやってる?)

「治療」


 とだけ言って、リオンはおれの傷口に唇を這わせ始めた。濡れた舌が触れる。舐め回される。


(汝ら、そういう仲なのは勝手だが、我の話が終わってからにしてくれんか?)


 リオンは無視の構えである。行為が継続される。


(まだ日は高いというのに……)

「いや、そういうのじゃないし、実際多分そういうのじゃないと思うのですが」


 思わず剣を相手に敬語を使ってしまった。だが、舐めて治療する魔術なんてのは、人間の子供がするまじない以外では聞いたことがない。


(……まあよい。大御神の話の続きだが)

「はい」

(茫然自失というか、いや意識はあるのだが言葉すらも分からなくなってしまった様子でな。奇声を発し、日がな彷徨い歩く。何者かに正気を奪われたとしか思えない様相だ)

「なるほど。おれはてっきり」

(言わずともこの天を見れば分かるだろうが、また岩戸にお隠れになったというわけではない)

「そうですか」

(いまのところ天鈿女アメノウズメ様が付きっきりで看護なさっているが、打つ手は無しだ。よってわが主が原因を求めて、承知のように天下られた。そこにひょっこりと現れたのがそなたらだ。改めて訊くが、このような事情のあるときにそなたらは何が目的で八坂神社に現れた?)

「事情なんて何も知らなかったし、こっちの目的はただの観光」

巫山戯ふざけてもらっては困る)


 そう言われてもマジで観光してただけなんですが……と、いうあたりでようやくリオンはおれの肌から顔を離した。と思ったら、確かに傷が癒えていた。てらてらと濡れる顔がなまめかしい。


「ふぅ。直したぞ」

「おれの身体は舐めると治るのか?」

「余と汝の関係なればこそだ」

(……)


 剣の無言が痛い。絶対に誤解されている。だから、そういうことじゃないってば。


「余のこの身体とそなたのその身体は霊的には同一のものだ。構成要素も同じだ。従って、浅い傷くらいならこうして直接魔力を送り込めば直してしまえるのだ」

(どういうことだ?)


 リオンはおれの身の上と素性について、現状分かっている限りのことを説明した。


(半名付与か。また、珍しい魔術を用いたものだ)

「普段遣いの身体がなくては不便で仕方がないからな。毎度毎度、他者の肉体を乗っ取って歩かせるわけにはいかん。草薙を乗っ取ったときのように、いつもうまく行くとは限らんし」

(ああ、あれか。あれは乗っ取られたわけじゃない。我の側できゃつを受け入れたから憑依が成功したように見えただけだ。勘違いしてくれるなよ)


 まあそんなことじゃあないかとは思っていたが、やっぱりそうだったか。


「それで、多分この中でおれだけが知らないと思われることがまだ一つあるんだが」

「何だ」

(どうした?)

「リオンが……いや、当時はダンタリオンだったのかな、百年前に日本に来たとき、一体何をやらかしたんだ?」

「ああ。そのことか」


 説明が始まる。




【アメノウズメ】日本神話


 古事記・日本書紀に登場する女神。アマテラスの岩戸隠れのとき、肌もあらわに舞を踊って神々を興じさせ、アマテラスの気を引くという役をなしたことでよく知られる。またそのことから、踊りや芸能の神としての信仰の対象ともなっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る