2章第3話

 リオンが女湯から戻ってくる頃には、おれたちの部屋には睡雲閣自慢の見目麗しい料理がずらりと並べられていた。美しい。もっとも、具体的にどれが何なのか、おれの知識ではほとんど分からない。


「京懐石だよ」


 と、リオンもそれしか説明してくれない。おれも別にそれ以上知りたいわけではないので深く追及はしなかった。


「ほれ、杯が空いておるぞ。余が特に注いでやろう」


 おれだけ酒を飲んでいる。子供のような外見のせいでリオンの分を仲居が置いていかなかったというのもあるが、理由はそれだけではなかった。


「酒を飲んでから風呂に入るのはタブーだからな。常識だ」

「ひ弱な人間みたいなことを言うんだな。お前さんは悪魔の王なんだろう?」

「リオンとしての今の肉体には、人間とほとんど変わらない程度の機能しか備わっておらぬ。無理はできん」

「そうなのか」

「ああ、お前の方は違うぞ。その身体は使い捨てだ。どう丁寧に使っても一年はたんように出来ている」

「む」

「だから好きなだけ飲め。そして遊興にふけれ。楽しむなら今のうちだ」


 そういえばそもそも、当初おれには身体すら無かったのだ。いま、こうして刺身など食っていること自体が奇跡なのかもしれない。


「奇跡ではない」


 しばらくぶりに心を読まれた。


「奇跡とは、いと高き全能なるお方の力の名だ。お前のそれは余の恩寵の賜物だ」

「感謝する、と言えばいいのか?」

「そんなものはいらん。ネズミで実験をするときに、ネズミに餌をやらん学者がいるか?」

「ネズミか」

「くっく。不服そうだな」

「まあ、ネズミでも何でもいい。生き延びることができるなら」

「もしかすると勘違いをしているかもしれないから、言っておくが……」


 リオンは吸い物をすすり、椀を置いて、言葉を続けた。


「余はお前の正体を知ってこの好奇心が満ちたならば、その先のことまで面倒は見んからな。心しておくように」

「ああ」


 元より、向こうに何の義理があるわけでもない。当然だろう、と思う。だが。


「……つまらんな。澄ました面をしおって」

「何の話だ」

「なんでもない。ふん」


 リオンは魚に噛り付き、ぷいと横を向いてしまった。何なんだ。


 そして夜が更け、朝になる。今日も快晴だった。外はうだるほど暑いだろうな。旅館の中にいればエアコンがあるけど。


「で、観光はいいが何処へ行くんだ」


 リオンは朝食の席で、箸を垂直に立てて言った。


「お前の座ってる方角を北とする」

「それで?」


 リオンは無言で箸を倒した。どうでもいいが、行儀が悪いな。倒れた箸の先は、おれから見て左だった。


「決まりだな。東だ。洛東へゆこう」

「洛東というと」

「一番有名なのは清水寺かな。銀閣寺もあるぞ」

「よく分からん。まあ、任せる」

「任せよ。きっと」


 そう言うとリオンは、年齢不詳の笑みをにいっと浮かべた。


「何かが起ころうぞ」

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