美しい薔薇には棘がある


 レイの動きは固まったままだが思考は状況の整理を始めていた。


 一人暮らしで鍵を掛けていた筈の部屋に何故か誰かがいる。その誰かとは先ほどまで一緒にいた少女。そして、不機嫌そうに『遅い』とのたまっている。


(整理できねぇよ……)


 整理しても意味が分からない状況。


「………なんで??」


(鍵を渡した覚えは……ない)


 そんな間柄で無いのは明白だ。


(寮を教えた覚えも……ない)


 ないない尽くし。


 ようするに理解不能だった。


「すぅ~はぁ~。落ち着け……俺」


 戦場で鍛えられた精神力で様々な感情を必死に抑え込む。幸いにも強盗の類では無い事が救いだった……のかもしれない。


 取り合えずレイは無難な質問。そして、最も真相に近い質問を投げかける。


「なんで?」

「遅い」

 

 ノータイムで返されたのは同じ言葉。質問の意図を理解していないのか? だから、レイは息を大きく吸い込んだ。


「いやいやいや……遅いって意味わかんねえよっ!! もうびっくりだよっ! えっ、なんで??」


 絶叫が部屋に響き渡った。


 今まで見せていたシャリーの不可思議な行動ならばスルーする事も出来たが、自分の部屋にいる事に対しては妥協するつもりが無い。そもそも妥協してはいけない。


「もう一時間はたつ」


 いつも通りの抑揚のない声。


 マイペースに告げるシャリーはレイの言葉を気にせずに堂々と居座っている。何ならここが私の家だと言わんばかりの立ち振る舞い。


 興奮するレイよりもこの部屋の主人らしい姿だった。


「ちょ、ちょっと待てっ! そんな事よりなんでここにいるんだよっ!?」

「帰宅した」


 薄々……嫌な予感はしていたのだが。


「……どこに?」

「ここ」

「だから帰宅ってどういう意味?」


 ポンポンと床を叩くシャリー。


 何をバカな事を聞いているんだとばかりに小首を傾げる彼女の態度がレイを追い詰める。


「話が……話が全く噛み合わないんだよっ!! 同じ人間だよなっ?? 意味不明なんだよっ!」

「意味? ……帰宅は元の場所に戻るという意味だよ?」


 再び見せる仕草。


 幻獣とだってもう少しコミュニケーションが取れるのではないかと本気で考え始めたレイ。戦いの際は死闘と言う名のコミュニケーションが成立しているのだ。レイが斬りかかろうすれば幻獣はそれを察知して回避する。


 これがいわゆる一つのコミュニケーションである。


「……はい?」


 しかし、シャリーはどうだ? と現実逃避気味なレイは間の抜けた声しか出せなかった。


「遥か過去からレイ君の元が私の帰る場所」



 と、意味不明な供述を述べる容疑者は……。



「…………は?」

「私はレイ君の元に帰宅した」


 どんどん酷くなるシャリーの言い草。


「せめて意思疎通だけでも……せめて……少しでも話を噛み合わせてくれ」



 それは本気の懇願だった。生まれてこの方ここまで必死に相手に解を求めた事など無いだろう。いや、これからもそんな事は起こらない筈だ。



「それに」

「それに?」

「運命の歯車は噛み合ってるよ?」


 当たり前の事を当たり前に話す。そんな態度を終始みせるシャリー。


「もう帰れっ!!」


 口元を綻ばせたシャリーを見てレイは確信した。



 彼女の頭の中はどうしようも無い程に空っぽなのだと。彼女は頭のネジが足りない所為で緩んだ隙間から中身が零れ落ちたのだと。どうしようも無い程に手遅れなのだと。


 悟りの境地に踏み入ったレイは視線を中空に固定してぼうっと天井を見上げる。



「まだ話の続き。赤いのが来たみたいだから」


 ようやく何かしらのヒントを得たレイの意識が悟りから引き戻される。


「……赤いの?」

「ん。本当に人そっくりの赤い乱暴ゴルゴン。でもすぐ泣く」


 幻獣の一種、ゴルゴンの名前が不意に出てきた。


 筋肉質な肉体を持ち、厚い毛皮と赤い体毛で覆われている巨大な人型の幻獣。怒らせると気性が荒くなり暴れまわる生態は有名だった。


 ようするに全く理解できない言葉を述べるシャリー。


「それって只のゴルゴン? それともゴルゴンみたいな人?」

「何でもない」

「何でもないなら話すなよ。ちょっと気になっただろ。はぁ……やっぱり話が全く噛み合わない」

「レイ君は私という歯車と噛み合っている」

「噛み合うっていうか……俺の心は現在進行形で噛み砕かれてるよ……」

「砕かれたのは私の心。レイ君の所為だよ?」

「……うん。もう黙ってくれていいよ?」


 疲れ切ったレイ。


「ん」


 何故かそこは素直なシャリーが押し黙った。じっとレイを見上げる彼女は人形のように動かない。どうやら本当に言われた通りにするようだ。



「ちょっと出てくる」



 レイはドアから滑り出ると頭を抱えたまま廊下でうずくまる。疲れた心を癒すには休息が必要だった。


 俯いたまま廊下の染みを数えていたレイだったが、ようやく顔を上げる。


「ふぅ~」


 流れる雲を見ながらレイは頭を空っぽにしてぼうっとする。


「よしっ! アレは夢だ……そう夢……。試合に興奮していつのまにか寝てたんだよ」


 そう結論付けたレイは再びドアノブに手をかけた。



「全く夢と現実を混同するなんて疲れてるんだな……ははは」




 そして、扉を開けると……。





ガチャ




「おかえりなさい」



 ……何故か白銀の天使が立っていた。



「いや何でだよおおぉっ!!!」



 絶叫。


 第一闘技場に舞い降りた天使と寸分違わない容姿。天使と見紛う少女が微笑んでいた。


「ん。おかえり」


 そして、再び告げられた挨拶。


「いやいやいやいや。シャリーはどこに?? いや……なんで?」


七薔薇の姫――その一角が自分の寮にいる。


 二つ名は銀薔薇の雪姫。


 その容姿は新雪と評される程に美しく、天使と見紛う高嶺の花。


 十大貴族にして王国有数の資産家のご令嬢。シャルロット・ネーゼルステインがレイの部屋にいる。


「シャルが会いにきた。言うことがあるはず?」


 そんな幻装騎士界において抜群のネームバリューを誇る聖女候補が場違いにもレイが暮らす部屋で優雅に一礼する。


 だが、そんな事よりレイは何度目かになる違和感を覚えていた。


「シャル……?」

(この引っ掛かりは……そう、昔……えっと……っ!?)


 レイの反応を見ていた銀薔薇を起点に部屋の温度が急速に下がっていくような錯覚を覚えた。


「もしかして本当に忘れた? ねぇ、忘れてた? どうして忘れたの?」


 同じ意味の言葉を別の言い回しで訪ねてくる銀薔薇。


「怖い怖い怖い!! ちょっとマジで怖いから」

「……確かに年月を考えれば仕方ない面もある」


 口を尖らせながらやれやれと首を振るシャル。


 キラキラと銀色の髪が揺れる。やはりと言うべきか場違いな程の美しさだった。


「まず……君は誰?」


 だが、レイはそんな美しさよりも確認しなければならない事が山ほどある。


「ん。成長して更に綺麗になったから仕方がない。そう……つらだけに」

「面を掛け合わせるなっ!!」


 思わず先程の流れからツッコミを入れてしまうレイ。


「ツッコミ……良いツッコミだった。シャルに突っ込む? レイ君なら……良いよ?」


 天使のような顔で何だか聞き捨てならない言葉を吐いたシャル。


「何がだよっ!? 何だかニュアンスが違うよっ!!」

「ポッ」

「もういいよっ! とにかく何なんだ……」

「シャルロット・ネーゼルステイン。またの名を銀薔薇の雪姫。レイ君……久しぶり」

「シャ、シャル……嘘だろ……」


 ここまで来ればどんなに鈍感でも気づいてしまう。


 銀薔薇の雪姫が誰なのか。


 しかし、髪型、雰囲気からして全くの別人。そもそも出会ったのはまだ幼かった頃。


 何としてでも否定したいレイは思い出しかけた記憶を強制的にシャットダウンした。


「し、知らないな……人違いだ」

「クライスト家」

「っ……」

「創設以来クライスト家は幻聖を数多く輩出する名門中の名門騎士家系。今代の当主アイン・フォン・クライストも幻聖の永世称号を持ってる。国内で最も有名な称号家系の一つ」


 シャルロットが不意に語りだしたクライスト家は誰もが知る家名の一つ。


 幻聖はその年度において最も幻獣討伐功績がある者に与えられる称号。A級幻位戦を勝ち抜いた優勝者に与えられる幻王と並び称される二大称号の一つだ。


 幻聖は最も王国を守ってきた幻装騎士と呼んでも過言ではない者。ようするにクライスト家は王国の英雄家系である。


「謎に包まれたレイ・クライストを知る僅かな人物達からは次代の幻聖・・候補とまで呼ばせていた少年。伏龍の聖騎士が――」


 そこで言葉を区切るとシャルロットの白魚のような手がレイを指した。


「――レイ君だよね?」


 確信をもって告げるシャルロット。  


「ちょっと待って……伏龍の聖騎士が俺……??」


 アリアナの言葉が脳裏をグルグルと回るレイは混乱した様子で自分を指差していた。


「ん。もしかしてオッズ誌見てなかった? シャルはすぐにレイ君だとわかった」

「やっぱり……」


 レイの驚きは頂点に達していた。


 レイの実力を知る者は父であるアインと肩を並べるような幻装騎士の中でも一握りのみであり、秘匿していたと父から聞いているのだ。


 だが、目の前のシャルロットは知っている。


「まだわからないの? シャルちゃんだよ? 昔一緒によく遊んだ。……レイ君はよくうちに来てた。お嫁さんにしてくれるって言ってくれた」


 そう言ってシャルロットは笑みを浮かべる。


 ふわりと笑う彼女の笑みには魔性が宿っているかのように美しい。


 だが、レイは思い出した。


 その笑みの理由を……。


「やっぱりそうなのかっ!?」

「迎えに来た」


 レイを歓迎するかのように両手を広げて本当に嬉しそうにほほ笑むシャルロット。


 蘇る記憶は幼少の頃。幼女の時から天使と呼ばれていたシャルロット。しかし、レイだけが知る彼女の魔性。


「って、そもそも何でリエステラ幻装学園にいるんだよっ!? ルミナリス幻装学園に行くんじゃなかったのかっ??」

「ん。びっくりした?」

「どっきりみたいな言い方をするなっ! とんだ迷惑だよっ」

「レイ君は照れ屋だからこうしないと会えないと思った。現に会いにきてくれなくなった」

「そんな……いやちょっと待て!! 前までの格好はなんだよ!?」

「私って可愛いから。レイ君以外は煩わしい」


 そう言いながら取り出したのは黒髪のカツラ。


 ひょいっと被れば顔全体を覆い隠していた。更に瓶底のような地味な眼鏡をかけて俯けば、見覚えのあるシャリーの完成だった。


 そう、彼女はそうなのだ。


「もしかして……」


 脳裏に過る五文字の言葉。


「くふふ。全て計算どおり。うまくいった」


 肩を震わせて笑う彼女。何も知らない者が見れば、只々美しいシャルロットだが、レイは悪寒にぶるりと震える。思い返せば何度も気づける場面はあった。


「まさか――」

「あの状況になるように仕組んだ。レイ君は優しいから簡単」

「おい待てっ」

「案の定あのとき助けてくれた。そして、パートナーになれた」


 舌なめずりをするシャルロットから逃れるようにレイは後退る。


「嘘だろ……」

「全て計算通り」


 妖艶に笑うシャルロット。その笑みだけで常人ならば悩殺されるだろうもの。しかし、レイは腰が砕けたかのようにその場で座り込むと、ただ青い顔のまま打ち震えていた。


「……そんな」

「レイ君の行動パターンは良く知ってる。だから屋上でああなるように仕向けた。これからはレイ君と一緒」


 そう、紛れも無い事実。


 記憶に残るかつての幼女と寸分違わない性格。


 ちょこちょことレイの後ろについてきた可愛らしいシャル。


 妹のように接していた時期もあった。だが、幼気いたいけな姿をした幼女が時折みせる悪魔的な笑み。そして、レイを追い詰めていく策謀は健在であった。


「ストーカーっ!!」


 そうなのだ。


 シャルロット・ネーゼルステインは計算高くレイを追いかける悪魔のようなストーカー・・・・・だった。


「これであの時の約束は成就できる。ね、レイ君」

「くそ……」

「デートもできた」

「シャルだと知ってたら行ってない!!」

「照れ屋」

「照れてるんじゃないって」

「照れている事は確か」

「すごい思考だよねっ!」

「レイ君と私の生活の為にあの変てこな粘着ゴミも舞踏会で掃除してあげる」

「それって……ロインの事か?? 何をする――」

「もう二人の道に障害はない。だから最終段階にうつるのが決まり」


 そう言ってちゅるりと唇を舐めるシャル。


「そんな決まりはないっ!!」


 悪寒を感じたレイが叫ぶ。


「ある。だってレイ君が私の事を好きなのは否めない」

「否めるよっ!!」

「ん。このまま最終段階に移行する事は否めない」

「否めちゃうからっ! 本当に否めちゃうよっ!! 俺は否めるからなっ!!!」


 無駄な三段活用を用いて必死に叫ぶレイ。


 だが、そんな事などお構いなしにスルスルと靴下を脱ぎ始めたシャル。綺麗な白い足が覗くその光景が蠱惑的に見える。


 年を重ねた事で美しく成長したシャルはまさしく天使。


「じゅるり……」


 再び真っ赤な舌が唇を這う。


 その蠱惑的な表情に思わずドキッとしてしまうレイだったが、必死に頭を振ると歯を食いしばる。


 ゆるりと一歩を踏み出したシャル。


 視線が爛々と輝きレイを離さない。


「ダメだっ! お前達に付き合うと碌な目に合わないのは決まってるんだっ!! 巻き込まれるのは勘弁してくれっ!!」


 美しい薔薇には棘があるのだ。


「やめ――」



――ドンドンッ




 不意にドアをノックする音が部屋に鳴り響いた。

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平凡騎士と七人の薔薇の姫~普通を目指して実力を隠していた少年は、天使のような高嶺の聖女達に囲まれた~ @rabbits

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