舞い降りた天使
白熱した第三試合を目的にしていた観客が多かったのか、出口は人混みで溢れかえていった。喧騒の全てが先ほどの戦いについて。
それだけA級幻位戦は人気があるのだ。
「凄かったな……炎狼王が最後に使った幻装って第七位階だろ?? それを制御するなんて凄すぎだ!」
一から始まり十まで存在する幻装の位階。
第十位階――理論上では存在するとされる
そして、幻装が強力になればなる程に扱う騎士に要求される
「第七位階か……今なら……」
第七位階を完璧に制御してみせた騎士ロバートを思い出したレイは握りこんだ利き手をじっと眺めていた。
「ん。流石は脳筋家系」
「えっ!? 脳筋家系??」
「何でもない」
「そ、そっか。何だか聞かない方が良い気がするし……もうそれでいいよ」
「賢明な判断」
「それにしても本当に凄かったな」
素晴らしい戦いを見たレイの心は高揚していた。
「レイ君も強い。あれくらいすぐに出来るようになる」
その一言がレイの心を急速に冷ました。
「いや……俺は全然だよ」
(何が今ならだよ……もう戦う理由も無いんだ。努力しても意味ないって気づいたじゃないか。全部無駄だったんだ……)
暗くなる感情を紛らせるようにレイは視線を周囲に巡らせた。
「あっ……」
そして、偶然にもレイの表情を曇らせるものが視界に入った。
「ロイン……」
絡まれるとそれなりに時間を消費してしまう。何よりもあの戦いを見た後で絡まれたくない相手だった。
(いま無能って罵られたら心が揺らいでしまいそうだ。あんな戦いを見せられたら……)
そっと視線を逸らせるレイ。
「レイ君?」
「ん?」
「急に元気なくなった」
「……元気?」
「さっきと全然違う」
「っ!?」
感情を押し殺していた筈のレイの表情を見抜いたシャリーに驚く。父親に真っ先に叩き込まれ感情を押し殺し、コントロールする方法。それをしていた筈なのに見破られたのだ。
「いや……」
ぎこちない笑みを浮かべて返答を避けるレイはちらりと横目でロインを伺った。
どうやら気付いてはいないらしいが出口は一つだけという事もあり、ロインとの距離はどんどん詰まっていく。発見されるのも時間の問題だった。
「レイ君」
「はい?」
「そこのベンチで待ってて」
休憩の為に設けられたスペースを指さしてシャリーが告げる。
「どうして?」
「ん」
「用事でもあるの?」
「ん。ちがう」
「何か忘れ物ならついていこうか?」
「……高度なプレイはまだ早い」
僅かに顔を羞恥で赤らめたシャリーが意味不明な供述をしていた。
「プレイ??」
「恥ずかしけど……見る? レイ君って変態さん」
そこまで言われればレイとて気が付く。
「見ないからっ!!」
「ん。なら待ってて」
レイは想像しないように努めて冷静な表情で頷くとさっさとベンチに腰掛けた。
流れていく人混み。
「っ!」
僅かにあいた隙間を通してロインとレイの視線が合わさった。
にやりと頬を緩めるロイン。
「はぁ~」
ロインの取り巻き達も俄かに騒がしくなる。
もはや避けられないと溜息を吐いたレイとニヤリと笑みを浮かべるロインの間に突如としてふわりと天使が舞い降りた。
言葉で表すのならばこれしか思い浮かばないありきたりな比喩。しかし、ありきたりとは良く出来た言葉だ。本当に天使が舞い降りたのだから。
天使と形容しても恥ずかしくない少女は清純な純白のワンピースを身にまとっていた。それが羽衣のように見えるのだから凄まじいものだ。
ちらりと此方に振り返った少女。
透き通った
まさしく天使。
人間界に降臨した天使は人混みの流れをせき止め、喧騒を一瞬で静寂に変えた。そして、レイに対して既に後ろ姿を見せていたその少女はロインと向き合う。
「……き、きれいだ」
余りの美しさにロインは目を白黒とさせたまま口を動かしている。
だが、流石はキンバリー家の嫡子。社交界で培われたプライドと共に落ち着きを一割ほど取り戻す。
「し、失礼。ぼ、僕はキンバリー家が長男であり、リエステラ幻装学園に所属するロイン・キャ……キンバリーと申します。お、お、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
ロインは眉目秀麗、家柄も良い青年だ。
女の子を口説いた結果は失敗を数える方が遥かに簡単な事だった。だが、彼の目の前に立つ少女はそういう次元の存在ではない。
その美貌をただ遠くから眺める事しかできず、ましてや手に入れる事など出来ない高嶺の花。
淡い薄紅色の唇が艶めかしく開いた。
「名乗る必要がある?」
「そ、それは……」
「無いでしょ?」
素っ気なく冷たい声音がポツリと紡がれた。徹底的に突き付けられた言葉の刃がロインの心を打ちのめす。相手にすらされていないのだ。
そんな光景をぼうっと眺めていたレイ。すると、何故か天使がレイの方へと振り返った。
ペロリと妖艶な仕草で唇を舐めた少女はレイに向けて口だけを動かした。
(コレを嵌めてあげる)
声を発しなかった天使。レイは口の動きだけで内容を完璧に把握できたわけではない。だが、レイにはそう伝えているように見えた。
「気が変わったから教えてあげる。家名だけ、ネーゼルステイン」
「ネーゼルステイン辺境伯家……十大貴族……も、もしや……ぎ、銀薔薇の雪姫ですかっ!?」
「そう」
「ここにいるというのは……もしかして……リエステラ幻装学園に通っているんですか!?」
「そう」
「で、でしたらっ!! この僕とペアを――」
「そういった話は今度の舞踏会で。ね?」
そして、銀薔薇が微笑んだ。
それだけで少女の対面に位置していたロインや大勢の男たちが身もだえる。
「ええ、ええ、そうですね! し、失礼しました!!」
「それではまた」
興奮した様子のロイン顔を赤らめたまま立ち去る銀薔薇をぼうっと眺めている。
「ま、また……ぶ、舞踏会で……」
自然と人々が道を空けていく。
そうして、舞い降りた天使は消えたのだった。
「お、おい、早く学園に戻ろう……準備が必要だ。父さんにも報告しなくちゃ!!」
見惚れていたロインはレイの事すら忘れた様子で取り巻き達を引き連れ大慌てで帰っていく。いつもの余裕綽々といった態度は鳴りを潜め、年頃の少年といった姿はどこか滑稽だった。
一方レイは……。
「うーん……何か思い出せそうで思い出せない……」
そんなロインを余所に喉に小骨が引っかかったような違和感を覚えたのかうんうんと唸っていた。
「どうしたの?」
そこにシャリ―がひょっこりと帰ってきた。
相変わらず長い黒髪で顔を覆い隠して俯く地味な少女。意識を戻されたレイは思考を切り替える。
「いや、さっき銀薔薇の雪姫って有名な聖女がいたんだよ」
「それなに?」
キョトンとしたシャリー。
「俺も詳しくは知らないんだけど……ブックメーカーがつけた人気上位の聖女らしい」
「ふーん。それでどうだった? 簡潔に」
「簡潔に……みんな圧倒されていたな」
先ほどの反応を言葉で表するならこの一言に尽きる。
高嶺の花の降臨に老若男女問わずただ見惚れていた。
歌や絵画や彫刻などの芸術は何もかもが突き抜ければ人を魅了する。芸術と一緒で完成された容姿にも魅了は宿るのだ。
「あれはあれで一種の芸術だよなぁ~」
それを改めて認識したレイは感嘆の溜息を吐いていた。
「レイ君はどう思った?」
「うーん。俺は……何か喉に骨が引っかかったみたいな違和感が――」
「レイ君は?」
時間を巻き戻すかのようにさっきと同じ抑揚のまま話すシャリー。既に少女の怖さを知るレイは何故か浮かんだ答えを反射的に口にしていた。
「……薔薇の名に恥じない美しさだった。うん…まさに天使」
「そっか」
悪寒が霧散した事で正解したのだと安堵するレイは辺りが薄暗く変化している事に気が付いた。
「で、これからどうするんだ?」
「帰る」
「なら一応送っていこうか? もう夕暮れだし……」
「いい。問題ない」
「了解。じゃあ気を付けて帰れよ」
「ん」
シャリ-の後ろ姿が消えるまで見送っていたレイは伸びをすると寮に向かっていく。
A級幻位戦が行われている今日は街も騒がしい。
わざわざ地方の都市から観戦しにくる者も多く、表通りと呼ばれる道はどこも宿屋の呼び込みや駆け込み客で忙しない。
「それにしてもさっきの銀薔薇って――」
「なんだい兄ちゃん! もしかして銀薔薇の雪姫と会えたのかいっ!?」
レイの呟きを野太い声が遮った。
「さっき第一闘技場で見かけましたけど」
振り返ったレイの先には宿屋の主人らしき男が立っていた。
「お前さんもかっ!? 客に聞いたんだよ。羨ましいねぇ~。で、どうだったんだ?」
興味津々な様子の主人がずいっと聞き耳を立てる。やはり幻想騎士は庶民にとっても憧れであり、噂の対象なのだ。ましてや正体不明の銀薔薇ともなれば我慢できないようだった。
「一言で言うと天使……芸術でしたよ」
「くぅ~っ! 口を揃えて天使だって言いやがるな! 俺も会いたかったぜ!! あっちの方では赤薔薇がいたって噂があるし今日はどうなってんだよ!!」
店主の興奮に圧倒されるレイ。
「や、やっぱり薔薇の姫が気になります?」
「あったりまえよっ! 赤薔薇の煌姫も銀薔薇の雪姫も誰でも知ってる聖女候補だ! ひと目だけでも見てみたいと思うのは当たり前だろうよ」
いつの間にか周囲に集まっていた宿屋の主人連中も大きく頷いている。
大人気な七薔薇の姫達であった。
『おい兄ちゃん。俺にも教えてくれよ』
『俺も俺も!!』
そこからは人数を増やして銀薔薇についての質問攻め。
徐々に疲れていくレイだったが、程なくして男たちを連れ戻す為に現れた女将達によって難を逃れたのだった。
「ああ、疲れたぁ~」
酷いイベントに巻き込まれながらもレイはようやく寮に辿り着いたレイ。
そして、見慣れた階段を上り終えると見慣れない光景があった。
「お隣さんかな? もう入居したんだ……挨拶した方がいいかな」
空き部屋だった隣室に光が灯っていた。
「いや、明日にするか」
だが、夕方に押し掛けるのもどうかと考えたレイは自室の扉に手をかけた。そして、一人暮らしだがレイの習慣となっている言葉と共に扉を開く。
「ただいま~」
一人暮らしの室内では挨拶に返事はない。そんな事は分かっているが習慣は抜けないのだ。
今日も返事が無い。
……筈だった。
「おかえり」
最近よく耳にする声音。
何故か住人っぽい返答が聞こえてきた。
それが意味する事は単純明快……誰かがいるのだ。
「……誰だ?」
恐る恐るドアの隙間から覗き見たレイ。
僅かに差し込む光の先に黒髪の少女が立っていた。
「ん。遅い」
「……は?」
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