前途多難

「ふわぁ〜」


 起き抜けに外の空気を吸おうと窓から身を乗り出したレイ。


 未だ心地よい天気が続いている。暖かい日差しと緩やかな風が長い前髪を揺らしていた。


 窓から見える定期馬車の駅が学生で溢れ返る見慣れた光景を暫く見つめていたレイだったが、そろそろ登校時間が迫っていた。


「行くか」


 窓を締めると玄関へと足を向けた。


「さてと――」


 玄関前に鎮座する物体を見てレイの動きが固まった。


「……何だこれ??」


 ドアのポストの前に積み上げられた溢れんばかりの手紙。形状が同じ事から同一人物の犯行は間違えなかった。


 もはや狂気すら感じ取れる惨状。


「はぁ~」


 手紙の封すら開けぬまま纏めてゴミ箱に放り投げると、ささっと寮から出たレイはしっかり鍵を閉めて定期馬車の駅へと向かっていった。




「眠い……」


 欠伸を噛み殺したと同時に馬車の独特な音色が耳朶を打った。

 定刻どおり運行されている馬車に乗り込むレイ。


 この時間帯は学園に向かう最終便ということもあり、非常に混んでいる。レイは座る事を早々に諦め半目のまま車窓の前に立つと景色を眺めていた。


 馬車が走り出す。


 小刻みに揺れる車体に身を任せながら目を瞑っていたレイ。


「……?」


 誰かが近付いて来たことに気が付き徐に目を開けた。

 瞳に映し出されたのは俯き加減な少女の姿。


「ん? もしかして……シャリーさん??」


 黒色の髪で顔を覆い隠す小柄な少女。


 昨日の出来事は記憶に新しい。


「ん」


 言葉少なく頷いたシャリー。


 前回の出会いでも言葉少なく抑揚すらないシャリーの反応は知っていたが、どことなく気まずい雰囲気が流れた。


「シャリーさんも寮暮らしだったの?」


 会話を続けようと質問を繰り出すレイ。


 この定期便は各地に点在する学生寮を中心に運行している。だから、利用客は基本的に学生寮に居住する生徒が大半を占めている。そこを会話の糸口にと考えたものだった。


「……」


 しかし、空気を変えようと話しかけた結果はどうやら不発に終わったらしい。


 じっと目の前に立つ少女にどうしていいかわからないレイはひとまずもう一度だけ声をかけようと口を開いた。


「シャリーさん?」

「……シャリーちがう」

「えっと……」


 ポツリと返されたよく分からない言葉。


 変わった子だなと思いながら言葉の意味が分からないレイは返答に困る。


「ちがう」

「……シャリーさんだったよね?」


 まさか名前を聞き間違えていたのだろうか? と心配になってきたレイは恐る恐る問いかけた。


 再びの問いかけに対しても沈黙が流れる。


「シャリーちゃん……」


 ぼそりと呟かれた言葉。

 

「……?」

「呼び方」

「んっと……呼び方?」


 独特な間をあけて話すシャリーに距離感を掴みかねるレイだったが、そういう子だと認識を切り替えて静かに返答を待った。




「ん。私の名前。そう呼んでほしい」

「あぁ、な、なるほど……シャリーちゃん……ね」


 さん、では無くちゃん付けで呼ばれたかったらしい。


「う~ん……」


 レイとて年頃の男の子だ。


 シャリーと出会ってまだ一日だというのに親し気にちゃん付けで呼ぶことに羞恥や抵抗といった葛藤がある。


「ん。呼んでもらう」

「いやぁ……でもなぁ」

「呼んで」

「ちゃん付けって少しばかり恥ずかしいなぁ〜なんて」


 こんな会話がどこか平凡で新鮮なモノに感じられたレイは気恥ずかしさから頭を掻く。


 ……しかし。


「呼んで」

「ごめん。正直に言うとかなり恥ずかしいんだ」


 シャリーの様子に違和感を覚えながらも言葉を紡ぐレイ。


「呼んで」


 感情を感じさせないままに同じ言葉を繰り返すシャリーに思わず背筋がぶるりと震える。


「……出会ったばっかだし、もうちょっと待ってもら――」

「呼んで」


 レイの言葉の途中から突如としてゆらりと揺れるシャリーの姿。


 レイの体が自然にピクリと跳ねる。


「えっ……?」


 背中に冷たい汗が流れ始めた。

 彼自身も何故か分からないその現象に目を白黒させる。


 何故かその現象に既視感を覚え始めていたレイは強烈に突き刺さる視線から体が勝手に逃れようと窓際に背中を張り付かせる。


 視線を合わせるな! と本能の赴くままに地面を見つめるレイ。


「……」


 だが、強大な視線から逃れる事は不可能だった。


 生物の生存本能が激しく警笛を鳴らす。ゆっくりと……ゆっくり首が機械的な音を立てるかのようにシャルの方へと向いていく。


 ……前髪の隙間から眼鏡越しにシャリーがじっとレイを見ていた。


 レイを見つめるシャリーは動かない。


 ただレイを見つめ続けている。



「っ!?」


 反射の関係なのか瓶底の眼鏡の先が見えてしまった。

 この世の全ての闇を凝縮したかのようにハイライトが消え失せた目。


 既視感がレイを襲うが何がそうさせるのかは思い出せない。


「……こ、こわっ!」

「怖い? なんで??」


 静かで小さな声だった。


「なんでって……そりゃ……」


「どうして?」


 ただでさえ抑揚の無かった声が更に無機質なものに聞こえる。


 ゆらりと一歩を踏み出したシャリーはレイに近づく。


 眼鏡越しに見える目は一度たりとも瞬きしていない。


 仄暗い瞳がレイの視線を捉えた。


 怖じ気が走り、悪寒が背中を駆け抜ける。


 思わずブルリと震えたレイ。


 はた目から見ると盛大に気持ち悪い動きをしたレイに自然と視線が集まってしまう。


『なにあれ? 気持ち悪い』

『あの女の子に何かしたんじゃ……』

『え……事件じゃん』

『……あれって地味男だよな?』


 瞬く間に広がる悪評。


 俯きながら立ち尽くす小さな少女――シャリー。そして、びくりと跳ねたレイの姿はどう見ても事案発生の現場だった。


 だが、今のレイにはそんな外野の声など入ってこない。



 しかし、人体とはやはり素晴らしい。感覚器官として備わっている耳がすぐさま正常に機能し始めたのだ。


 何か小さな呟きを捉え始めてしまう。


 聞きたくなくても意識が持っていかれる。徐々に耳がその小さな呟きを捉え始めてしまっていた。


 そして――


「どうして? どうして呼んでくれないの? なんで? ねぇ、なんで呼んでくれないの? シャリーちゃんって呼んでくれないのはなんで? おかしい。そんなのおかしい。呼んでくれる筈。だってそういう風になっているのに。なんで? なんで――」

 

 延々と続く呟き。


 既に背中に流れる冷や汗は滝のように流れ、乾いていた筈の上着は湿り気を帯びている。何より戦場で培ってきた生存本能が全力で警笛を鳴らしていた。


 そして、彼は最善の一手を放とうと正常に機能していなかった口を強引に動かして叫んだ。


「わ、わかったっ! わかったよっ!! シャリーちゃん!!」


 未だかつてこれほど全力で叫んだ事は無かった。父親に連れられて戦った数多の幻獣と踊った死線。それすら可愛く見える程の死線を突破しようと全力だった。


「ん」


 返ってきたのは出会ってからよく知るいつも通りなシャリーの声音。


 全身を包んでいた悪寒は消え失せ、小刻みで心地が良い馬車の振動が感覚に戻って来ていた。


「くふ……くふふふ」


 馬車と同じく小刻みに揺れ始めたシャリー。


 レイの背筋は先程からじとじとと湿度が高い。


 ひとしきり肩を震わせる彼女を見てレイは何か思い出したくないような記憶の片隅に押し込んだものが溢れてくるような、そんな不思議な感覚に囚われていた。


「……シャリー……ちゃん」

(と、とにかく話題を変えるんだ……)


「ん。なに?」


 ピタリと静止したシャリーは初めて会ったときと同じような無表情へと戻っていた。


「そ……それで……質問いいかな?」


 既に苦手意識を植え付けられたレイは恐る恐る訪ねた。


「ん」

「えっと……シャリーちゃんは……なんでこの馬車に?」

「ペアだから」


 間髪入れずに返ってきた返答。


「?」

「ペアは常に一緒。それが質問の答え」


 一昔前ならそれなりに普及していた考え方だった。


 パートナーになること即ち伴侶となる考え方はどちらかと言えば既に古い考え方となっていた。相性や実力の吊り合いなどを考えて今ではパートナーがころころ変わるのもありふれている。


 実力主義な考え方が主流なのだ。


「う、うん」


 だが、レイはそんな事を思い浮かべるだけで口にはしなかった。


――すると不意に


ドシンッ


「うおっと!!」


――馬車が大きく揺れた。




「……っと、大丈夫か?」


 バランスを崩す生徒達を余所にレイはすぐさま態勢を整えるとシャリ―の安否を確かめた。だが、当のシャリーはレイの質問が耳に入っていないのか窓の外を眺めている。


「ちっ。プランBを始めなきゃ……」


 ポツリと呟かれた言葉と同時にシャルの小さな手からチャリッと金属質な音が聞こえてきた。


「なにか言ったか?」

「何でもない」

「いや……でも……っ!!」


 レイはそこで口を閉ざした。


 いや、話す事ができなかった。


 黒髪から覗く不気味な瓶底眼鏡がじっとレイを捉えていた。



(もう嫌だ……この子)





◇◆◇◆





 大きな麦わら帽を目深に被った少女が大型のキャリーバックを引いていた。


「ふんふふーん♪ ふ~んふ~ん♪」


 ご機嫌な様子で鼻唄を奏でる少女はその場でクルリと華麗なステップを刻むと、帽子から飛び出した長い赤髪がステップに合わせて宙を舞う。


 そんな可愛らしい動き。


「――♪ ふふふ~ん♪」


 微笑ましそうにそんな少女を眺める人々。


 ありふれた日常に彩りを与えるようなそんな光景だった。


 すると遠くからガタガタと音をたててやってくる定期馬車。

 学園の校章が描かれたその馬車もまた日常の風景だった。


 しかし、今日はいつもの日常とは一つだけ違った。 

 

 興が乗ったのかひと際おおきくターンした少女。


「あっ!? 危ないっ!!」


 彼女を見守っていた一人の男が叫んだ。


 四頭の馬に引かれた馬車が迫ってくる。少女を見守っていた人々が思い思いに悲壮な叫びをあげていた。驚いた様子の御者が急いで手綱を振るうが間に合わない。


 皆が凄惨な事故を想像して目を塞いだ。だが、彼らの想像は違う意味で裏切られる事となった。


 ふわりと地面を蹴った少女は軽やかに舞う。


 ひらりと危なげなく躱して馬車を見送った少女。


「これからあの馬車で通うのねっ! 楽しみだわっ!!」


 そして、馬車を指さして可愛らしい声を上げていた。


 馬車の風に煽られて大きな麦わら帽子が空に舞い上がった。帽子は風に運ばれて飛んでいく。


「……あれ?」


 だが、少女は帽子を気にも留めずにある一点を見つめていた。


「やっと見つけた! そんな恰好したってこの私には分かるんだからっ!!」


 ふんすと鼻息を荒くする少女だったが、先ほどの姿が脳裏によぎり、悔しそうな、泣き出しそうな表情を浮かべる。


「まだ暗闇に閉じこもったみたいな格好をしているのね……今も苦しんでる……私が……ふぅ~」


 そう呟くと少女はどーんっと効果音が付きそうな程に堂々と胸を張ると、びしっと人差し指を走り去る馬車に向けた。


「今度は私の番……私が太陽になって暗闇を照らしてあげる。赤薔薇の煌姫・・になったんだから!!!」


 サラサラと紅蓮のような髪が揺れる。


「あっ!? 早く馬車を追わないと!!」


 そして、急いだ様子で馬車を追おうとする少女。


 だが、それよりも早く周囲に異変が生じた。


 麦わら帽子で隠されていた少女の姿を見て安堵していた筈の人々が一斉に顔色を変える。


「いま赤薔薇の煌姫って!? あっ!!」

「あ、あ、赤薔薇の煌姫!! あ、あ、あ、あの……」

「あ、赤薔薇ですよねっ!? サイン下さいっ!!」

「嘘っ!? 本物?? えっ? ホントに煌めているじゃんっ!?」

「か、可愛い……可愛い……はぁはぁ」

「ウオォォォッ!!」


 一斉に騒めきが伝播する。


「へっ……帽子……あ、あれ……なんでっ!?」


 頭を押さえてワタワタと慌てる少女だったが、時すでに遅し。


 あっという間に取り囲まれる少女。


「あっ!? ちょっ……ちょっと!」


 群衆の騒ぎは衛士が出動するまでに発展していた。


「も、もう!! 追いかけなきゃいけないのに〜!」


 圧倒的大人気な少女は身動きすら取れない状況に陥っていた。


「落ち着け……」


 ドキドキと高鳴る鼓動を押さえつけるように服の胸部分をぎゅっと握りしめる少女。身動きがとれない状況のなか、走り行く馬車を紅潮した面持ちで眺めていた。


「ふぅ……今日から隣なんだからすぐに会えるわ……落ち着けわたし……」


 何とか心を落ち着けようとした少女。




――だが、積もりに積もった感情の波が押し寄せる。


「……ひぐっ……ま、待ってなさいよぉぉぉ!!」


 視界から消えゆく馬車に手を伸ばした少女の叫びは群衆の騒めきによって掻き消された。

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