第5話
*
二つに割れば四つに割れる
四つにわれば八つに割れる
小さなひびから 影が差し込む
ああ ルーグ!
お前に逃れるすべはない
――詩人X『光の国の子供たち』
*
「いくらだ?」
「なに?」
「エラだよ。いくらなら売る?」
「売らないよ」
「なに?」
「売らない。あいつはこの店で一、二を争う売れっ子だ。まだ当分稼げる……あんたに未来が買えるかい?」
「必要ならな」
「馬鹿が……それにな」
「なんだ」
「女は資産だよ。紙切れなんかより、よっぽど信用できる」
*
光の国において、売春は違法ではないし、人身売買も手続きさえ踏めば合法である。この世の全てを光で照らし、可視化する。目に見えるものには全て値段がつく。それが光の国だ。階級が「物」に下がった人間については、本人の許可なく自由に商取引が出来る。下等市民以下では貞操の売買は自由、「物」の権限はその一切を所有者が握る。
エラの出自を店主は知らない。潰れた店からただ同然で引き取ったのだ。そのときも、少女は笑っていた。なんだか気味が悪かった。
*
「五百……いや、千は要る」
「冗談はよせ」
「本気だよ。あんまりしつこいと〈掃除屋〉を呼ぶぞ」
「読んでみろ。殺してやる」
「黙って失せろ。出禁になりたいのか」
「わかったよ……」
*
真昼の風俗街を抜けて、Qは貧民街に出た。殺伐とした気分で、蛾の死骸を踏み砕きながら歩く。路上では半裸の老人たちが四つん這いになって蛾を食べていた。進路を塞ぐ老婆を蹴飛ばしたとき、不意に、どこかから男の叫び声が聞こえた。Qはやにわに興奮した。〈外回り〉のあとには、無性に悲鳴が聞きたくなる。彼は相手が声を出すよりも早く、対象を絶命させてしまうのだ。仕事としては素晴らしいが、本人からすれば物足りない。彼は声のした場所へ急いだ。
安ホテルの入り口で、三人の男が揉めていた。うち二人は、この辺りでは有名な〈掃除屋〉だ。あとの一人はQと同じくらいの中年男で、血まみれでカバンを振り回している。彼の周囲をナイフを携えた二人組がまわる。絶体絶命だ。ホテルから生きて出てきたこと自体、奇跡といっていい。よく見ると、男は貧民街にそぐわない、がっしりした身体をしている。町外れのチンピラだろうか。彼は野次馬をかき分け、輪の最前列に出る。
不意に、男と視線がぶつかる。彼が叫ぶ。
「助けてくれ!金はいくらでも払う!」
Qは、彼の第六感に従って動いた。つまり、男の言葉を信じて、掃除屋二人を素手で倒した。
*
「なあ、俺以外にどんな客が来るんだ?」
「電気を消さないの?」
「俺以外にも常連がいる?」
「ええ、おかげさまで」
「おかげさま?」
「いや、特に意味はないの」
「ああ、そう……」
「ねえ、電気を消さないの?」
「うん、いま消すよ……」
*
Qは男を、ホテルから少し離れた酒場に運んだ。他の客はこちらをちらりと見たが、それ以上関わっては来なかった。珍しいことではないのだ。席につくと、男は自らを蟹と名乗った。
「助かった、ありがとよ」
「思ったより元気そうだ」
「かすり傷だよ、全部な」
「それはいい。で、いくらまで払える」
「いった通りだ、いくらでも払う。百万でも二百万でも……」
「本当か」
「恩人に嘘はつかない」
「一千万ほしい。いますぐに」
「一千万?それはまた……」
「払えないのか」
「ああ、ああ、払えるよ。払えるとも。ただ二日待ってくれ」
「なに?」
「二日ほしい。そしたらきっかり一千万、あんたにやるよ」
「ふざけるなよ」
Qの頭を父親の記憶がよぎった。ギャンブル狂いめ。
「嘘じゃない、ほんとだよ」
「証拠は?」
「俺は……俺はこの前すげえ量の金を手にいれたんだ。やばい金さ。俺はそれ金塊に換えた。洗濯だよ。で、金塊の換金には時間がかかる……」
Qは先日読んだ新聞記事を思い出した。
「強盗か」
「ないしょだぜ。あんたも堅気じゃないんだろう?」
蟹は酔い始めていた。
「いや、公務員だ」
「笑えるよ」
Qは自分が嫌になった。なぜ、こんな男を助けたのだろう?
「なあ、だから二日待ってくれよ。明後日、ここであんたを待ってるからさ」
蟹は赤ら顔を歪めて笑った。Qはその顔面にまず一発、拳骨を叩き込んだ。椅子から崩れ落ちる身体を捕まえて、腹に何度も膝を撃ち込む。胃袋が空になるまで吐かせる。
(俺は冷静さを欠いていた。金欲しさに、頭がおかしくなってたんだ……)
蟹が静かになると、Qは蹴るのをやめた。ぐったりした蟹の身体を床に投げ捨て、店主に酒代を支払う。
「二度と来るな」
「悪かったよ」
彼は酒場を出た。
*
「行きたいところはないか」
「行きたいところ?」
「そう」
「言ったでしょ、壁の向こう」
「それ以外で」
「どうして?きっといいところもあるわ」
「いいから。この国の中なら、どこにいきたい?」
「さあ……よく知らないし……」
「ここを出たくはないか?」
「ううん……」
「なあ、どうなんだ」
「ああ、えっと、そうだ。思いついた」
「なんだ」
「人のいないところ。誰も私を知らない場所」
「なに?」
「私の、いまいちばん行きたい場所」
*
より小さな我らになる
より強い我らになる
世界は闇につつまれて
お前はやがてひとりになる
――詩人X『光の国の子供たち』
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