『神の子はつぶやく』について

というわけで11月3日に放送されたNHKスペシャル、ドラマ『神の子はつぶやく』を観ました。

素晴らしい作品でした。今までの宗教2世を扱った番組の中で、問題に対して最も丁寧に描かれた作品だと私は感じました。

俳優陣の演技も素晴らしかったです。ドラマという映像作品ならではの威力をとても感じました。

「NHKにしか出来ない攻めた作品」という話題のなり方をしていたようですが、何か前衛的な表現で攻めたというよりも、とても丁寧に実状に即した描き方をした作品だと私は感じました。まあこの問題に関してテレビという媒体で端正に描くことが攻めた姿勢である……という意味ならばその通りだと思います。




作品全体を通しての大きな特徴としては、恐らくかなり意図的にだと思うのですが、明らかな悪者が誰もいないという描き方をしていた点だと思います。


本来で言えば対立が大きくなるはずの未信者の父親も双方に理解を示しつつ、家族のために献身的に最後まで生きました。また教団の側も明らかな躓きとなるような破綻の仕方はしていなかったように見えました。


母親もあの境遇で教理にあの出会い方をしたならば、救いを感じそこに飛びつかざるを得なかったでしょう。そしてその瞬間の幻影をずっと追い続けるという生き方も理解出来るものでした。


二姉妹の生き方もそれぞれの行動には必然性があったと納得出来るものでした。

父親の死に際しても宗教を優先させる母親に対し姉がブチ切れる瞬間には、とてもカタルシスを感じましたね。その後の自暴自棄的な行動、そして誰の言うことも断らない、という人物造形もとてもリアルなものだと私は感じました。

一方、教団側に留まり続けた妹の行動もとても理解出来る気がしました。信仰の有無から自らの人生を選ぶではなく、姉が先に教団を離れたがゆえに……ただただ母親を孤独にしないという情緒的選択によって……教団側に残らざるを得なかった妹の選択も納得出来るものでした。




これをリアルと捉えるかファンタジーと捉えるかは受け手次第だと思います。

Twitter(Xと呼ぶのは未だに抵抗がありますね)上の反応を見ていると、むしろ実際に宗教2世当事者だった人の方がこうした描写に「あんなのリアルじゃない」と反応していたように見受けられました。

当事者の方が何か特定の原因を探したがるものだと私は思います。

そして多分実際の経験としてはそうなのでしょう。ドラマのように宗教2世として育ってゆく中で誰も悪い人間がいなかったと感じているケースはほぼなく、親族や教団側の誰かに責任が帰せられるべきだと考えている2世当事者がほとんどでしょう。

そして当事者個々人がそう感じていることは、当事者個々人がそう感じているという点だけで真実であると言える要件を満たしているのだと思います。


ただ全体的な視点から考えると、やはり宗教2世問題の本質の一つは特定の誰かに原因を帰することが出来ないという点だと私は考えています。

原因を追究するならばこうした宗教を創設した人間だし、あるいはそれにハマらざるを得なかった時代的・社会的状況のせいだと思います。

それでもあえて何か個人の行動に直接的な責任を求めるのであれば、苦しい状況の中で2人もの子供をもうけた父母の選択ということになってしまうと思います。

父母ともに愛ゆえに娘たちの幸せを願っていたことは間違いないと思います。そして多分2人の子供をもうけたということは、父母にとっても大きな救いであり活力であったのだとも思います。

しかし愛があったから正しかったのか……と問われるならばそれはまた別の次元で考えなければならない問題でしょう。もちろん様々な家庭を見れば多少苦しい状況でも子供をもうけて上手くいったケースの方が多いのでしょう。たまたまカルト宗教に出会ってしまったこの家族が運が悪かったという他はないのだと思います。




もう一つの宗教2世問題の本質は三つ子の魂百までという部分だと私は思っています。

現在苦しんでいる当事者の回復を優先的に考えるならば先入観を与えてしまう危険もあるためこれを言うべきではないのかもしれませんが、やはり多くの当事者は私も含めかなり根深く残っているケースが多いと思います。


ドラマ内に話を戻すと、宗教を離れて一見放埓な生き方を選んだかに見える姉も、そうした自分の行動に確信が持てず神に罰せられるのではないかという恐れを抱き続ける……という描写はとてもリアルだと感じました。

宗教を離れSM(?)にハマり、何かに縛られていたい、何かに依存してしいないと生きていけない……というケースは実際かなり多いと思います。

余談かもしれませんが、個人的にはその後の姉妹の対話でこのことを直接言語化してしまうのは少々ヤボい感じがしましたね。依存先の中でも最も直接的な「縛られる」ということがメタファーとして使われているのですから、「そこまで直接言語化しなくても視聴者には充分伝わっているよ!」と私は少しだけケチを付けたくなってしまいました。……いや、もちろん製作側のわかりやすさを優先させた親切と見る方が正しいのでしょうが。


姉、妹の2人の2世としての背負い方は充分な描写がされていたと思います。

それに比してほとんど描写はされていませんが、恐らくは同程度には複雑な思いを抱えているであろう人物が牧師の息子です。

学生時代は宗教活動よりも部活を優先して、挙句姉と2人きりでカラオケに行きキスをするなどという大不道徳な行動を取った彼などは真っ先に教団から離れる……と予想してしまいますが、成人した彼は教団内に留まり続けています。そして恐らくは模範的な若者として教団内でも指導的な立場に就くことが期待されているのでしょう。

2世の中でも教団内に留まり続ける選択をする人は当然多くいますし、彼のような存在もとてもリアルだと思います。

彼がどう感じ、何を信じて、どんな思いでその選択を採ったのかという点もとても興味をそそられるものでしたね。




最近になって再び宗教2世問題がメディアで扱われることがポツポツ出てきました。

1週間前に放送された同じNHKのドキュメンタリー番組に関しては、私はやや批判的な意見をTwitter(いつまでも旧来の呼称にこだわり続ける姿勢は老害的ですので気をつけましょう)上で書きました。

ドラマという創作の方がリアルで、ドキュメンタリーという事実しかない番組の方がやや焦点がぼやける……というのは往々にしてあることだと私は思います。製作者の差がそれを生むのです。

こうした要因から私は当事者でありながら、宗教2世を扱った様々な番組にやや飽きを感じていました。

それに対し今回のこの番組はかなり完璧な描き方だったのではないかと感じています。これでこの問題に対するメディアが出来るアプローチは完結してしまったようにすら思います。

あとは当事者の個々の事情には個々で対応してゆくしかなくて、当事者以外の人たちにこれ以上の理解を求めるのは無理があるのではないかと私は感じました。


NHKプラスではまだ視聴可能なようなので興味ある方にはぜひ観て欲しいと思います。

ではでは長々お読みいただきありがとうございました。何かご意見あればお聞かせいただければ幸いです。




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