応援コメント

学業の思い出について(追)」への応援コメント

  • 「知識」を得るための手段、提供される場所(物理的にも)として大学は大きな役割を果たしていたのですね。
    知識があれば知恵を用いて幸福な生活を送ることができると教えられてきましたが、その出所がどこかというのは重要ですね。それを識別するためにも知識が必要だという哀しみもあり……。

    まさに、昨日、娘と話をしました。大学に行くという選択肢を早くから子供に教え育てたいって言ってました。

    本物のお札を知っていれば、偽札全てを調べる必要はない。という喩えで丸め込まれてきた気がします。その違和感を放置してきた結果、思考停止になりますね。

    きんちゃんさんの現在があるのは、「考える」ということをやめなかったこと。
    考え続けてきたという過程という点で大学教育は価値があったのだと思います。

    上手くコメントがまとまりませんが、私にとって明るい光を与えてくださいました。
    本当にありがとうございます♪

    作者からの返信

    ハナスさん、読んでいただきありがとうございます。

    何が正しいのか? という感覚は色々な知識や考え方に触れることで形成されてゆくものだと思います。なるべく多くの考え方に子供の頃から触れるのは良いことだと私は基本的に思っています。
    また人は同時に「考えるのが面倒」「思考停止したい」という欲求をも抱えている存在だと思います。特に現代は情報に溢れ、何が正しいのか分からなくなる……そんな時に「これが唯一絶対の真理です!」と言い切られると、思わずそれに付いていってしまう……それがウチの母親を含め宗教に嵌る人の典型なのかなと思います。論理性や内容ではなく、言外の雰囲気で決めてしまうという例は多いと思います。

    娘さんも柔軟にお考えなのですね。もちろん大学に行くことだけが正しいわけではないと思いますが、なるべく多くの選択肢を与えてあげるのは素晴らしいことだと思います。お孫さんの将来に光があるように私も願っております。

    真摯なコメントありがとうございます。また今後ともよろしくお願いいたします。