学業の思い出について(上)
宗教2世の学歴についての話題がTwitterで上っていたので、私の学生時代の思い出について少し書いてみようかと思う。今のその年代の人たちの参考になるかは心許ないが。
さて宗教2世として育てられ将来に絶望していた私は、当然学業へのモチベーションを見出せるはずもなかった。同時に「本気でやりゃあもうちょい出来るよ」という言い訳を自分に許す環境であったとも言える。
そんなわけで(?)中学を卒業すると工業高校に進学することになった。それは私の属していた宗教の当時の潮流でもあった。その宗教界隈では大学に進学することは基本的に推奨されていなかったのだ。
高校を卒業したら手に職を付け、パートタイム的な労働で最低限の生活費を稼ぎ、残りの時間は宗教活動に充てる……というのが理想的な若者のロールモデルであったように記憶している。
実際周囲の同年代の若者たちはほとんどがその工業高校に進学する流れだったから、私の母親も特に考えることなく、そこに行かせておけば安心だと判断したのだろう。
ちなみにウチの兄2人もその工業高校に通っていたので(私が入学する遥か以前だが)、私としてはそこに進学するしかないような流れだった。
さて当の工業高校である。
今はもうだいぶ昔の話になってしまうわけだが、ともかくつまらなかったという印象が強い。田んぼのど真ん中にある校舎は近所にコンビニの一軒すらないし、女子はほとんどおらず(学年に数人程度)、そしてとにかく授業に興味が持てなかった。
不良っぽいヤツらも多かったし、留年している生徒も何人かいた。もちろん本当にそういった工業系の内容を学びたくて入学してきた優秀な生徒もたまにいるのだが、基本的には私も含め無気力でやる気のない生徒がとても多かったように思う。
それに対しというべきか、それゆえにというべきか、先生方は結構厳しかった。その工業高校は基本的には生徒を就職させることを目標としているので(もちろん大学進学する生徒も一部いたが)、社会人としての心構えみたいなものを身に付けさせようとしていたのだろう。体罰みたいなものも割と普通にあったし、何か問題を起こした生徒は懲罰的に坊主頭にするという前時代的な風習も依然として残っていた。
あとはまあ根本的に勉強がとにかくつまらなかった。自分には合わなかった。
ご覧のように私は完全なる文系の人間である。2年生になると電気科という学科に進むことになるのであるが、とにかくまるで興味を持てなかった。理論的な部分にはまだ多少興味を持てるのだが工業高校は座学よりも実習が多い。何をやっているのかよく分からないまま授業は進んでいった。電気科は主に『電気工事士』という資格を取ることを目標にして実習を進めていく。一応は私もその資格を受験したが、当然のように実技で落ちた。
売店どころか自販機一つすらない校舎、無気力で死んだ目をした仲間の囚人たち(クラスメイト)、男だらけの汗臭い環境、厳しい刑務官(先生方ともいう)、つまらない刑務作業(実習)、周囲は一面の田んぼで脱走するのも容易ではない……緩やかなムショ暮らしとも言える高校3年間であった。
自転車で30分かけて通学するのも大変だったし、気の合う友達もほとんど出来なかったし、当時の楽しみと言えば学校帰りの立ち読みだけだったように思う。あ、それと下の兄がWOWOWに加入していたので、サッカーのチャンピオンズリーグを観るのは割と大きな楽しみだったように記憶している。。
……いや、今こう振り返りつつ書いていると当時は本当に環境が良くなかったな、と改めて思わせられる。15~18歳の少年にこんな人生のつまらなさを味わわせるなよ、という気がする。
さて色々とあって私は高2の頃に宗教を脱退したい旨を母親に表明することが出来た。
じゃあ高校を卒業してからの進路をどうする? という話し合いに改めてなったわけだ。
当然大学受験のための勉強など1秒もしてこなかったし、そもそも我が家は父親が亡くなって母子家庭となっていたこともあり、経済的な面も含めて大学進学は現実的ではなかった。
なのでまあ就職するしかないだろ……となったわけだが、工業高校出身者に多い工場などに就職するのは嫌だった。「自分はあんまりそういう分野に向いてない」と当時も言っていた気がするが、もっと純粋に嫌だったのだと思う。今までの諸々の流れに反抗したかったというのもあるし、そういった所に就職して安泰な一生が決まっていくような流れだけは避けたかったのだと思う。
そんなわけで私はとある警備会社に就職することになる。
今思い返すと割と大手の警備会社だったが、安定を求めてという意味合いはほとんどなく「日本各地に支社があり、東京への異動の可能性も有り」という部分に惹かれてのことだった。とにかく私は実家を出たかった。実家を出られるなら他は何でもいいとすら思っていた。しかしまあ残念ながら入社時に伝えた東京勤務という希望は通らず、地元愛知県の職場に実家から通うことになり、結局1年半ほどで退職することになるのだが。
さて就職と同時に私は通信制大学にも入学することになる。
大学というものへの憧れは漠然と持っていたが、上記のような状況からそれは叶わぬことだと思っていた。しかしある日通信制大学というものの存在を知る。
上の兄がその存在を教えてくれたように記憶している。
ともかく関連する情報の載った本を買って調べた。今では色々と変わっているのかもしれないが、当時通信課程のある大学は数えるほどしかなかった。
その本を読んで、単位取得の仕方、学生生活について(無論本当の意味で細かいところが理解出来たのは実際に入学してからなのだが)知り……そして学費がとても安いことをも知る。
普通の通学過程の大学ならば卒業まで数百万円以上の学費がかかるところが多いと思うが、通信制だとなんと年間10万~20万円ほどで事足りるとのことだ。これが入学を決めた一番大きな要因だった。学費が安く済む……何なら働きながら自分で賄える程度……というリスクの低さは非常に大きなメリットだと思う。
リスクが低いということは軽い気持ちで始められるということだ。物事は何でもそうだ。強い決意や悲壮な覚悟を持って始めなければならないことなどあまり成功しない、と私は思っている。
それからもう一つの要因は入試がなく入学できるということだ。大学進学などという進路をそれまで考えたこともなく、工業高校で死んだように過ごしていた私にとってこれも朗報だった。そもそも受験勉強などというものを一切したことがない。今さら普通の入試など無理に決まっている……というのが大学進学を諦めていた要因の一つでもあった。それが入試の必要なく入学出来るとなればとりあえずやってみない理由は無い。
まあそんな訳で、私は就職した18歳の春からめでたく(?)某有名三流大学の通信課程にも通うことになった。
……大学生活の様子を振り返るだけのつもりだったのだが、入学以前の経緯を書くだけで3000字近くになってしまった。また稿を改めたいと思う。
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