応援コメント

もう一丁死について考えてみた」への応援コメント

  • 死は先にあるものではなく、「生」の裏、もしかしたら表。
    簡単に言えば表裏一体なので、否応無く考えてしまいますね。
    死ぬために生きるような感じです。
    昨日、誕生した赤ちゃんですら「死」に向かっているんですものね。
    100%公平にやってくることだけは良かったと思います。
    死ぬ人と死なない人がいたら、争いや……あっ、小説のネタを思いついてしまいました。ありがとうございます♪

    真面目な話、きんちゃんが、教えられたことを信じられたら、また生き方が変わっていたでしょうね。さらに「哲学」に触れたことで思考がぐるぐるとループしちゃいますね。手塚治虫作品も影響してくるでしょう。私も影響受けました。
    イデア論も興味があるのです。

    永遠に生きられないと分かった今、一周回って『無』になってしまった私。
    時々、メンタルやばくなるとkoumoto さんの詩に縋ります。安定剤みたいな(笑)
    そして、きんちゃんさんのエッセイで逃げていた自分に向き合う……。
    現実逃避するために創作している感じです。家族がいようが、充実した生活を送っていようが、やはり独りになると、考えてしまいます。同じく思索は深まらないです。
    本音トークさせていただきありがとうございます。
    コメント長くてごめんなさい。スルーして下さいね。

    作者からの返信

    ハナスさん、コメントありがとうございます。本当にスルーしてしまうところでした💦すみません。

    死ぬために日々生きているんじゃないだろうか?という気は時々自分もします。
    やがて訪れる死からはなるべく目を逸らし、生きている日々を充実させよう……それが普通の意味で健全な姿勢だと思います。死にはある意味どうしたって抗えないことはわかりきっているのですから。

    それでも自分は、真実を求める姿勢に惹かれます。真実とは別に隠された崇高なものではありません。誰しもわかる端的な事実のことです。単純な事実からあまりに簡単に目を逸らす人々が多いと私は感じています。

    綺麗事の虚構よりも残酷な事実を直視する…そんな姿勢に私が惹かれるのは間違いなく宗教教育が関係していると思います。

    すみません、私も取り止めのない自分語りのコメントになってしまいました。
    「死ぬ人間たち」と「死なない人間たち」との争い、とても面白いアイデアですね。楽しみにしております。

    読んでいただきありがとうございました!

  • 本当に、死って何なんでしょうね。どれだけ考えても、死の手前までしか踏み込めない、というのが実感です。逆に言えば、なにもかもに興味がなくなったとしても、死への興味だけはなくならない気もします。死ぬまでは。

    作者からの返信

    koumotoさん、読んでいただきありがとうございます。
    本当にそうですね。考えてもどうにもならないことがわかっているのに、考えてしまいます。
    死への興味だけはなくならない、というのはおっしゃる通りですね。そう考えれば少しポジティブに捉えられるようにも思えます。
    コメントありがとうございました。