逃避行について
何もかもぶん投げてどこかに逃避行したくなる。
「自分」を保つためにはほとんどのものから逃げなければならない。もしも「自分」というものが保つに値するものだと本当に考えているなら、あるいは「自分」というものが本当に存在するのだとしたら、という仮定付きではあるが。
いずれにしろ私はほとんど何も持っていないのだ。それが許されるような人間だし、そうあるための生き方を選んできたような気もする。
いい加減な生き方しかしてこなかったがそのことに対する後悔はない。むしろもっといい加減な生き方をすべきだった。
まあ抽象的な話は一旦置いといても、東京にいる意味はあまりないような気がしてきている。ヤナミューが一区切り付いてしまったことでアイドルライブに通う回数もかなり減ったし、ざっくり言うと東京に飽きてきたのかもしれない。いやもちろん私にも少なからず人間関係はあるわけで、関わってくれる人のことがどうでも良いというわけではないのだが、まあ本気で会おうと思えば日本国内くらい会えるものですしね……。
何のしがらみもなく純粋に選べるとしたらどこに住みたいだろうか?
やはり最初に思い付くのは日本の端っこだ。
酷暑の中でまず思うのは北海道だ。しかし札幌はあまりに整備された都会過ぎて面白味に欠ける。どうせなら道東か稚内あたりに行ってみたい。二度経験した北海道旅行のイメージは強い。夏はまあ良いだろうが本格的な冬、あんな所で果たして生きていけるのか想像も付かない。そもそも生活の糧となるほどの仕事があるのだろうか?
それでもものの見方は変化しそうな気はする。人間は自然の中で生かされている一部でしかないということを実感して、その次に何をどう感じるのだろう?
やはり移住地としては一番興味がある。
昨日は『マツコの知らない世界』で沖縄の離島について特集していた。絶景の南の島はどれももちろん素晴らしいだろうが、やはり以前から興味のあった大東島に私は惹かれた。大東島に移住とかは出来るんだろうか? 仕事はあるんだろうか?
厳寒の北海道に比べると、穏やかでのんびりした沖縄の島々はやはり暮らしやすそうに見える。もちろん実際は色々と大変な所もあるだろうが。
あるいはもっと中庸な地方都市とかでも良いかもしれない。
関西圏のどこかや、北陸のどこか、仙台あたりなどは割と暮らしやすいかもしれない。瀬戸内の島々で暮らすのも良いだろう。温暖な小さな島で猫たちと戯れる毎日は楽園そのものかもしれない。いざとなれば都市圏に近いのも僻地に比べてアドバンテージだ。
いずれにしろ本気でどこかに移住するならもう少し金を貯めねばなるまい。
1億くらい貯金があれば仕事のことなど考慮しなくても良いのだろうが、残念ながら私の貯金額では3か月の生活も心許ない。まあいい。人間死ぬ時は幾ら持ってようと何の意味もないのだ。
しかしまあ行ってしまえば何とかなるだろうし、何ともならなくて野垂れ死んでもチャラという気もせんでもない。もちろん泣き喚いて後悔するのかもしれんが、その可能性を含めてもだ。
私にとって私が生きていることはかけがえのない素晴らしいものだが、それは内容を問わない。今後どんな体験をしたとしてもその意義は変わらないように思える。
しかしなぜそんな思考回路になるのだろう? 少なくともあまり一般的ではないように思える。
『百万円と苦虫女』という映画の影響はあるかもしれない。
蒼井優演じる主人公の陰気な女子が、アルバイトをして100万円溜まったら次の街へと引っ越す、ということを繰り返してゆく物語だ。
観たのはもう15年以上前だと思うが「そういう生き方もあるな」と思った。新たな価値を創出するという意味で私にとってまさしく文学的な作品だったと思う。
もう一つ思い出すのは村上春樹の小説だ。
何の作品かは忘れてしまったが、失恋した主人公が「何の縁もゆかりもない土地に行って肉体労働をして一生を終えるのが自分にはお似合いなんだ!」と思うシーンがあった。
つまり私の発想もそんなに突飛なものでもないし、受容してきたものに影響を受けているだけかもしれない。
しかし私の志向がそうした類型の一つに過ぎないとしても、ではなぜ私はそういった考え方に惹かれるのだろうか? という疑問は残る。
まあ恐らくは自分の行動を縛られることへの拒否感だろう。幼少期の不自由への反動と言っても良いだろう。
……いやだがなぁ、似たような境遇の人たちと最近はちょくちょく会うこともあるのだが、結構安定志向の人が多いようにも思うのよな。幼少期辛い体験をしてきたがゆえに安定志向というか。
となると何だろうか? 単に飽きっぽいという形質的な要素なのだろうか?
でも、やはりそれだけでは説明が付かないように思う。
結局今までの自分の歩みをどう評価しているか、ということなのではないだろうか? という気がしてくる。つまり私は私が経験してきた生活をほとんど好ましく思っていないということなのだろうか、ということになる。だから積み上げてきたものを全部ぶん投げてゼロから始めたいという衝動がいつまでも燻っているのだろうか。
あと形質的な部分という話に戻ると、やはり衝動性というか暴力的な要素が影響しているだろうな、という気はする。
まあ本当のことを言えば、何処に行っても自分の感覚はさして激変しないことも予想できる。「どこに行っても自分からは逃げられない」というのも村上春樹の小説の言葉だっただろうか?
それでも試してみる価値はある。本当にそうであることを確認するだけでも構わない。
……なんだかかなりネガティブなオチになってしまったように思う。書いている内に本気でどこかに行きたいという気持ちは強くなったが、冷静に諸事情を考えることにします。はい。
書くことは物事を深く考える唯一に近い方法であると私は思っているが、その作用はこんな危険を伴うものだということをも読者諸賢には知ってもらえればこれに勝る幸いはございません。
へけっ!
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