安倍元首相の事件について
安倍元首相が凶弾に倒れた。
現時点で事件の全貌が明かされているわけではないし、私は何の専門家でもないのだが、それでも世の中の出来事と無縁ではいられないので少し思っていることを書く。
安倍元首相の功罪に関しては皆さんそれぞれ評価が異なるかもしれないが、私は彼が良い政治家だったのか正直言って分からない。まあ良い政治家というものがどんな人物を指すのか分からないというのが正直なところだ。
また参院選投票日前日に起こった事件として、各政治家は「暴力に屈してはならない!民主主義を守れ!」ということを口々に言っているが、それが何を指すのかもよく分からない。街頭に立たないことなのだろうか?主張を変えないことなのだろうか?
それよりも私が興味を持つのは加害者についてだ。やはりどこか自分を重ね合わせている部分がある。
年齢的にもそれほど離れていないし、職を転々としているのも、陰キャらしい年齢不詳の風貌も、その割に腕だけ太いのもどこか自分と似ているように思える。おまけに宗教で家庭を破壊された当事者だという話も出てきている。ますます他人事とは思えない。
報道を聞いてまず最初に思い付いたのは、無敵の人としての犯行という面だ。
やはり私はこの文脈で事件のことを捉えたがっているのだと思うし、ある程度この側面があるのは間違いないと思っている。
「無敵の人」とはひろゆき氏の造語らしいが、それを行えば自分が重罰に処されることも理解した上で世間に対して復讐の意志を持って事件を起こす人、ということになるだろうか。
2008年の秋葉原通り魔事件以降、特にこうした無敵の人が増えた印象がある。
京アニ事件、相模原障害者施設の事件、大阪北新地ビル放火事件、京王線での事件、小田急線での事件……枚挙にいとまがない。
映画『JOKER』もとても象徴的なものとして印象に残っている。
以前も書いたがこうした兆候は当然のものに思える。
自己責任論は増々強くなり、経済的な部分で言えば政府が副業や投資を勧めるような状況だ。一度レールから外れてしまえば転落は実に速い。
報道、SNS……あらゆる場面でそうした言説ばかりが溢れている、というというよりもそれが常識・マナーであるかのようだ。
「自分を変えられるのは自分だけだ!」というのはとても耳障りの良い、一種のヒロイズムを喚起させられる言葉だ。
しかしこれは本来自分に向けた言葉であり、他人に向けて発する言葉ではない。他人に向けた場合には彼を鼓舞するためのものではなく、(本人にその意図がなくとも)切り捨て・無関心・攻撃・排除といった意味合いでしか使われていない。
そして一部の成功者による物語だけが世の中には残ってゆく。
彼らにとっては自分たちの成功を自分の努力の賜物と思い込ませる美酒ともなり、落伍者に手を貸さないことが彼らの為にも正しいのだと思わせる良薬としての味わいすら持ち合わせているのだ。
都合が良いのは為政者だ。彼ら経済的成功者・資本家の顔を伺って政策を立てれば世の中は上手く回ってゆくのだ。……いや、彼らだけが世の中なのだ。その陰にある落伍者の実態については関知すらしていないのかもしれない。
切り捨てられた側から見れば分断は隔絶の感がある。
共有している前提がまるで違うのだ。これでは対話にならない。
「投票は言葉だ」と先ほどサンジャポで太田光が言っていた。彼のことは昔から大好きだし、番組内では事件背景に触れる唯一に近い言葉だったが、もちろん事件を起こすような層の人間の心を動かすことはないだろう。
投票はもちろん平等だが、社会的弱者同士は分断しており彼らが結束することはない。民主主義では彼らは救われなかったのだ。
もちろん、増えすぎた人口・行き詰まった資本主義の帰結として、弱者から切り捨てられてゆくのは、生物として当然なのだろう。
だがもちろん彼らは思うだろう。
「どっちみち社会に殺されてゆくなら、少しでも復讐してから死んでいった方が良くねえか?」
日本では年間約2万人の人が自殺しているそうだ。
もちろん自殺は自分で選びとったものではない。環境がそうさせるのだ。
上記の考えの人が増えるのも当然だと思う。むしろ日本人の気質は内向的で自分を責めてしまう人ばかりだ。(それゆえに自己責任論による統治がここまで進んだのだと思う)。もう少し社会が悪い・政治が悪いということを主張出来るような空気になり、デモだとかのマイルドな仕方で不満を小出しに出来る社会の方が幾分健全だろう。
事件後に出されたひろゆき氏の動画を見た。
私は彼のことはあまり好きではないのだが、この件に関するメッセージはとても腑に落ちるものだった。
「社会の秩序を守るため」という大義名分のために排除が進んでいる。人を排除するという考え方自体を変えていった方が良いのではないか……というのがその要点だ。
まあどっちにしろ世の中が良くなることはないだろう。
今回の事件を経て要人の警備体制は見直されるかもしれないし、人々の自衛の意識は高まるかもしれないが、弱者に対する政策や人々の目が変わることはないだろう。むしろさらに分断は加速してゆく。
怪しい風貌の人間、昼間から徘徊している人間……と過剰にアンテナを立て、より関わらないようにする善良な市民が増えるばかりだろう。
上に立つ者に倫理観がないということをとても感じる。今だけ、金だけ、自分だけ……上に立つ人たちこそそんな者ばかりに見える。
それを変えられるのはやはり教育によってしかないと思うが、日本は教育への注力も減少しているわけで、短い期間で改善されるような問題ではないだろう。
さて今までは無敵の人による犯行としての側面ばかりを見てきたが、犯人の供述からはもう一つの重大な側面が見えてきている。
「とある特定の宗教団体に恨みがあり、その教団と安倍さんが近いと思い犯行に及んだ」というものだ。その宗教により彼の家庭は崩壊したと犯人は主張し、母親がその教団に所属していることも確認されたようだ。
当該の宗教2世の人とも少し話したことがあるのだが、中々にハードな環境という印象を受けた。家庭が崩壊するのも子供の人格が歪むのも当然に思えた。
やはり気になるのは報道の在り方だ。SNSではバンバン出ている実在の団体名がメディアでは全く出て来ない。
癒着はもちろんあるのだろうが、私が気になるのはそれよりも「報道されないことによって現にそこに属している人々に対する偏見が強化されないか」ということだ。
「宗教によって育った人間と関わるのはなんとなく危険そうだからやめようぜ」といった安易な風潮が起こらないよう願っている。
一人一人がこの事件の意味を考えて欲しいと願っている。
(了)
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