北海道旅行③について
二日目の午後です。
ウトロを12時10分のバスで発った私たちが次に目指すのは『北方民族博物館』という場所です。これは私が推しました。
ウトロからバスで網走駅まで戻り博物館に向かいます。博物館行きのバスもあるのですが、時間的にバスを利用するのは難しく、タクシーで向かいます。
到着したのは14時少し過ぎた頃でしょうか。16時半には閉館してしまうのでこの時間に辿り着けて良かったです。
さて『北方民族博物館』とは北海道の先住民であるアイヌだけでなく、さらに北方のシベリアや北極に近い場所に居住してきた数多の人々の生活をまとめた博物館です。行きの飛行機のパンフレットに載っていた小さな紹介記事にとても惹かれました。
少数民族や多数派ではない人々の暮らしというものに私はとても興味があります。自分とは違った人々の暮らしにはすべて興味がありますが、一般的にはあまり知られていない人々や日本からは馴染みの薄い民族というものに特に惹かれます。
最近は間宮林蔵に関する本も読んでおり、特にそうした方面への興味を募らせます。
というわけで入館しました。平日にも関わらず客は意外と多かったです。
常設展の他に期間限定の展示も行っており、言語に関する展示が展開されていました。
まずは常設展の方です。
まず驚かされたのは非常に多くの民族があり、言語がある、ということです。
北極圏とはシベリア・北欧・グリーンランド・北米大陸など非常に広範囲な地域が接しているのですから、それも当然といえば当然という気もしてきますね。
民族衣装として各民族の晴れ着も展示されていたのですが、どれも色鮮やかで多様なものでした。
住居は地中に穴を掘り、上からテントを被せるようなものが主流になるようです。こんな簡易的なもので極寒の地で生きていけるのか?と心配になるのですが、生き延びる知恵が随所に見られます。
防寒として一番大事になるのはやはり動物の毛皮のようです。アザラシやトナカイ、犬、クマ……彼らの毛皮を用いることによって人々は生きてきたのです。
言うまでもなくそれは動物を殺すことではありますが、だからこそ彼らは命を動物たちから受け継いだもの、その存在の上に人間が生かされていることだと認識しているような印象を強く受けました。そしてまた人もやがて死ぬ。自然の中で束の間生かされているに過ぎないのだ……ということを彼らは宗教観として持っているのは間違いないでしょう。過酷な環境の中で彼らはそれを実感として育んでいったのでしょうし、人間とはかくあるべきだと私も共感しました。
この辺りは当然アイヌの人々も同様の死生観・宗教観も持っているのでしょう。最近人気の『ゴールデンカムイ』を読めばその辺りも窺えるのではないでしょうか。(私はほんの少ししか読めていませんが)
さて衣・住とくれば、最も大事なのは食です。彼らの食生活は日本や欧米の人々との食生活とは当然異なっています。
数年前にNHKの深夜の番組でエスキモーの人々の生活に密着したドキュメンタリー番組をたまたま見たのですが、鮮明に覚えています。
現代に生きるエスキモーの人々には実は文明の利器も多数流入してきています。衛星テレビも映れば、インターネットも繋がるのです。しかもその時映っていた人々は黒髪で顔立ちもとても日本人に似ていました。そうした要因からとても親近感を持ってその番組を見ていたのですが、食事のシーンを見て私は少し驚きました。
食事に関しては彼らは先祖からの伝統的な食事を受け継いでいるのです。やはり受け継がれてきた慣習としてという部分もあるでしょうし、身体に合わない(つまり我々の一般的な)食物を摂り入れることは彼らにとって身体的負担でしかないそうです。
画面には10代半ばくらいの女の子が映されていました。黒髪でメガネをかけており、日本人的な顔立ちをした彼女を私はとても親近感を持って見ていたのですが、彼女は伝統的なエスキモーの食事を始めました。つまり解体された生のアザラシの肉を手に取り、持ったナイフで小さく切り分け口の周りを血だらけにしながら食べ、美味しそうに微笑んだのです。
その映像に当時の私は若干の衝撃を受けましたが、別にそこには何の演出も意味もありません。ただただ日常的な食事の光景でした。これこそが異なる文明に触れるということなのだ、と少し後になって思いました。
そうです、彼らはアザラシなどの海獣類や、トナカイなどの陸獣、魚、それに少量のベリー類などを主に食べているのです。我々が主に食べている米や小麦などの穀物は厳寒の地では育たたないからです。
特にアザラシなどは寒さから身を守るために40~50%に及ぶ分厚い皮下脂肪を蓄えています。その分厚い脂肪をも彼らは生のまま食すのです。前述したように彼らは野菜というものも食べることがほぼないので、ビタミンなどの栄養素も全て動物から摂り入れるのです。
日本人の感覚からすれば「食生活偏り過ぎやろ!食事はもっとバランスよく取らないと健康を損ねるで!」となるのですが、彼らは至って健康です。むしろ欧米的なバランスの良い食事をした方が体調を崩してしまうそうです。恐らく持っている腸内細菌などの影響なのでしょうが、人体の不思議さを改めて思います。
アザラシなどの脂肪は重要なエネルギー源であると共に燃料としても用いられます。毛皮ももちろん衣服などに用いますし、一切余すところなく生活に使われるのです。命をつないでいる、今殺した獣からもらっている、という感覚になるのはとても自然なことのように思えます。
展示はその他、言語、祭事、宗教、音楽など様々な方面に及んでいました。特に言語に関しては惹かれました。
閉館まで2時間ちょいの滞在でしたが、とても面白かったです。資料集も購入したのでまたこうした方面について勉強したいです。
しかし、改めて彼らの文明の素晴らしさを知った後で矛盾するかもしれないのですが「なんでこんな過酷な環境に身を置こうと思ったんやろ?最初にこんな環境に身を投じることを選んだ人間はどういう思惑だったのだろう?」という疑問が尽きることはありませんでした。
さてこの稿は文化人類学に触れての感想レポートではなく、旅行の記録なのでした。
16時30分、閉館の時間に合わせて網走駅行きのバスが到着しました。途中すぐ近くの『網走監獄』から多くの人が乗り込んできました。
バスは20分ほどで網走駅に到着します。すでに何度も網走駅を利用しているので、この頃には見慣れたものでホーム感すら感じます。
そして徒歩で今夜の宿である民宿『ランプ』に向かいます。徒歩7,8分と書いてあったのですが少し遠回りをしてしまい15分以上かかったように覚えています。
途中踏切待ちをしていると、同じく踏み切り待ちをしている車の運転手の方が下りてきて「何かあったんですか?」と声を掛けてきました。普段この時間に踏み切りに掛かることはないようです。
駅のアナウンスが朧げに聞こえ、何となく遅延があったようだということを田中さんが伝えます。
運転手さんは軽くうなずき「どこまで行きます?乗ってきます?」とおっしゃってくれました。やはりこの寒空の下歩いている人間は珍しいようです。目的地まではもう1,2分でしたので丁重にお断りし別れました。
そして何とか二日目の宿、民宿ランプに辿り着くことが出来ました。
なんか田舎のおばあちゃんの家に来たような和室と共同トイレ・風呂。迎えてくれた宿の人もキッチュな感じでした。しかも素泊まり一泊一人2600円という破格!
網走市内の普通のビジネスホテルに泊まるか……という案も出ていたのですが、こちらを選んでとても良かったです。
マンボウの影響で飲食店の営業時間も短くなっているので、早々に晩飯を食べに、ついでに銭湯に行こうと考え、荷物を置くと早々に宿を出て網走繁華街へと向かいます。
網走繁華街は宿から歩いて30分近くかかってしまいました。しかし知らない街を歩くのはとても楽しいですね。
宿で市内の飲食店などが載せてあるパンフレットをもらっていたのですが、マンボウの影響なのか閉まっている店も多かったです。目当てにしていた銭湯も休みでした。
網走中心地はア-ケードの商店街となっていたのですが、人通りもあまりなく平日の夜はやはり閑散としているのかな?と思っていたのですが、目星をつけて入った居酒屋は2店とも満席でした。
街はうら寂しいなと思っていたら飲食店内に人は集中している……というのは地方都市あるあるなのですかね?
まあ結局は3店目の居酒屋に入りました。店名は忘れました。19時くらいになっていたと思います。
コロナ禍での応援企画ということで567円飲み放題をやっていたので……まあ吞まざるを得ないですよね(苦笑)田中さんも私も「酒飲まなきゃやってらんね!」というわけではないのですが、呑むときはそれなりに呑みます。
地元の海鮮や鯨肉を食べたのが印象に残っています。散々飲み食いして一人4000円くらいだったでしょうか、かなり安かった気がします。
店員の若い姉ちゃんがとても感じが良く、あしらい方も上手く、田中さんが「ああいう子がいると店は繁盛するよね」という主旨のことを言っていました。
21時くらいに店を出るとすぐ目の前にタクシーが何台か止まっていました。流石に酔ったまま30分歩いて帰るのはダルいので、タクシーを利用します。
5分ほど、1000円に満たない額で帰れたのはとてもありがたいですね。
結局銭湯には入れていないので、民宿の風呂を利用することにします。田中さんは酔っていたのか、少し寝落ちしています。
宿泊客は他にも何人か見かけていたのでバッティングするかと懸念していたのですが、杞憂に終わります。
私が身体を洗い終えた頃に田中さんも入って来ました。
普通の家庭の風呂よりは浴槽も洗い場も広いのですが、田舎のばあちゃん家に遊びに来た感をこの時にとても感じました。
風呂を出ると23時近かったでしょうか。まだ酒が残っているのか2人で色々な話をしました。
田中さんは芸術家として活動しており世界中の色々な国を周っている方なので、色々な話をしてくれます。
表現とは何か?みたいな話もした気がしますが、印象に残っているのはコーカサス地方チェチェン人の七代にわたる「血の報復の掟」についてです。チェチェンとウクライナと少し方面は違いますが、現在の情勢を少し先取りしていたかのようですね。
こうして2日目は終わりました。
(3日目につづく)
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