新年の挨拶と創作の方針について

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!

……という挨拶が苦手だ。

年末の「今年はお世話になりました。また来年もよろしくお願いします。よいお年を!」という挨拶も当然苦手だ。

「何が『よいお年を!』じゃ!お年っていう単語、年末のこの場面でしか使わないだろ!本来は一年通じてのことのはずなのに、ほぼ年越しの瞬間だけを指しているかのようにしか使われないよなこの野郎!」とか「年が変わったことが何故そんなにめでたいんですか?数日前と何が変わっているんですか?」

という気持ちが内心あるからだ。


まあもちろん、そんなことを実際に口に出したりはしない。

された挨拶には普通に「こちらこそ、よろしくお願いします」と適当に相槌を打つだけだ。

自分のそうした反抗心にそこまで強い信念や理由があるわけでもない。

ただただ世の中の『めでたい』という空気……意識的に口にすることによって醸成していこうという空気が気に入らないだけである。単に世間的な風潮に反抗したいだけかもしれない。


しかし突き詰めれば、やはり幼い頃受けた宗教教育があるのだろう。

宗教教育の第一歩は、日本で慣習的に祝われている『異教の教え』に参加しないことだった。その宗教を私自身は捨てたはずだが、そうした名残は未だに染み付いている、ということだろうか?……いや正直に言えば、そうした『偽りの宗教を排除する』という攻撃の方法が、当のその宗教にも向かったような気がする。……まあ、それは余談だ。

『めでたい』という世間への風潮に対する攻撃性、そして自分を決して祝われる側に持ってゆくことを良しとしない……というルサンチマン的態度は恐らく死ぬまで変わらないだろう、ということだ。

まあ、この文章を書いている中の人にもし会う機会があったならば、そんな七面倒なごちょごちょした理屈はキレイに無視して普通に「あけおめ」と言ってもらって構わない。普通に返しますので。




さて、別に年末年始の休みの期間に何か心境の変化があったわけでもないのだが、少し自分の書く小説に関して方針を変えようかな、という気がしている。

まあざっくり言えば、もっと多くの人に読んでもらえるような方向に作品作りをシフトしようかな、ということだ。

ここ最近の作品は数年前に書いたものを有効償却するためにアップしていたものだ。

まあもちろん多少は見直して手直ししたし、自分でも気に入っている作品ばかりなのだが、クオリティ面でもテーマ的にも多くの読者にウケるものではなかったと思う(実際に読んでコメント等していただけた方には感謝しかありません)。


さして数字の伸びなかった作品ばかりだが、小説を書くことに対するモチベーションは上がってゆくばかりだ。書くことは楽しい。……いや、しんどさや面倒くささももちろん大きいのだが、書き始めてしまえば書き進んでゆく様はスッキリとするし、アイデアを考えることは掛値なしに面白い。


何を書くか、テーマを何にするか……ということが当初は何より重要なはずだった。

幼少期に宗教教育を受けた主人公がその後の人生で苦しむ、というのはもちろん自分自身の毒出し的な意味合いもあったが、世間的にももっと注目されるべき問題である……と思っていた。

また私の作品にはよく『無敵の人』が登場する。私自身がこの問題を意識し出したのは2008年の秋葉原通り魔事件だが、それ以降もそれに類するような重大な事件が何度も起きている。世相がより荒んでいるのだからそれも当然だと私は思う。

そういった問題を少しでも扱うべきだ、と思っていたので私は幾つかのそうした作品を書いた。……まあ問題意識ゆえにという面もあるが、世間的な問題と絡めた方が多くの人に読んでもらえるのではないか……という打算があったのも確かだ。

しかしPV数は思ったよりも伸びなかった。

多分カクヨムを読む人間は、少なくともそうした諸問題を小説には求めていないのだろう。サブスクの発展や、映画を早送りで見る人たち、などの傾向を考えるにやはり人々はエンタメにはお手軽な現実逃避を求めているのは間違いない。

そんな傾向に反抗し一石を投じるだけの作品を書いてやろう!という気持ちが全くなかったわけでもないが、どう考えてもそれは無理だ。この場ではこの場の流儀に従って書いてゆくべきだという結論に至った。

それに自分自身もかなり毒を吐き出せた、という気もしている。

Twitter上で宗教2世の方々の話を見ていると、同情も共感もするし可能ならば力になってあげたい気もするが、私自身はもう違う地点に来ているような気にさせられる。


まあとにかく今は広く読まれるエンターテインメント作品を書きたい、という風に気持ちはシフトしてきている。

知り合いにムリヤリ読んでもらおうとすることもお互いにとって意味がないことだと知った(笑)。とにかく読み専と呼ばれるサイレントマジョリティーの支持を得るためにはどうするか、しっかりと傾向と対策を練っていきたい。


自分にとっての大事なテーマでなければ小説を書く意味はない……という風に当初は思っていた気がするが、やり始めてみると別にそんなことはない。

エンタメ作品を作ることも楽しいし、やりがいのあることだと実感している。

書くことをずっと続けてゆくためにどうするかを考えてもいるし、それよりも次の作品を面白くするためにどうするべきか、ということをずっと考え続けていきたい。






(了)

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