東京リベンジャーズについて
ようやくアマゾンプライムで『東京リベンジャーズ』を見終わった。
不純かもしれないが、どちらかというと私は「今何が世間でウケているのか、何故ウケているのかを知らなければならない」という動機で作品を見始めた。
もちろん作品としての完成度の高さは感じられた。
それぞれのキャラクターは魅力的だし、タイムリープものとヤンキーものの融合というアイデアは前例のない作品なのだろう。
だが、そこまで広くウケる作品か?というのが正直な感想だ。
時代設定のせいもあるかもしれないが、ヤンキーの描き方は30代の私が抱いているイメージそのもので特段目新しさはない。
それもそのはず。原作者の和久井健先生は映画化もされた『新宿スワン』の原作者であり、2005年デビューとのことなのでベテラン…とは言わないまでも、中堅以上のマンガ家と言って良い存在だからだ。
また『鬼滅の刃』のアニメを観た時にも感じたのだが(3話ほどで私は脱落した)、分かりやすさが過剰なくらいだな……ということも感じた。
ストーリー自体もシンプルで分かりやすいのだが、放送の構成にもそれは表れていた。
配信だと1話は正味20分ちょいなのだが、そのうちの1分くらいは前話の振り返りがダイジェストで流れる。正直1話分見逃してもこのダイジェストさえ見ておけば、話にはついて来れるくらいだ。
「コンテンツが飽和した現状においては『ながら見』が出来るようなものでないとウケない」というのは最近つとに言われることではあるが、恐らくそうした傾向を反映してのことなのだろう。
結局何がこの作品の魅力で、これだけ広くウケているのだろうか?
やはり最大の魅力はキャラクターだろう。
主人公のタケミチやヒロインのヒナはあまりにオーソドックスで少々印象が薄い気はするが、
ケンカ最強で無邪気な東マンのトップ、マイキー。長身の辮髪という個性的な風貌でケンカも強い仲間思いの常識人、ドラケン。策謀家で後の東マンを最悪の組織に仕立て上げた元凶、
それぞれのキャラクターにはそれぞれの過去や事情があり、行動の必然性が読めるほど没入してくるようになると、もう作品世界にどっぷりという感じだろうか。
あとはやはり適度にセンセーショナルなところだろう。
作中ではヒロインのヒナが死ぬシーンが何度も描かれる。その未来を変えてヒナを救うため、タケミチはタイムリープして過去を変える……というのが本作の骨子であるのだが、やはりヒロインの死を実際に描いてみせる、というのはショッキングな出来事だろうしそこで物語に引き込まれる視聴者も多いのだろう。
その他にも当然ヤンキー漫画なのでケンカのシーンが多い。大人数での過激な抗争シーンやナイフで刺されるシーンもあったりと、感情移入している視聴者にとっては強い表現だ。
まとめると、東京リベンジャーズは目新しさよりも日本人に古くからある感情を刺激するポイントを的確に描いている……というのがヒットの要因だと思う。
そもそも根本的に日本人はヤンキーが好きなのだと思う。(もちろん日本人に限ったことではないかもしれないが。)
いつまでもヤクザ映画のファンは居なくならないし、ヤンキー漫画というものも定期的に新作が描かれる。やはりそういった存在は人々の感情を刺激する普遍的な何かを持っているのだろう。
さて本題である。
これだけ批判的なことばかりを語ってきた私が、なぜこの作品を最後まで見届けることが出来たのかと言うと、冒頭で上げた「ウケているものを勉強したい」という以外にも強い動機があったからだ。
それはアンガールズ田中の『ヤンキーを美化するな!』という話をラジオで耳にしたことだ。
当然、田中は一流の芸人なので(異論の余地はない)その話を過剰な熱量で語ることによって「ヤンキーにいじめられてきた陰キャの遠吠え感」を演出し、笑いとして昇華されていた。
だが田中の言葉は笑いのネタとなる一方で、間違いなく正鵠を射抜いていると私は感じる。
「作中では描かれることはないが、ヤンキーたちが普段の暴走行為でどれだけ周辺の人々に迷惑を掛けているか。チームの運営資金はどこから出ているのだ?まさかコツコツバイトをしているわけではなかろう、間違いなくどこで弱い者からカツアゲした金をそこに充てているのだろう。仲間・義理・人情など綺麗事の面ばかりを描いて不良集団を美化して描くな!ヤンキーの存在自体が社会にどれだけ迷惑を掛けているのか考えろ!」というのが田中の発言の要約だと思う。私もほぼ同意見だ。
先述した通り、日本人はヤンキーやヤクザというものが好きだ。
出発点は「何となくカッコいいから」というものだろう。子供たちは皆強いものに憧れるし、普通から逸脱したものに憧れる。
大人になっても結局のところ価値観は変わらない。
ヤクザ映画が未だに一定層の支持を受け続けているのは、規範の外にいる者への憧れであり、そこに自分を投影して有り得たかもしれない可能性を見ているのだと思う。
実際のところ日本社会はヤンキーに対して寛容だ、と私は感じる。
昔は手の付けられなかったヤンキーが更生して社会的に成功する……というのはあまりにありふれた美談だ。
特定の業界では元ヤンの社長がとても多いし、世間的なイメージも元ヤンというものに対してそれほど悪くないように見える。
仲間思いで身内を大事にする、エネルギッシュで押しが強い、上下関係に従順である……こうした特徴は社会人にとって好ましい属性であることが多いからだ。
少なくとも元引きこもりよりはイメージが良いし、特徴のない優等生より好かれる場合も多いだろう。
そして実際多くの面でそれは正しいのだ。生粋のヤンキーはガチガチの縦社会的教育の下で育ってきた、とても社会的な存在だ。
だからヤンキーという存在は言葉の本来の意味での不良とは違う。本当の社会不適合者とはヤンキー社会にすら馴染めない存在だろう。
ヤンキーたちはの多くは若い頃に違法行為を繰り返し周囲の人々に迷惑を掛けていたとしても、早い段階で「大人になってゆく」。
若くして子を成し、郊外に家を買い、昔の仲間とイカつい車で浜崎あゆみやLDH系などの音楽を爆音で流し市中を闊歩するも、一般社会に出ればきちんとした社会人として金を稼ぎ家族を養う……そんなイメージだ。
……なんだかこう書くと模範的な社会人の部分の方が強いような気がしてくる。少なくとも私よりは圧倒的に社会貢献している。
だけどだ……じゃあヤンキーの存在を容認して良いのだろうか?彼らのほとんどは若い頃はヤンチャをして周囲の人々に迷惑を掛けても早い段階で更生して立派な社会人になってゆく。だから若い頃のヤンチャは多少多めに見よう……ということになっていっても良いのだろうか?
直接的に迷惑を被った人々の気持ちはどうなるのだろうか?彼らにイジメられてきた人々の精神はどうなるのだろうか?そこで生じた歪みが巡り巡って社会を歪めているという可能性について考えないのだろうか?
ヤンキーは時代と共に減少傾向にあり、少なくとも現在私の住んでいる東京都市部ではその存在は希少なものになりつつある。
今回の東京リベンジャーズのヒットによってその傾向が逆転し、日本中にまたヤンキーが溢れかえることが危惧される……かと言うと、そんなに単純ではないと思う。ヤンキー減少の理由は、人口分布だとか経済状況だとかそういった要素が複雑に絡んでいるからだ。
私自身は別に実生活において元ヤンの人が嫌いというわけではない。文化的に噛み合わないというケースもあるが、多くは人間的魅力に溢れた人たちだ。
だがだからこそ「ヤンキーを美化するな!」という言葉は公的に言い続けられるべきものだと思う。
仲間との友情も、諦めない強さも、理不尽な大人社会への反抗も、他に描く方法が幾らでもあるからだ。
(了)
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