Twitterについて
ヒマさえあればツイッターを眺めるのが癖になってしまった。
いや実際にはヒマなどなくとも、半ば無意識の内に気付くとスマホのツイッターを開いてしまっている。私の脳内はもうツイッター聖人に侵略されてしまっている、と言っても過言ではない。……いや何だよツイッター聖人って。ツイッター星人な。
ツイッターやってる人間に聖人など存在するわけがないので、概念として矛盾している。じゃあツイッター星人という表現はどうなのか?そしてこのこの言葉遊びが面白いのか?という部分に関しては思考をやめよう。
まあ、つまりツイッターばかり見ているというわけだ。
昔はミクシィというSNSをやっていた。フットサルやバンドのメンバーはそこで知り合ったが、それ以外にも日記で時々長文も書いたし連載小説のようなものも書いていた。ただ、そこまでのめり込んでいるわけではなかったと思う。
今は何でもかんでもツイッターだ。カクヨムも当然開くが自分の作品がどれくらい読まれているのかを気にするだけの時が多い。
もちろんフォローしている作品を読むこともあるが、きちんとした作品にはきちんと向き合わねばならないので、それがちょっとしんどい時も多い。
そんな時にはツイッターを開く。
短文でほとんど意味のない情報も多いが時々は示唆に富んだ呟きも見られるし、私のタイムライン上に現れる投稿はバラエティーに富んでいる。短い時間何となく眺めているだけでも思考は様々な方向に向けられるので、それがいいのかもしれない。
ニュース関連もツイッターだ。
一時期はまとめサイトをよく見ていたが、まとめサイトに載せられる意見は当然ながら管理者の意向を汲んだものが取り上げられる。そのため似たような意見ばかりが固まってしまうことも多い。
ツイッターはそうではない。
真面目な時事問題から下世話な芸能ニュースまで、非常に千差万別な意見を見ることが出来る。
炎上しているツイートを見るのも楽しいし、炎上しそうな際どいツイートを見るとリツイートしてやろうか、という気になる。
言うまでもなくこうした心理は危険だし、近年のSNSの問題の根底にあることは疑う余地がない。自分も気を付けねばならないことは承知しているつもりではあるが、注意が充分であるかは自分では気付けないものだろう。
私の場合はリアルで顔を見知っている友人もツイッター上にいるし、カクヨムにもアカウントを載せているので、私本人のものとしてバレている……という意識で一応はやっている。
しかしまあ、ここ数年の私を支えてきたものがツイッターであることは反論し難い事実だろう。
数多の地下アイドルのライブ情報を検索するのもツイッターが100パーセントだし、宗教2世関連の人と繋がることが出来たのもツイッターだ。
色々調べ物をする際にも、ググる前にとりあえずツイッターだし、最近はエロですらツイッターで検索している時がある。
まあ見る方としては良い。
ただただ便利であらゆる分野の情報を探すことが出来て、ずーっと眺めていられて、そのうちさして面白味が感じられなくなってきてもスワイプがやめられず、他のことが手に付かなくなり、廃人になるほど時間を浪費する程度だ。
それよりも問題なのは書くことも出来る、という点なのだ。(というか呟く……tweetという語源からすれば発信者側の視点こそが原点なのだろうが)
私はそれより前からツイッターを運用していたが、カクヨムに登録してからは意識的に呟くようになった。
「文章を短くまとめることは大事だ。プロットを書く上での練習になる」という風にある人が教えてくれたからだ。
それにより私は140字という短文に今まで以上に多くのことを込めて書いた(ツイッターの形式が自分の性に合っていた、というのももちろん大きいと思う)。
時事的なこと、厭世的な愚痴や怒り、アイドルライブの感想、読んだ本の感想なども書いた。収まり切らないものは複数にまたがることも当然あったが、なるべく1ツイートで済ますように心掛けた。
時には1ツイートするのに数十分間推敲することもあった。
情報は正確に…だが当たり障りないものならそれを呟く意味はないし…自分の気持ちに関しては最大限正確に書かねばならないし…だが攻撃性に関しては時代的に最大限抑えねばならないし……といった具合である。
そうした時間を経て放たれたツイートは、本人にとって最早一つの作品である。
裏の意味を含ませたり、あえて主語を省いたり、分かる人にだけ分かれば良い、という気持ちのツイートも多い(もちろんそうでないものも多い)。
そうしたツイートが増えていくとどうなるかというと……「何だコイツ、気持ち悪!」とフォロワーに思わせることが出来るのだ。従って誰からも見向きもされなくなる。
だが、別にそれは構わないのだ。誰かが反応してくれれば嬉しいが、それを目的としてしまっては意味がない。
……と言い切れるほどには私は自分本位でナルシストなのだろう。
そんなわけで私は私の『作品たち』を時々見返していた。
少し前までは、一番最初のツイートまで遡ることが可能で「ああこの頃はこんな気持ちだったな」とか「この時はこんなことがあったな」と思い出に浸ることが出来たのだが、ツイート数が増えすぎたためか仕様の変更なのかは不明だが、いつの間にか途中までしか遡ることが出来なくなってしまった。
なんたることだ!私の血肉を注いだ作品たちを!Twitter社の陰謀か!
と怒り狂ったが、後の祭りだった。敗軍の将は兵を語らず、というやつである。
と、まあこのようにツイッターばかりやっている人間は論理が破綻してゆく様をご覧いただけたと思う。ツイッターは実に危険である。
とりあえず、ツイッターという消えゆくものにあまり色々込めたものを書くのはもったいない。今後は『エッセイ集』という非常に曖昧なタイトルが好都合なこちらに、雑多な気持ちを吐き出してゆこうかな、という気持ちです。
というわけで今後はこちらの作品の明らかな質の低下が予想されます。まあエッセイ集などと銘打っているのだからテキトーにやっていこうと思いますね、ええ。
追伸:ツイッターの短い文章を推敲することは文章力向上に普通に役立った気がします。
にゃり~ん
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