やりたいことについて

先日友人と話していて「特にやりたいことがない」という言葉を聞いた。

彼は私などとは比べ物にならないくらい立派な社会人なのだが、あるいはそれゆえに私にはその感覚がよく分からなかった。

対する私の方は言うまでもなく、仕事などというものに今後1秒だって時間を割きたくない……何とか誰かに養ってもらえないものだろうか……と常々考えている程度にはやりたいことがあると思っている人間なのだが、彼と私とのこの差は何なのだろうか?




まず疑ってみるべきなのは彼のその言葉が本当に本心なのか?という点だろう。

彼とはかれこれ10年近くの付き合いになる。人格的にも素晴らしく、私のような自分勝手な生き方をしている人間に対しても「やりたいことがある方がすごいよ」と言ってくれるような人間だ。しかし恐らく『社会人としての自分』に対してはそれなりの自負を持っているように言葉の端々から感じられる。

「激務で仕事が嫌になることはあるが、辞めても別にやりたいことがあるわけではないので、辞めようとは思わない」ということを以前にも言っていたことを思い出した。

入れ替わりの激しい業界らしく、その中で10年以上仕事を続けてきたことが……無意識にしろ……彼のアイデンティティになっていることは間違いないように思えた。

まあつまり彼は仕事がしたいのだろう。今の仕事を続けることが彼のやりたいことなのだろう。

「仕事がしたい」などと言うことは憚られると感じ「(他に)やりたいことがない」と表現したのではないだろうか?


しかし一方で、やりたいことがある、とする私の立場の方をも疑ってみるべきなのかもしれない。

「何かやりたいことがあるか?」と尋ねられれば、私には幾つかのことが浮かぶ。

こうして文章を書くこともそうだし、運動を出来る限り続けたいし、少しでも多くのエンタメを受容したいし、少しでも多くの知識を得たいし理解したい……と思っている。

それは金を稼ぐ為や、周囲の人々からの羨望を集める為の手段ではなく、それ自体が目的となっていること……だと自分では思っている。

しかし当然、深層心理は自分では掴みかねる。そこに虚栄心や野心が全くないとは自分では分からないものだ。

だから両者の立場の相違などはさして本質的なものではないのかもしれない。




「人は自分の夢を叶えるために生きているのだ!」という論調はかなり暑苦しくて多くの場合煙たがられるだろうが、「人生は短いのだから、やりたいことをやらなきゃ」という風にマイルドな言い換えがなされて現在に至っているように思う。

大抵の自己啓発本はこれを言い換えたものだろうし、私自身もこれに異論を挟む気はないし、そう思って生きている。

しかしごく最近ではまたその反動というか、若者たちの間では「やりたいことがなきゃダメですか?」という論調が出てきているようだ。

もちろんそうした声が上がってくるのも当然だと思う。

日本社会が若者に圧倒的な不利益を強いて希望を奪っておきながら、「若者なら夢を持て!」などというような言葉を掛けることはあまりに神経を逆撫でするし、大人との乖離を強く感じ、より一層世代間の分断は進むのだろうとすら思う。


しかし、一方で若者側も「やりたいこと」というのをあまりに堅苦しく考えすぎているのではないか、という気もする。

たしかに「やりたいことをやれ!」「夢を持て!」という大人からの言葉には言外の響きがある。「(俺たちのように)金を稼げ、偉くなれ、人から尊敬される立派な職業に就け」という風にである。

だがそんなものは前時代的だ。自分は自分の力で成功した、と思い込みたいおっさんたちの自己弁護とクソみたいな自慢だ。真っ当に受け止める必要はない。


「やりたいこと」というのはもっと字義通りにフラットに捉えて良いのだと思う。

世の中に貢献することでなくても良いし、仕事のことでなくても良い。もちろんそうであっても良い。

所詮は人生なんてのは死ぬまでの暇つぶしだ。マンガを沢山読みたいでも良いし、YouTubeをたくさん見たいでも良いと思う。

のんびりダラダラ暮らしたい、でも良いと思うが、やや漠然としている。もう少し具体的にどのようにのんびりダラダラ過ごすのかを考え、その為にどのように生活を組み立てていくのかを逆算して考えれば良い……などともっともらしいことを言おうと思ったが、こうした考え方自体が受け付けない若者も多いのだろう。

だがどんなことでも楽しむ為にはある程度継続性が必要だし、継続してゆくためには自分なりの楽しみ方を考えてゆくことが必要な気はする。

しかし、この「楽しむ」という言葉も強制になってはいけない。

人は何も人生を楽しむ為に生まれてきたわけではないからだ。何か理由があって人は生まれてくるわけではない。自分の人生をそう規定することは自由だが、誰かに強制されるようなものではない。人生が楽しくなくたって生きていて良いのだ。

人は自分で勝手に生きる意味を定めて良いし、それは自分にしか出来ないことなのだ。






(了)

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