続・「逆転人生ー宗教2世 親に束縛された人生からの脱出」について

前項の続きです。


番組を一通り見終わって私がまず思ったのは「坂根さんは人生を逆転させたと言えるのだろうか?」という点です。

一般的な視点から見ると彼女は現状でも幸せとは言えないように思えたからです。

「起業して大金持ちになった!」というならば分かりやすく人生逆転させたと言えるでしょうが、坂根さんはそうではないでしょう。彼女の周りの人間関係がどうなっているのか詳しくは分かりませんが、現状では母親との和解にも至っていない状況です。また、簡単に調べたところ坂根さんの著作は例の告発本『解毒』以外には出てきませんでした。


しかし言うまでもなく、幸せとは主観的なものです。坂根さん本人がどう思うかが全てです。彼女は人生を逆転させたと思えたからこうして番組に出演することを選んだのでしょう。

『解毒』を出版して集まってきた反響、そしてそれ以降の同じ苦しみを味わってきた人々との交流の中で自分の存在意義を感じられているということなのでしょう。

自分が坂根さんの立場だったらと考えると、JWによる束縛の前半生が有意義なものだったと価値を逆転させることが出来たならば、それ以上の幸せはないような気もします。

そういった意味では坂根さんほど『逆転人生』という言葉がぴったりな人も珍しいのかもしれません。世の中から認められる、大金を手にする……といっただけでなくこういった価値転換による人生の逆転もあるのだ、ということを提示したのであれば番組の意義は大きいと思います。


でも……そんな面倒な価値転換ではなく、普通の家庭に育って普通に歳を重ねていった方がよっぽど幸せだったのではないか?という思いは残ります。

司会者山里さんの「普通の親子に戻りたいと思わないのか?」という問いに対する彼女の答えは「無いものではなくあるものを数える。(母親に対して)してくれたことを感謝しよう」というものでした。

私はこの言葉がとても宗教的な響きを持っているように聞こえました。だから嫌悪感を覚えた、ということでは決してありません。宗教的な姿勢全てを否定するつもりは毛頭ありません。坂根さんの姿勢は幸せになるための素晴らしいものだと思います。

ただやはり人格形成期に植え付けられたものが、大人になってもその人の中枢になっているのだな……ということを改めて感じました。


坂根さんは社会の厳しさに触れるうちに「母親も宗教に縋るしかなかったのだ」と悟り、母親を100%許せるようになったと語ります。

その姿勢は彼女自身のものですから、そこに異論を挟む余地はありません。

しかし似た状況にある2世信者が、必ずしも同じ選択をする必要はない、ということは強調しておきたいと思います。親と和解し許すことこそが最良、という印象を2世・一般視聴者どちらも受けないか……その点は少し危惧します。親に対する姿勢もまた各人の自由です。自分に対して誠実に考えて選んで欲しいと思います。

私の親も坂根さんの親と同様に、愛情があったから私をJW2世として育てたことは間違いないでしょう。しかしそれに対してどういった姿勢で返せば良いのか、私は未だに分かりません。ずっと態度を保留しているという感じです。




さてここまでは主に番組内容に沿って、坂根さんの半生について振り返ってきました。

ここからは番組のスタンスについて少し考えてみたいと思います。

今回の『逆転人生』は全体としてやや問題を単純化していたかな、という印象が私は残りました。

それは『逆転人生』としてタイトルを掲げている以上、仕方のないことだと思います。

視聴者は分かりやすい逆転劇によってカタルシスを得たいのです。北斗晶・佐々木健介夫妻というゲストのキャスティングにも明確にその姿勢が表れていると思います。


ちなみに、番組後半の「親子の愛って、絶対に途切れることはないんですよね」という佐々木さんの発言には「壮絶な坂根さんの半生を見てきて、何でそんな自分の凝り固まった価値観でしかない結論を出せるの?この時間あなたは何を観てきたの?」と私も脱力しましたが、発言が台本上のものだとしても、佐々木さんの本心の感想だったとしても、全ては放送した番組側に責任があります。佐々木さん本人を責めるのは的外れでしょう。

Twitter上でもこの発言には批判が多かったようですが(私も書いてしまいました)、Twitterに意見を書く人は、やはりこの問題に関心の強い人でしょう。予備知識のない一般視聴者がどう受け止めたのかは分かりません。

しかし少なくとも番組側がこの言葉を放送したのは「視聴者はこうした分かりやすい常識的な結論を求めているだろう」と判断したということです。ある程度最大公約数を取らなければいけないテレビというメディアの性格が出たものだと感じました。

それに続く北斗さんの「(何よりも)世の中が良くない!」という発言もとても最大公約数的なもので、頷いた視聴者も多かったのかもしれません。


番組最後のナレーションは『人は生まれ育つ環境を選ぶことは出来ない、でも決してあきらめないで欲しい。誰もあなたの人生は決められない。あなたが勇気を持てば楽しい道を歩むことが出来るのだから』というものでした。

これが番組の出した結論だと考えると、その前の北斗さんの発言と少し矛盾するのではないか、と私は感じました。

もちろん私も、北斗さんの「世の中が良くない」という発言には同意します。親たちもそうした宗教に救いを求めてしまった必然性が状況としてあった。広い意味では親たちも被害者なのは間違いないでしょう。子供への厳格な教育も組織の方針でしたから、苦しむ2世の責任を全て親に帰するのは間違いでしょう。

しかし番組の最後の結論はあまりに常識的な自己責任論のように思えました。その結論に異論を挟むことは原理的に難しいように思いますが、あまりに意志の力を過信し過ぎではないかと感じました。

現状苦しんでいる2世は勇気を持って一歩を踏み出してこなかったのでしょうか?また明確なきっかけの訪れなかった2世はどうなるのでしょうか?


しかし……本題からは少し逸れるかもしれませんが……社会に打ちのめされて宗教に頼るような人間がなぜ子供を持つのだろうか?ということを無責任な私は何度も思います。無論、経験豊富な親ばかりではなく初めての親も多いわけで、子育てなど想定通りにいかないことばかりでしょう。それでも……これは2世問題に関することだけでなくですが……親になることを慎重に考える人が増えて欲しいなと私は思います。あくまで個人的意見です。




最近では宗教2世を扱ったメディアが少しずつですが増えてきました。その原因については世代的な点やSNSの発達など色々な要因があると思います。

2月の『ハートネットTV』そして今回の『逆転人生』と、番組のメインテーマとして正面から扱ったのは最近ではNHKだけだと思いますが、反響が大きいということになればその他の民放も似た番組を制作することになるかもしれません。

批判的な書き方もしてしまいましたが、この二番組はかなり良心的なものだったと思います。スポンサーへの配慮など必要ないNHKらしさが良い意味で出ていたと思います。しかしこれが民放で扱われるようなことになれば、もっと単純化されセンセーショナルな取り上げられ方をするでしょう。


忘れてはならないのは、メディアは世の中を良くしようとして問題を取り上げるわけではない、ということです。メディアはあくまで視聴率や売り上げという自らの結果を求めて問題を扱うということです。

坂根さんが『解毒』の出版に至ったたのも、出版社はこれがビジネスとして成立すると判断したからです。それに続く幾つかの2世の体験を綴った書籍やマンガも同様です。(私も共感のうちに幾つかを読みました。)

メディアがそう判断したのはやはり反響の大きさを見てでしょう。

宗教2世問題は、やや複雑な構造を持った現代らしい不幸話として一般層にもウケる性質も持っていますが、やはり当事者である2世たちからの支持が圧倒的に大きいでしょう。

彼らは(私も含めてですが)ずっと抑圧されて生きてきました。ある程度の年齢になり組織を離れることは出来ましたが、組織を離れたからといってその影響は死ぬまで消えません。「苦しみは当事者にしか分からない」という思いを抱えて生きてきた2世が非常に多いと思います。

そんな時に、同じ苦しみを味わった人間の体験を綴ったものが出版されると知れば、どんな拙いものでも読みたいと思います。1人目の体験記に続く2人目の体験記がさして目新しいものでなくとも、自分と同じ苦しみを背負った人間が一人でも多いということを確認したいのです。

当事者たちは割合的に見れば僅かでしょうが、とても良質な消費者と言えるでしょう。狭く深いマーケットがそこにあるということにメディア側が気付いた……というのがここ数年の流れだと思います。




こうしてメディアで扱われることが増えてきたとともに、その扱われ方に警鐘を鳴らしているのが専門家の方々です。

特に多い批判は「宗教2世という安易な一般化が、(JWのような)カルト宗教とその他の宗教とを同類のものだという印象を受け手に与えてしまう」というものです。

社会生活の多くの場面で普通とは異なっていなければならないJWのような厳格なカルトと、一般社会と宥和的な伝統宗教とは確かにその意義に於いて異なるということです。

確かにそれはその通りでしょう。専門家はその差異に敏感です。

そして私も含めてですが、当事者である2世の人々はこの点に関して鈍感だと思います。

比較対象となるものを持たなかったために、そして他の宗教と自分の宗教とを冷静に区別して考えるなどという余裕はなかったでしょうから、「自分の育ってきた宗教=宗教一般」となっている2世がほとんどではないでしょうか。

今も信仰のうちに組織に留まっている敬虔な2世にとっては自分の信仰する宗教が唯一無二のものですし、信仰を捨てた2世は宗教全てが唾棄すべきものと思っている人が多いのではないでしょうか。

この辺りの冷静な区別は当事者には無理でしょうし、それが本人たちにとってあまり意味のある事だとは思っていないでしょう。

また区別という点では、その苦しみが自身の親によるものなのか、カルト宗教そのものによるのか、という区別についても曖昧な部分が大きいと思います。というか2世の子供の立場からすれば、両者は不可分な存在だと感じていることがほとんどでしょう。


専門家の方々のこうした危惧は有意義なもので耳を傾けるべきものですが、個人的にはメディア側は躊躇することなく、もっと2世問題について取り上げていって欲しいと思います。

2世問題の根に深さは子供の教育をそれぞれの家庭に一任してきたことに原因があります。苦しむ2世を少しでも減らすためには、この問題をもっと多くの人が認識することだと思います。認識が広まれば当事者の2世も身近な人に自分の状況を説明しやすくなるでしょうし、周囲の人も他人の家庭の問題だから首を突っ込まない、という姿勢を崩しやすくなるでしょう。

メディアの誤りは専門家の方々がその度に批判すれば良いのです。今はSNSが発達していますから、番組を観て強い関心を持った人はそれにも目を通すでしょう。




さて、今後この問題はどうなっていくのでしょうか?

長い目で見れば宗教は衰退してゆくでしょう。社会とあまり宥和的でないカルト宗教は特に早く衰退してゆくかもしれません。こうして番組が放送され認識が広まるほどにその速度は加速してゆくでしょう。認識が広まればそれだけ入信する人は減ってゆくからです。

社会と宥和的な伝統宗教だけが残ってゆくのか、あるいはまた新しい形の宗教が広まるのかは分かりません。どちらにせよカルト宗教の2世問題などはあと数十年もすれば過去の物となっているのではないかと私は考えます。

……いや、しかし2世問題を広義の親子問題でしかないと捉えるならば、親子問題は人類が存続する限り、あるいは親が子供を育てる限り、なくなることはないでしょう。

それでも2世問題という一要素がなくなることで救われる人が少しでも増えるのであれば、そうなっていって欲しいです。

苦しむ子供が少しでも減って欲しいと願っています。






(了)

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