『親を捨てても良いですか?』について

5月6日NHKクローズアップ現代で放送された『親を捨てても良いですか?~虐待・束縛をこえて~』という番組を観ての感想等を書いていきたいと思います。


近年は親子関係に悩み「親を捨てる・親から逃げる」という言葉を用いる人が増えてきたという。

確かに私も特にSNS上でそういった言説を目にする機会が増えていたが、それは私自身の志向ゆえだと思っていた。つまり私は少数派でそうした言葉を探しに行っているだけだと思っていたのだ。

ところがそうではなく、そうした言葉を発する人が実際に増えてきたということらしい。

これを口に出せるような雰囲気が醸成されてきたがゆえなのか、あるいは親子関係に問題を抱えた人間がそれだけ増えたのかは分からない。

どちらの部分もありそうな気はする。

親子関係に深刻な問題を抱えた人間など有史以来無数に存在していただろう。近年のSNS等の発達がそうした発信を容易にしたり同様の問題を抱えた人間とつながりやすくしたり、といった部分は間違いなくあるだろう。

しかし一方で、ここ10~20年で日本の世情は急速に荒んでいるように思う。だから社会的な歪みがそこに表れ、現在親の介護にあたる世代では親子関係に問題を抱えた人間が実際に多いのかもしれない、という気もする。


ともかく一昔前までは「親を捨てても良いですか?」という問いを発することそのものが完全なタブーだった。それが天下のNHKでこうして問題提起されるまでに、時代は移り変わってきていることは確かだ。


前提として、どんな分野でも多様性を認めようという傾向が強くなってきているわけだから、どんな親子関係も認められて然るべきだろう。

番組に登場したカウンセラーの信田さよ子先生も、まずは当人が精神的に潰れないようにすることが一番大事、という姿勢を取っていたように思う。自分の家や親子関係が世間一般の普通と異なっているように思えても、それを気に病む必要はない、ということを繰り返し述べていた。

本当の意味で親を許す必要はなく、表面的にでも「上手くやったな」と自分で思えることが大事、ということも述べていた。

これはとても実際的なアドバイスだと思う。

幼い頃に虐待を受けた育った人間などは、死ぬまでそのことが関係の前提となる。「親がいなければあなたは存在しないのだから、どんな親だろうと無条件に感謝しなければならない」というような言葉は一見美しく聞こえるかもしれないが、そうした人間には何の意味もない言葉だ。

それでも「上手くやる」ことが大事なのは、やはりまだまだ世間的な目が行動を規制するものとして機能しているからだ。「それぞれの家庭にはそれぞれの事情があるのだから、世間の目など一切気にする必要はない!」という立場を鮮明に取るのは現時点の状況では勇気のいることだろう。世間的からは「あそこの家は色々あるのかもしれないけど、まあ普通の家の範疇内よね」と思わせておいた方が、当事者のストレスも少ないのだ。


ちなみにこの問題は母娘間でのケースが多いようだ。

この点に関して信田先生は「家族の中で父親が機能してこなかった」「社会の中での男女格差が原因」「社会のシワ寄せが家族→母→娘という順送りの抑圧となって表れている」といったことを要因として上げられていた。納得の出来る説明だったが、こうした点に関しては自分自身知識不足なのでもう少し調べる必要があるだろう。


さて「親を捨てても良いですか?」という問いに対して私はどう答えるだろうか?

私自身の親に対しての態度で言えば、どっちでもいい。別に今さら老齢の母親に対して絶縁状を送ろうとも思わないし、有事の際には多少の雑事を引き受けるくらいのつもりはある。が、親のために自分のやりたいことを制限されることを良しとは出来ない。もし母親が病に倒れた際に、東京での生活を捨て親元に帰ることを選んだとしたら……それはもう一種の復讐だろう。

あるいは、もし誰か友人に「親を捨てても良いですか?」と真剣に問われたならばどう答えるだろうか?親を捨てることも現実的な選択肢としてアリだというのは前提として「世間的にどう思われるかという評価と、自分の本心とのバランスを考えて、自分のストレスが一番少なくなるように振舞うしかないのではないか?」という功利主義的な回答になるだろうか。

どんな選択をしたとしても後悔は残るように思う。どこかの時点で親を許すことは出来なかっただろうか?もっと親の喜ぶことを出来なかっただろうか?という後悔も残るだろうが、どこかもっと早い時点で親を捨てられなかっただろうか?そうしていれば自分の人生はもっと違ったものになっていたんじゃないだろうか?という気持ちもずっと残るだろう。


社会的に見れば、親を捨てない子供が多い方が助かるのは確かだ。諸々の処理には多額のコストが掛かる。それに公的な資金を投入するよりも、実の子供がそれを負担してくれたならば社会的なコストは圧倒的に減る。

あるいはそうした社会的な要請が先にあり、親孝行は美徳とされてきたのかもしれない。親孝行を特に推進してきた儒学が統治のための思想だということを考慮すれば、それほど突飛な考えではないだろう。

それでも今後は親を捨てる子供は増えてゆくだろう。捨てるとまではいかなくとも、そこに第三者の介入する余地は大きくなるだろう。

番組冒頭で葬儀を代行していた業者が紹介されていたように、こうした事業は増えてビジネス化が進んでゆくのではないだろうか。


それにしても……親子という関係は病のようだと、こうした問題に触れる度に思う。

子供を家庭で育てる・親が主体になって育てるということが、本当に唯一の在り方なのだろうか?と思う。

少なくとも私が親の立場になることは多分無いだろう。






(了)

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