音楽について①
音楽が好きなのだが、好きだと言うのが正しいのか時々よく分からなくもなる。
自分が世界で一番音楽が好きなんじゃないか?と思うくらい感極まることもあるし、ただ習慣的に耳に流し込んでいるだけの時もある。
改めて振り返ると、なぜ音楽などというわけの分からないものをこんなにも好きなのか不思議に思う。そして世界に溢れている音楽というものの広さに対して、自分の聴いている音楽の狭さについても不思議に思うのだ。
私の聴いている音楽のほとんどは日本のポップスとかロックだ。
日本のHIPHOPとかもたまに聴くし、ジャズやクラシック、古いソウルミュージックに手を出してみたこともある。ルーツミュージックを辿ってゆく過程で、洋楽の代表的なバンドに手を出したこともあるが、どっぷりとハマる……というバンドはほとんどなかった。
「昔の洋楽のバンドのこういう部分が、今の若手のバンドに受け継がれているんだ!だからカッコいいんだ!」というのは理解出来るのだが、結局、日本語詞で聴きやすいサウンドの今のバンドの方を繰り返し聴いてしまう……ということを何度か繰り返してからは、あまりルーツを辿ってゆく聴き方には興味がなくなってしまった。
例外的に民族音楽というものは好きで、そういう番組のラジオも聞いているし新しいものも欲している。特にマイナーな国の民族音楽が好きで、そういう音楽を聴くと「世界は広いな」と思う。繰り返しになるが「それに対して自分の聴いている音楽は狭いな」ということを思う。そしてそれがとても不思議なことにも思えるのだ。
私が聴いている音楽なんざ、ほとんどが12音階の440Hzで4拍子だし、構成もAメロ・Bメロ・サビとほぼワンパターンだし、それどころかコード進行も使われている楽器も似たようなものばかりだ。なぜこんなにも同じような音楽ばかりを聴いていて飽きないのだろうか?と本当に不思議に思う。
まあそんなこんなで、私と音楽との最初の出会いについてつらつらと書かせていただく。
子供の頃はあまり音楽に触れていなかったように思う。……というよりも意識的に距離を取っていた、という方が正確かもしれない。
両親の信仰していた宗教は音楽にも制限を課し「この世的な価値観、攻撃的なもの、性的なものを含んだ音楽に子供が触れないように親は注意しなければならない」としていたのだ。
普通のJPOPのチャート番組でもたまに母親の基準に抵触する曲はあって、そういった場合は「やめなさい」と言われるのだ。
そういったことがあっただけでなく、私が自意識が過剰な子供だったせいもあるのだろうが、親と一緒に音楽番組を見ることはとても恥ずかしいことになっていった。ほんの少し恋愛を想起させる歌詞が入っているだけで恥ずかしくなったし、思春期以降に自主的に音楽を聴くようになってからは、自分の好きな音楽に対する親の評価を聞かされることがとても嫌だった。自分の好きな音楽を「良い」と言われても「悪い」と言われてもどっちもたまらなく嫌だった。
自分には昔14歳上の兄がいたので(今もいるが)、恐らく音楽の原体験は兄とのものということになるだろう。しかもある時期までは兄の部屋にしかテレビもなかったので、幼少期の音楽体験は、ほとんど兄とのもの、ということになる。
光景として鮮明に覚えているのは麻雀のテレビゲームをしながら、CDを流している兄の姿だ。それを後ろからよく眺めていた。
兄がよく聴いていたのは森口博子、久保田利伸、大沢誉志幸、小比類巻かほる、Classとかの80年代後半から90年代初頭のJPOPだ。
「アイドルばかりで実力派のアーティストが少なかった」みたいな批判をされることも多いこの時代だし、自分もこの辺りを批判的に見ていた時期もあったのだが、今は自分のルーツとなっていることを理解した上で肯定的に捉えている。伸びやかで分かりやすいメロディ(歌メロ)、キラキラして能天気なサウンド、というのがこの辺りの時代の特徴なのではないかな、と個人的には思っている。
この辺りの兄の音楽が自分にとってルーツになっていることを理解したのは、後年になって自分で曲を作ってみた時のことだ。コード進行や歌詞をどれだけ凝ってみても、出てくるメロディがいかにも80年代的なビビットで分かりやすいものなのだ。
「いや……メロディ自体ももっと捻れば、よりロックっぽくなることは分かってる!でも歌メロとして美味しいのは結局こっちなんだよ!」と葛藤しながら作ったような記憶がある。
兄はよくCDに合わせて歌ってもいた。今思えば別に上手くはなかったが、とても感情を込めて歌う兄の歌がけっこう好きだった。
それから中一の時に初めて買ったCDがミスチルとCoccoだったということは以前の稿でも書いた。
しかし、なぜミスチルとCoccoだったのだろうか?
当時中学生の私の周囲で人気があったのは、何よりもラルクとGLAYだったと記憶している。あとはX JAPAN、LUNA SEAやそれに続く数多のビジュアル系バンドが出てきた時代だった。それから少しして、ハイスタとかのメロコアがめちゃくちゃ流行った(あくまで私の周囲での話)。
そんな中でミスチルを選んだのは、もちろん純粋に「なんていい音楽なんだ!」と思ったのもあるのだが、世の中的な『ど真ん中』の音楽を押さえとかなきゃいけない、という意識があったような気がする。何故かそんなことを気にする子供だった。あるいは、音楽を世の中の流行や文化を知るための手段として捉えていたのかもしれない。……いやそんな小理屈をこねても本当にミスチルは好きだったし、今でも本当に良い曲ばかりだったと思う。
あと、親の目を気にすることなく聴ける音楽だったというのも、ミスチルに手を出しやすかった理由かもしれない。よく聴けばばかなり性的なことを歌っている曲もあるし、めちゃくちゃ内省的な曲も多いし、全然健全な音楽ではないのだが、世間的な印象としてはまあ爽やかなポップスという印象だったのだろう。少なくとも分かりやすく悪魔的なビジュアル系バンドより親の目を誤魔化せたのは確かだ。
あとは、同時期に中古のクラシックギターを母親がもらってきたというのも大きいだろう。ミスチルの『ギター弾き語り全集』を知り合いの人が貸してくれて、その影響でちょろちょろとギターを弾くようになったことは(ミスチル以外も含めて)音楽の聴き方に影響を与えていると思う。
対するCoccoはミスチル以上になぜ?と我ながら疑問に思う。
チャート番組でほんの数秒流れた『Raining』という曲の暗い雰囲気のPVに心惹かれたのをきっかけにCDを購入するのだが、中1男子がよくそこに手を出したな!と今になってみても思う。
美しく優しい曲もいっぱいあるのだが、ハードな曲は本当にハードなサウンドで、歌も様式美としての明るいハードロックじゃなくて本気の絶叫で、歌詞の内容も、情念剥き出しに残酷だったり、死を直接的に連想させるものだったりして……アルバム買ったは良いが一枚通して聴けるようになるには、かなりの月日を要した記憶がある。
最初に聴いてから20年以上経つことになるが、今もCocco以上の本物のアーティストとは出会っていない気がする。特に初期の4枚のアルバムはかなり聴いたし、今聴いても本当にすごいクオリティだと思う。Cocco自身の才能(才能なんていう言葉で片づけていいのか分からない切実な感情なのだろうが)もさることながら、代表曲『強く儚い者たち』『樹海の糸』などを作曲した柴草玲や、ミュージシャン陣や映像クリエイターなども含めたチームとしての凄さも十二分に伝わって来る。特にミュージシャン陣の演奏は今聴いても生々しい迫力が伝わって来るものばかりだ。この辺はプロデュースを務めた根岸孝旨の力だろうか。根岸孝旨プロデュースの作品はCocco以外にも色々聴くことになる。
まあとにかく自分の音楽人生の最初期にCoccoのような本物と出会えたのは幸運だったと思う。
ミスチル、Coccoの次に誰のCDを買ったのか、はっきりとは覚えていない。
色々中古CDを漁り始めた時期にWANDSかZARDを買ったか、それより前にGRAPEVINEのアルバムを買ったかのどちらかなのは確かだ。
WANDSやZARDは「中古CDが安く買えた」というのが手を出す理由の一つだった。自分に対して「そんなに目茶苦茶好きって訳でもないけど、まあ売れてるし、曲も好きだし、CD安く買えるから買っとくか」と言い訳を立ててから買うのだ。中学生なんて、もっと尖ったものをカッコつけて聴いているフリをしたいものだ。それくらいの言い訳は必要だった。
でも結局自分にとって身になっているのは、こうした普遍的に良い曲だと思う。
その系統で言うとELT、ブリリアントグリーン、マイリトルラバーとかも自分にとっては似たような位置付けだ。
ただ、この辺の音楽は本当に良かった、現在のJPOPよりも普遍的に良い曲ばかりだった……と思ってはいるのだが、流石にここでそれを力説するのは本当に自分が歳を取ったことの証明のようなので止めておく。
さてGRAPEVINEである。
GRAPEVINEをどう捉えるかというのは非常に難しい問題である。私にとってもそうだし、ここ数十年の日本のロック史的にもそうのではないだろうか。
最初はポストミスチルみたいな立ち位置で出てきたが、その位置からはさっさと退き、一時期は『地味』を売りにされかけるが、それもいつの間にか無くなり……要は売る方もそのラベリングに悩んでいたのだろう。10年以上掛けていつの間にか独自の孤高の位置にぬるりと上っていた、という印象である。
私が最初に手を出したのは中学生の頃だった。Mステで『光について』という曲をやっていたのが、そのきっかけだ。何となく重た目で暗い、でもポップな同曲を聴いて何かピンと来るものがあったのだろう。
あと、当時アコギしか所有してない自分にとって『光について』でボーカル田中氏がアコギを弾いていたのは大きかった。ラルクとかその他のヴィジュアル系バンドはほとんどエレキギターだったのに対し「これならアコギでもいけるやん!」と思えたのは大きかった。
しかしまあ中学生にGRAPEVINEの良さが完全に理解出来るわけもなく(シングル曲などは真ん中の意味で良曲が選ばれていたとは思うが)、CDを買った当初そんなに聴き込んだという記憶は無い。でも高校生の頃は結構聴いていた記憶があるのは、背伸びしていたのだろうか。
GRAPEVINEはとにかく何とも形容し難いバンドである。
他のアーティストはハマっていた時期がはっきりと思い出せる、その曲を聴けば当時の感情や情景が鮮明に思い浮かぶ、というものが多いのだがGRAPEVINEは違う。いつの時期によく聴いていたか鮮明ではないし感情や情景ともあまり結びついていない。そもそも既存の感情に当てはめるのが難しい音楽だ。悲しみも怒りも喜びも楽しみも濃く含まれているが、全てが等しく含まれているが故に打ち消しあって一見無感情に見える人……みたいな印象だ。
かなり前の雑誌のインタビューだったと思うが「ライブの場では客には(別に自由に聴いて良いという前提の後で)、曲に打ちのめされて呆然として欲しい」という主旨のことを田中氏は語っていた。
ごく最近はまた変わってきているのかもしれないが、少し前は「バンドはフェスで盛り上がれてナンボ!」みたいな傾向がすごく強くあった。別にそういうバンドが居てもいいけれど、方向性がそっちばかりに向いている気がして、私はいつからか若手のバンドを一聴することすらやめてしまった。
……以上は余談の余談だ。
GRAPEVINEの曲は音楽的にもジャンル分けしづらいものだろう。大まかな意味ではロックだろうが、ルーツロック的な要素もあれば、ブラックミュージック的な要素もあるし、ポストロック的な曲もあるし……でも決して難解な音楽をやっているわけでもなくて、歌モノとしての真ん中の名曲も数多くある……という本当に形容しづらい音楽だ。
「ジャンル分け出来ないものは売れない」と言われるように、実力・内容に対して爆発的に売れることはなかったが、それゆえに長く続いてきた稀有なバンドだと私は思っている。GRAPEVINEは他のアーティストよりも一歩外から……だが長い間寄り添ってくれている音楽という印象だ。
……3000字くらいでサクッと終わらせるつもりで書き出したのだが、書いているうちに楽しくなり、既に5000字を超しており終わる気配がない。従ってまだまだ続くということになってしまった。……需要?知らん。
(続く)
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