東京について

 東京に出てきて15年くらいが経つ。

 出てきた直接のきっかけは大学だが、大学は通信制だったので別にどうしても東京に出てこなければならなかったわけではない。東京に出てきた分だけ単位を取るのに有利だったことは確かだが、しかし地元に居ながら卒業することも可能だった。

 それでも高校を卒業して新卒で入った職場を辞めてまで出てきたのは、やはり東京というものに漠然とした憧れがあったからだろう。

 もし東京に出て来なかったらどうだっただろう?という仮定は想像でしかないので、本当の意味で両者を比べることは出来ない。だがそれでもあえて言うならば、東京に出てきたことは良かった……と言うよりも地元にずっといたらと考えるとゾッとする、という方が正確だ。

 それほど大きな違いだと私は感じている。




 私が育ったのは愛知県のニュータウンと呼ばれる地域である。団地ばかりの場所で、ド田舎の村社会……とはまた感じが違うが、それでも東京に出てきて以降帰省すると「閉鎖的な場所だな」ということを強く感じる。

 これは東京に出てきて初めて生じた感覚である。地元にいる時は比較対象がないから全く想像もつかない感覚だった。むしろわりとド田舎だった母親の田舎と比較して「それほど都会ではないが普通の街」あるいは時々出かけた名古屋の市街地と比較して「それほどゴミゴミもせず普通の住みよい街」という感覚だったと思う。自分の関連することを普通だと思いたがる、あるいは肯定的に捉えたがる、という傾向は誰しもあるものかもしれない。


 漠然とした東京への憧れは、逃避としての意味合いが強かったのかもしれない。

 東京に行けば何かが変わるかもしれない、とにかく地元を離れたい……という気持ちが多少なりともあったことは確かだろう。

 現在はまた感覚が少し違うのかもしれないが、何かになろうとする……例えばミュージシャンやお笑い芸人を目指すならば、東京に出てきてナンボ……みたいな感覚がまだ色濃くあった時代である。自分は具体的な目標があったわけではないが、そうした時代の空気からも東京への憧れを持っていたのかもしれない。

 実際東京に出てきて自分自身が変わったのかというと、その変われなさに絶望するのだが、まあそれは余談だ。


 東京と地元の一番大きな違いは、やはり先ほども挙げた閉塞感、ということになるだろうか。

 自分が子供の頃は、集合団地内でも近所付き合いが盛んだった。近隣の家との野菜やおかずのお裾分けも頻繁にあったし、うるさくして迷惑をかけたということで下の階の家に謝りに行ったこともあった。何か陰険なことをされたという記憶は全くないが、目立つことをすれば噂になることもあっただろう。

 ただ集合団地が古くからの村社会と違うのは、入れ替わりがそれなりにあるということだ。団地に住んで金を貯め、マイホームを建てた家族は巣立ってゆく……というのが一つのモデルケースだったのだろう。

 また団地にも色々種類がある。私が生まれた家族向けの間取りの団地ではそういった感じだったが、東京に出てくる前に1年ほど住んだ単身者向けの団地では、近隣の住民との付き合いはほとんどなかった。団地の過疎化が進んだという時代的な変化も、そこには関係していただろう。


 もちろん閉塞感の正体は、生まれた場所でずっと育ち、ひょっとしたら一生を過ごす……という部分への想像も大きいだろう。子供の頃からの友人とずっと過ごし、高卒で入った会社でずっと働き、見知った誰かと結婚して子を成す……というのはある意味とても幸せなことなのかもしれない。常に誰かに気を掛けられ、誰かに気を遣う……という助け合いは素晴らしいものかもしれないが、時に息苦しくもありそうに私には思える。


 より実質的な要因をもう一つ挙げるとすれば、人の集まる場所も、人の数も東京に比べると圧倒的に少ない、ということだろう。

 平日は会社や学校の往復、休日になると若者も家族連れも駅前の巨大なイオンに集合するしかない……という地域は結構多いのではないだろうか?当然そうした場所では、休日でも知り合いに会う可能性はとても高いし、誰かの目を意識せざるを得ない。そうした人の目が嫌で引き籠っていたら、あらぬ噂を立てられる……というケースもままあるだろう。




 対する東京の方は良くも悪くも匿名で生きている、という感じがする。

 当然、元々東京で育った人々というのもかなり存在するのだが、様々な理由により地方から出てきた人々が東京はとても多い。

 私が若い頃東京に抱いていたのはエリートが集まる場所、というイメージだった。

 超高層ビルには一流企業の本社に勤めるエリートサラリーマンが集まり、大学には次世代の日本の未来を担う頭脳が集まる。そうした本流以外でも、音楽や役者や芸人を目指す野心的な若者であふれた街……それが東京だと思っていた。

 もちろんそうした側面は今でもあるだろう。だがそれ以外の雑多な人間どもをも許容する街……という風に今はイメージが変わった。

 

 東京に出てきてまず初めに感じたのは居住する外国人の多さである。地元にも外国人はいたが、やはり珍しい存在だった。

 東京は違う。私が現在住んでいる地域は特に多いのかもしれないが、一時期はコンビニやファーストフードの店員のほとんどが外国人だった。欧米系の白人も見かけるが、圧倒的に多いのはアジア諸国からの留学生であろう若者たちだ。……雑多な人間たちの最初に彼らを挙げたが、語学留学をしつつ、日本という外国に来てコンビニの複雑な業務をこなす彼らの多くは、本物のエリートだろう。拙い日本語に騙されてはいけない。


 もう一つ感じたのは30代以上のフリーターや派遣で働く人間が多い、という点だ。

 極端に言えば地元ではそうした人間は珍しかったし、何とかして枠組みに組み込もうとする周囲の力も強いものだったと思う。

 しかし東京は違う。縁のない誰かに強制力を働かせることはないし、深く詮索するような人も少ない。めんどくさい人間関係を極力避けて自分にとって心地良いコミュニティだけを選んでゆくことが比較的容易だ。


 そして何よりも東京の街の大きさ・人の多さ、というのはやはり地方とは比べ物にならない。初めて新宿駅に足を踏み入れた時の衝撃は鮮烈だった!

 地方の大都市……私が行ったことのある場所で印象的なのは、名古屋・仙台・札幌あたりだろうか……も本当に大きい街だし、車の交通量などはむしろ東京よりも多いかもしれないと思ったりもするのだが、それらの街は中心地に一極集中している印象がある。

 東京は違う。象徴的な東京駅周辺よりも新宿・渋谷・池袋・秋葉原……といった各街は栄えているし、人も多い。それぞれの街はそれぞれの特色を備え、棲み分けがなされているようにも見える。若者の街である渋谷が私はなんとなく苦手だし、新宿と池袋の猥雑感は微妙に異なっている気がする。秋葉原は特殊で、電車を降りた瞬間から現実逃避させる気満々の街だ。

 こうした様々な特色を持った街が……地方ならばそれだけで一つの大都市になってしまうほどの規模の街が……いくつも集まっているのが東京だ。


 街を歩けば歩行に難儀するほどに人の数は多いが、そこで見知った誰かと遭遇することは非常に稀だ。他人の目を気にする必要はないし、逆に他人を関心を持って見ることもほとんどない。人込みの中ほど孤独になれる、というのは比喩でもなんでもない事実だと思う。

 こうした匿名で生きているような感覚を心地良いと思うかは、もちろんその人次第だ。私にとっては、とても楽だし心地良い。


 それでいて刺激は豊富だ。

 芸能、音楽、オタク文化……様々なエンタメに触れる機会が多い。この点に関しては地方とは圧倒的な差があると思う。たまたまTwitterで見つけて気になったアイドルのライブが明日にでも観られるのが東京である。またその母数も多いので、より自分の好みにあったエンタメを見つけてゆくことも容易だ。

 エンタメ以外でも、(私には縁のないことだが)ビジネスチャンスだったり人脈を築いたりするチャンスも東京の方が圧倒的に多いのだろう。六本木で飲んでいれば芸能人やスポーツ選手を見かける、というのはよく聞く話だ。

 こうした傾向は(大袈裟になるかもしれないが)文化の最先端を感じられることだと思っている。だから私は東京に出てきて本当に楽しい。




 こうした傾向もコロナ禍により変わってゆくのだろうか?

 リモートワークの発達により必ずしも出社する必要がないことが発見され、東京一極集中が解消されるきっかけになるのではないか?というのはよく聞く話だ。

 しかしエンタメで言えば「配信ライブも素晴らしいね、もう現場に通う必要もあまり感じないよ!」という意見はあまり聞かない。むしろ、より生のライブ現場を渇望する声が高まっているように思う。

 コロナが終息した後に、こうした傾向に変化が生じるのかは非常に気になるところだ。

 

 さて今まで見てきたように、私は東京での生活を非常に気に入っている。

 あまり他人からの干渉を受けることもなく好き勝手生きてゆける、それでいてエンタメは豊富で刺激を受ける機会も多い、というのがその理由だ。

 暴論で偏見であることを承知で言うならば、地元や地方の若者たちに「彼らはなぜこんな土地にしがみついているのだろう?こんな場所で生きていてつまらなくないのだろうか?」と思ったこともあるほどだ。

 しかしふと、地方の持つ閉塞感・密室感というものに惹かれることもある。

 例えばアニメを観ている時だ。アニメの中には地方を舞台にしたものも多いし、露骨にそれで「町おこしをしよう」という意図が見えるものもある。

 その世界に没入してゆくと「こんな町で育ってきたら自分の人生はどんなものになっていただろうか?温かい人々に囲まれて育ってきていればもっと幸せだっただろうか?」と想像を掻き立てられるのだ。それを拡大解釈して「今からでもなんとかして、ああいったコミュニティに入っていけば幸せになれるのではないか?」という風に思う時もある。

 もちろん、ないものねだりであることは承知の上でだ。

 しかしこうした感覚自体が、東京に出てきて初めて生じたものであるという点は再度強調しておきたい。

 

 もっと歳を取ってから自分はどんな風に生きてゆくのだろうか?

 死ぬまで東京での刺激を求めているような気もするし、どこかの地方での生活を選ぶかもしれない。しかし薄情だが生まれ育った愛知県の団地ばかりのあの場所に戻る、ということにはあまり魅力を感じていない。

 まあどう転んでも構わない。こうした視点を持ち、それを面白がれるのはやはり東京に出てきたからだと思う。






(了)

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