読書について

 底辺世界で生きていると「本なんか読んで何の意味があるの?結局年月を経て身に付けた経験だけが本物だよ」みたいなことを婉曲に言われたりもする。キレた際に、はっきり直接言ってきたメガネも居る。


 というわけで、私の読書遍歴を辿ってみることにした。


 もちろん幼児の頃は普通の絵本が多少なりとも家にあったのだろうが、それに対する記憶はほぼない。

 それよりも、親たちが信仰している宗教に基づいた出版物を幼児の頃から読ませられていたという記憶が強い。子供向けの挿絵の多い本もあったが、科学的なアプローチで聖書の信仰を擁護するような出版物もあった。それを集会で討議することに小学生の頃から参加させられていたのだから、言語発達の面では早熟だったかもしれない。


 まあでも私は健全な子供だったので、すぐに聖書出版物以外の様々な本に心惹かれるようになっていった。

 親に最初に買ってもらった本として覚えているのは『○○のひみつ』という学研の学習図書シリーズだ。恐竜だとか、宇宙だとか、遺跡だとかについて書かれた学習漫画だ。テーマによっては結構怖かったように記憶している。

 小学校に上がると図書室によく行くようになった。でも、いつも本ばかり読んでいた……というわけでもなかったと思う。まだまだ友達の家に行ってテレビゲームをしているのが一番楽しい時期だった。

 小学生の頃に読んだ本で特に面白かったものは『怪盗ルパン』シリーズと『ズッコケ三人組』シリーズだろう。

 モーリス・ルブランの『怪盗ルパン』シリーズはトリックと謎解きという部分よりも、勧善懲悪やルパンの伊達男っぷりが印象に残っている。「謎を如何に解くか?」みたいな部分には昔からあまり興味がなかった。同系統の作品としては『江戸川乱歩』のシリーズもかなり読んだ気がするが、これは不気味で怖い……という印象の方が強く残っている。

 一方の『ズッコケ三人組』シリーズはかなり長い期間に渡って愛読していた。というか、つい数年前にも引っ張り出して読んでみたが、とても面白かった。

 当時ズッコケシリーズは人気で、読んでいる子供たちも多かったのだが「面白いだけの本じゃなくて、もっとためになる本を読みなさい!」と先生方からはあまり好評ではなかった気がする。しかし今にして思うのは、説教臭い偉人の漫画なんかよりもよっぽどためになっている、ということである。少なくとも私が読書の幅を広げられたのは、ズッコケシリーズが様々な世界を垣間見せてくれたからだと思う。

 ズッコケ三人組の主人公たち……ハチベエ、ハカセ、モーちゃんはいずれも一芸に秀でながらも、落ちこぼれといって良い子供たちである。クラスの一軍たちには劣等感を抱え、大人たちには理不尽に叱られ、女子にもモテない……という理解のされなさにとても共感を覚えたものだ。特にハチベエのヤケっぱちな行動力とハカセの「知は力なり」という部分には強く惹かれた。モーちゃんは……そんなに好きじゃなかったかなぁ。……いや要所で意外な判断力を発揮する場面はもちろん好きだったのだが。

 ズッコケシリーズはとにかく何でもアリ。身近な学校問題から、タイムスリップしたり、探偵になったり、山賊になったり、会社を作ったり……とまあこれだけ聞くと荒唐無稽にも思えるかもしれないが、それぞれの舞台設定や問題提起という部分に関してはかなり綿密に描かれている。大人になって読んでも面白いのはそういった部分がしっかりしているからだろう。


 次にハマったのは歴史……特に日本の戦国時代を扱ったものだった。要因は幾つかあるが、ズッコケシリーズで過去にタイムスリップする話がいくつかあり、そこでの興味が最初だろう。

 もう一つは『信長の野望』というゲームだ。これを友達とやるようになったことが大きい。まさか『信長の野望』を知らない人はいないと思うが、一応説明しておくとプレイヤーは一人の大名となり内政や合戦をしながら天下統一を目指す……というシミュレーションゲームだ。

 面白いのは子供ながらにマニアック志向というか……少し経つと織田信長や武田信玄のようなメジャーな大名ではプレイしなくなってくるのだ。小学生の記憶力というのはすごいもので、今でもそこで覚えたマイナーな武将の名前をかなり言える。

 同じ会社から同様のゲーム『三国志』や『水滸伝』さらには『大航海時代』といったゲームも出ており、後に様々な歴史に興味を持つきっかけがここにあったのは間違いないだろう。

 さらなるきっかけは大河ドラマ『秀吉』だ。当時小学5年生だったことを覚えている。どういう風の吹き回しかは分からないが、家族全員で観ていた。ドラマ自体がとても魅力的だったのだと思うが、そこで私は原作本の一部に手を出すこととなる。堺屋太一という著者は元官僚で、後に内閣にも入ったような人物だから、実用的な目的を持って読んでいるサラリーマンに向けた部分が強かったのかもしれない。まあ当時はそんなこと気にせず小学生ながら夢中で読んでいた。特に惹かれたのは信長の合理性からくる強さだった。

 それをきっかけに、他の戦国時代を扱った本をいくつも読み漁っていた記憶がある。


 次に来るのは中学生で出会った司馬遼太郎なのだが、そのきっかけは『るろうに剣心』だった。ただ『るろ剣』にハマったきっかけを明確には覚えていない。中1くらいかな?まあ結構周りでも流行っていた気がする。

 漫画からは小説やその他の本以上に影響を受けてきていると思うので、漫画に関してはまた別の場所でまとめたい。

 ともかく『るろ剣』のコミックスの作者のコラムみたいなコーナーで、司馬遼太郎の『燃えよ剣』が紹介されていたのだ。ちなみに依然として我が家は宗教による統制下にあり、バトルシーンのある『るろ剣』は隠れて読まなければならなかった。(見つかって捨てられた漫画はいくつかあった!)一方の『燃えよ剣』は「歴史を書いたやつだから!」ということで何とか押し通せた。……実際はバトルシーンばかりだし、残酷な描写もあったし、性的なシーンもあったし、どちらが中学生に刺激が強かったは言うまでもないが。

 さて『燃えよ剣』から始まった司馬遼太郎である。司馬遼太郎は膨大な作品を残しているので一括して傾向を述べるのは難しいのだが、私が特に惹かれたのは幕末期の人物を扱った作品だ。

『燃えよ剣』を読んだことのない日本人は存在しないのでいまさら説明するのも野暮ではあるが、同作品は新撰組、鬼の副長土方歳三を主人公に置いたものである。彼が如何にして自らの信念を確立し、万難を排してそれを発揮したか、そしてそれに殉じて死んでいったか……という彼の一生を描いたものである。

 ほとんどの司馬作品はこれに当てはまるような気がする。

「司馬遼太郎とか、なんか難しそう……」と読むのを渋っていた人に「ジャンプの王道作品みたいなもんだよ」と説明したことがある(もちろんその人は読み始めるには至らなかった)。主人公が明確な正義を抱いていて、それを阻む敵がはっきりといる。それを倒すためにあらゆる力を尽くす……というパターンに当てはめてしまえば、その説明もあながち嘘ではない気がする。

 ただジャンプ作品と違うのは主人公がかなり内省的であることだ(最近のジャンプの主人公は結構内省的なのかもしれないが)。自分の命を一つの道具・目的のための手段として利用する、というスタンスを男の一生の典型として植え付けられた。そういった意味では自由闊達な坂本龍馬を描いた『竜馬がゆく』よりも、思想の型枠に自分をはめ込んでゆくような吉田松陰・高杉晋作を描いた『世に棲む日々』や『燃えよ剣』の方が私の好みであった。

 しかしまあ当時は集中力があったな、と思う。『竜馬がゆく』などは中2の時に友達のお父さんが持っていたのを貸してもらったのだが、文庫本を一日一冊のペースで読んだのを覚えている。

 司馬遼太郎は中学以降もずっと読んでいる。高校の図書室でも借りたし成人してからも読んでいる。何度も読んでいる作品もあるし、未読の作品もある。


 高校はつまらなかったので、逃避として読書の比重はさらに増していった。

 学校終わりにブックオフみたいなところで漫画を2時間立ち読みして、家の近くの本屋でさらに1時間立ち読みする……という立ち読みのハシゴをしていたこともよくある。これは20歳くらいの時だがブックオフで8時間ぶっ通しで立ち読みしていたこともある。

 ただ高校の時は漫画の割合が多かった気がする。上記のブックオフみたいな店に、学校帰りとりあえず立ち寄るのが日課だった。加えて漫画週刊誌を立ち読みする習慣が出来たのも高校生の時だった。


 大学に入ってから哲学に触れたのは以前書いた通りだ。

 その他には、岩波の赤……西洋文学の古典とかも多少読んだ。バルザックの『知られざる傑作』という短編集は心に残っている。古典文学は、話の流れで驚かされるものは少ないが、人物描写は精緻で登場人物の感情の強さというものをとても感じた。

 思えば、現代の日本の文学の作家というものにはほとんど触れてこなかった。村上春樹と本谷有希子は何冊か読んだが、他にはほとんど触れてこなかったため、文壇の傾向や求められる作品とかが分からないのも仕方ないことである。

 

 ライトノベルというものに触れたのが実は一番遅くて、20代後半になってからである。たまたま観た深夜アニメの『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』が面白くて、それからいくつかの作品にも手を出した。面白い作品は多かったし、ラノベといえど深いテーマのものもあった。

 自分としては「若い世代の希望となるような作品を書きたい」という気持ちもあるのでラノベを書きたい気持ちはあるのだが……あんまり向いてないのかな、とも思う。


 つらつらと振り返ってきたが、やはり子供の頃の経験が強いのは間違いないだろう。歴史に惹かれたのも、戦いの面白さというものが常に中枢にあったと思う。それは今も変わっていない。


 読書が何をもたらしたのか?という問いは私にとっては難しい質問のような気がする。

 大切なことは全て本の中から学んだとも言えるし、金銭的に生活を豊かにしていないという意味では何ももたらしていない……と言いたくなる時もある。

 しかしまあふと思ったのだが、日常的に文章を書く人間にとっては言語化するということの比重が大きくなりすぎて、実生活と言語世界とのバランスが逆転している人もいるのではないだろうか?

 そういう人は当然冒頭の質問も逆転するだろう。「その体験は、私の言語表現に何をもたらしてくれるのか?」と。






(了)

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