幕間 第一王子エクレール・ロシド・エーア・フォンテーヌ

「ラン様……何か嘘を吐いているんだね……」


 エクレールは城に戻る途中、昏い表情で独りごちていた。

 負の感情が漂い、先ほどまでの王子然とした人物とは思えない程に近寄りがたい。


「一分間の平均瞬きが三回多かったし、平時の体臭と僅かに違っていた。これは確実に嘘を吐いている……」


 眉根を寄せて、汚れ一つない白い手袋をギリッと噛む。


「今までも嘘を吐かれてきたことは何度もあった。けど、それは城の人間関係の中で仕方なく。わたしたちの関係を円満にするためのものだろう。真実の愛はわたしだけに向けられていたことはわかっている……」


 エクレールは城での甘美な時間を思い出していた。

 遠くから見つめるランの姿、ランの笑顔、ランの仕草、ランの髪、ランの――

 たまに近くで話すこともできるが、決して汚してはいけない花のように扱いたいので、そういう接触は必要最低限だ。


「しかし――ここは城ではない。ラン様が他の凡夫共に気遣う必要もない。ならばなぜ、わたしに……この寵愛を一身に受けているはずのわたしに嘘を吐かねばならない……?」


 エクレールは美しい顔を歪ませて、指がめり込む程に頭を抱え、髪をグシャグシャにかきむしった。


「ああ、ラン様……ラン様……ラン様……。最初にお会いした、あのときのことは今でも目に焼き付いています……」





 ――エクレールは幼少期の頃、精神を酷く病んでいた。

 第一王子という立場であるために、周囲の大人だけではなく同年代の子どもすらも親の指示で、私利私欲のために取り入ろうとしてくるのだ。

 精神を形作る子ども時代にそんな者たちに囲まれれば、人間は簡単に歪んでしまう。


 エクレールの目を通した世界は、欲に塗れ、ドブより汚く、悪意しか存在しない。

 そんな世界のために将来は王として自らを律し、そいつらの期待に応え続けなければならないのだ。

 人生に価値はあるのか? 毎日がその問いかけだった。


 そんな病んだ幼少期のエクレールが街を視察していたときだ。

 汚いドブに溺れた一匹の小鳥を見つけた。

 まだ下水があまり整備されていない地区だったので、そういうこともあるのだろう。

 エクレールは自分と小鳥を重ねてしまっていた。

 人間という汚い存在に溺れた王子、民意に絡め取られながらゆっくりと溺死していくのだろう。

 自虐的な笑いを浮かべて、生きる価値すら無い将来を考えてしまう。


 そのとき――ドブに勢いよく飛び込む少女を見た。

 白と青を基調とした服は汚れ、長く美しい黒髪はドブ水でベタベタになっていた。

 小鳥を両手で包み込むように優しくすくい、ドブから上がって、近くにいたエクレールに向かって必死の形相で叫んだ。


『何か清潔な布を持っていませんか!?』


 エクレールの護衛たちはあまりの臭いに鼻を押さえながら、護衛としての役目で前に出て遮ろうとした。

 しかし、エクレールはポケットに入っていた、綺麗な刺繍入りのハンカチを少女に手渡す。


『ありがとうございます! あとで洗ってお返し致します!』


 なぜエクレールは、見ず知らずの汚れた少女にハンカチを渡したのかわからない。

 だけど、きっと初めてだったのだろう。

 王子としてではなく、一人の人間――エクレールとして何かを求められたことが。


『お願い、元気になって……』


 ハンカチで小鳥の身体を拭いて汚れを落とす少女。

 自らの汚れは気にせず、とても献身的だった。

 それでも小鳥は弱っていく。


(ああ、あれはわたしだ……)


 再び小鳥と自分を重ねてしまう。

 汚れた世界で死にゆくエクレール。

 もう助からない、たとえ回復魔法やポーションがあっても、基礎体力を消費しなければならない。弱り切った小鳥は手遅れだ。

 しかし――


『七十二に連なる生命の神よ、この手に癒やしの力を与え給え――ホーリー・ヒール!』


 奇跡が起こった。

 通常魔法の法則を超えた聖属性の回復魔法。

 何もかもルールを吹き飛ばして、小鳥が元気になったのだ。

 そのときの少女――ランの笑顔が今でも忘れられない。

 ドブの汚れ程度では穢れぬ尊き花だと思った。

 俗っぽく言うと〝一目惚れ〟というやつだ。


 よどんでいたはずの胸に暖かなモノが灯り、ランという尊い人間を認識したことによって世界が美しくもあると知った。


 その後、聖女としてのランと再会して、幾度も奇跡を垣間見ることになる。


「たぶん、ラン様はあのとき出会ったことを覚えていないかもしれない……。でも、わたしにとって世界は美しいと教えてくれたのはキミだけなんだ。わたしの世界はキミで彩られている。キミこそがわたしの世界なんだ」


 エクレールは思い出の世界から意識を戻し、誰もいないはずの森の方に話しかける。


「聖女ラン・グ・シャゾンを監視しろ」


「御意」


 何か黒い影が動き、ダンジョンの方へと駆けていった。


「ふふっ。最高位忍者の称号〝飛影とびかげ〟を持つ彼なら、いつものように気付かれずに任務を遂行してくれるだろう。今までどんな相手にも見破られたことはないのだからね」


 エクレールは肌身離さず持ち歩いている刺繍入りのハンカチを取りだして、自らの頬に愛おしそうに当てていた。



――――


あとがき



面白い!

続きが気になる……。

作者がんばれー。

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