生きることの意味
生きることの意味って何だろうと考える。
シンガーソングライターの人で、生きることに許しを請うとか、ここで生きてきて良いのかと思ってきたとか、ここにいて良いんだなとようやく思えるようになったと言っている人がいる。この考えは私としては初めて聞いた感情で、その思考がよく理解できない。
私の身近な友人にもこの感情に似たものを持っている人がいる。直接会って話すといつもにこやかで楽しげで、親しみ深い人だ。友人も多いし、側から見ていると全てに満たされているようにも見える。でも、時々ブログを見ると「私は生かされている」と書いていて、何かに悩んだりしているのだろうかと思うことがある。
2人の共通点は独特の宗教的な世界観があることだ。最初の人の歌詞には膨大な読書量から来る宗教的な言葉や思想が入っていて、後者はミッション系の学校に通っていたことがあり、その時に培われた思想なのかもしれない。そういう所から出てくる言葉なのだろうか?
生かされている、許されている。何に対しての生かされている、許されているなのだろうか?何に生かされているのだろうか?この場合は神なのだろうか?目に見えない何かなのだろうか?何に許されているのか?目の前にいる人、対岸の人という意味だろうか?
昔から生きることの意味について深く考えてみたことがなかった。はたして、生きることに意味なんてあるのだろうか?一人一人に生かされている意味があるとしたら、もし神がいるとしたなら、全ての膨大な数の生き物に意味なんて与えるのだろうか?私みたいな人間に意味なんて持たせていたら、そういうふうに考える方がなんだかおこがましい気がしてならない。なので、意味はない気がする。生物として私は最後の日が来るまで日々粛々と生きるだけ。
味気のない生き方かもしれない。生きることの意味を考える。窓を打つ雨音を聞きながらそんな事を考える。
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