縁について考えてみた。今、令和の時代に生きている。私もそうだし、あなたもそうだ。こうやって、文を通してネットで繋がっている。これも縁があった。家族や、友達、飼っているペット、近所の人、目で見て、話しが出来て、意思疎通が出来る人たち。これも縁だ。今のこの時、この地球上で出会うことが出来た人達は、縁があったということになる。地球誕生からの長い歴史の中で、この一瞬のこの時に触れ合うことの出来る人たち。別に、この時代じゃなくたって良かったはずなのに、ここでこうしてお互いにすれ違っている。凄い確率のもとで。




そう考えると、どんなに有名な歴史上の人物でも縁が無かったことになる。織田信長も徳川家康も、クレオパトラもアレキサンダー大帝も私たちにとっては、縁がなかった。直接顔を見る事も出来ないし、声を聞くことも出来ないし、考え方や、行動なども知ることは出来ない。彼らと同じ時代に生きた名もなき農民などの方が縁があったということになるのだろう。過去の人たちを知ることが出来たのは、この時代に生きた人達の記録が残っていたから。信長の家来やルイス・フロイスの日記などが残っていたから、こうやって信長という人の事を知ることが出来た。




未来の人たちとも、私たちは縁がない。直接見れないし、話せないし、お互いに同じ時に存在していない。文だけは残すことができる。文を書くということは大事な事なのかもしれない。そう考えると、今の時代はインターネット上に残しているから、何かで世の中の物すべて消えてしまったりしたら、今の事を未来の人たちは知ることが出来ないんじゃないかと思った。バックアップとか、時代が変わっていけば、バックアップの方法やその機材が変わっていく。そう考えると、やはり紙や石など、形のあるものは強い。何千年も残っているものなどがあるから。1000年先、3000年先の人達は、古代、中世の事を知ることが出来ても、昭和あたりから令和その後の事も知る事が出来ないのではないか。日本はいつからか火葬になったので、この時代の人はこういう骨格だったとか、こんな容姿だったとか知る事が出来ないんじゃないか。私たちが、ミイラを見て、この人はどんな日常を送ってたのかなぁなんて想像することも未来の人達は出来ないんじゃないか?




こんなことをつらつらと綴ってしまった。でも、凄い確率で、巡り合った縁。あなたとは、ご縁がありましたね。



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