第6話野菜の安売りと闇の盾
師匠が立ち去り、蓙ござの上に並べられた野菜を前にして店番をしていた僕の前に、親子と思われる小さな少女の手を引いている女性が現れた。
二人の服はひどくみすぼらしくて、それは一見して二人の貧しい生活を物語っているように見えた。
「あの、この野菜は普通の野菜なのでしょうか?」
母親と見える女性は、僕におずおずと聞いてきた。
「はい。もちろん普通の野菜ですよ」
「変な魔法とかが、かけられていたり、変な薬とかは入っていないのでしょうか?」
「はい。これらは僕たちが丹精こめて育てた正真正銘の普通の野菜です。と、言いたいところですが、ここに並べてある野菜は普通の野菜とは、ちょっと違います。普通の野菜よりもおいしくて、普通の野菜よりも大きく食べ応えもあり、栄養もいっぱい。その上値段は相場の半分。奥さん、これは買わない手はないですよ。もしも、この野菜を一口食べてあまりの美味しさに頬が落ちそうになっても、それは魔法じゃありませんよ」
僕は、そう言い終えてから顔面にできるだけの笑顔を浮かべた。僕は、以前日雇い仕事で給金を稼いでいたときに、露店商の店番の代理をしていたこともあるので、この手の口上はお手のものだ。
「それじゃあ、その野菜をください」
そう言って女性は、肩にかけていた鞄から財布を取り出すと、小銭を数えて僕に渡した。
僕が、蓙の上に置かれた野菜を取り上げて女性に渡すと、女性はまた横にいた女の子の手を取り、ぼくの僕の前から去って行った。
僕は、その女性の背中に向かって、「ありがとうございましたー! また、ごひいきにお願いします!」とできるだけ明るく大きな声で言った。
野菜が売れたところを師匠が見たら、喜ぶだろうな、と僕は思った。でも、師匠のことだからきっとまた、喜びのあまり、あの評判の悪い「クェックェックェッ」という笑い声をあげて、お客さんを怖がらせてしまうかもしれない。
師匠には悪いと思ったが、師匠がいなくなってから早速野菜が売れたことに気を良くした僕は、声を張り上げてお客さんを呼び込もうとした。
「はいはい、安いですよー、安くて、美味しくて、大きい栄養いっぱいの野菜はいかがですかー! 煮て良し焼いて良し。どんな風に食べるかはお好みしだい。どんな風に食べても美味しいですよー! しかも値段は相場の半額。これを買わないと損ですよー!」
僕は、師匠に言われた通りに笑顔を浮かべて明るい調子で売り口上を、大声で言い続けた。
すると、遠巻きに僕を見ていた人たちも微かな警戒心を抱いているように見えながらも、僕の前に集まり始め、何人かの人たちは野菜を買ってくれた。
今まで、ほとんど僕と師匠が作った野菜が売れなかったことを考えると、いつもの何倍もの数の野菜が売れたことになる。ただ、僕たちの野菜を買ってくれた人たちは皆、例外なく貧しげな格好をしていたのが少し気になった。
しばらくの間、軽い賑わいを見せていた僕たちの野菜売り場も、落ち着きを見せはじめ、客足が鈍り始めた。
客商売とは、そういうものだ。いきなり猫の手も借りたいほどに忙しくなるかと思えば、またいきなり潮が引くように客が来なくなる。
僕は、それでもできるだけ野菜を売るために売り口上を叫び続けた。
すると、少し離れた場所から、僕をニヤニヤと笑いながら見ている、見慣れた三人組の少年たちの顔を見つけた。
以前から、街で僕を見つけると毎回、絡んでくる僕と同年代の三人組だ。
この三人から逃げ出したことが、結果的に師匠と出会うきっかけとなったのだから、世の中何が幸いするかわからない。
三人は、僕の前から客がいなくなったのを見計らって、相変わらず僕を嘲るような笑いを顔面に浮かべて近づいてきた。
「よお、ひさしぶりだな」
三人のうちの一人が僕に声をかけてきた。
「そうだね」
「お前、あの闇魔術師の奴隷になったらしいな」
別の一人が言った。
「奴隷じゃない。僕は、師匠の弟子になったんだ」
「それで、お前はあの嫌われ者の闇魔術師の弟子になって俺たちを呪い殺そうとでもしているのか?」
師匠のことを悪く言われて僕は、少し腹が立った。
「そんなことはしないよ。今は仕事中だから、どこか他のところに行ってくれ」
「あんな気味が悪い闇魔術師が作った野菜なんか誰も買わないだろう」
「毒でも入ってるんじゃねえの?」
そんなことを言い合いながら三人組は笑い声をあげた。
「そんな毒入りの野菜なんか、必要ないだろう」
そう言って一人が、野菜を踏みつけようとした。
僕は、それを見て影を物質化して“闇の盾”を作り、野菜を守った。
野菜を踏みつけようとしたした彼らのうちの一人は、“闇の盾”を踏みつけるとバランスを崩してよろめき、その場に尻餅をついた。
一瞬、何が起きたのかわからず、ポカンとしていた彼らは、すぐに怒りを露あらわにして、一斉に僕に殴りかかってきた。
僕は、その攻撃を妨げるために再び“闇の盾”を使った。すると、彼らの拳は“闇の盾”を思い切り殴り付けたが、その固さに拳や手首を痛めたのだろう、皆、苦悶の表情を浮かべて、うめき声をあげた。
三人組はしばらくの間、悪態をつきながら“闇の盾”を殴ったり、蹴ったりしていたが、そのあまりにも脆弱すぎる攻撃では、僕が作り出した“闇の盾”にいかなる影響も与えることができなかった。
「もう止めた方がいい。今の僕は以前の僕とは違う。今の僕は闇魔法使いの弟子なのだから」
彼らが疲れて“闇の盾”を殴るのを止めたタイミングを見計らい、僕は言った。
「その気になれば、この場で君たちを殺すこともできる」
僕がそう言って彼らを見ると、彼らの顔には一様に怯えの表情が浮かんだ。
実際に今の僕はまだ、鉄の鎧を切り裂けるほどの魔法は使えないが、むき出しの人間の肉体を切り裂くことくらいはできる
彼らの顔から、さっきまで顔面に貼り付いていたような嘲りを含んだ笑いが消えたのを見て、僕の中に暗い感情が生まれてきた。
闇魔法を使って影を硬質化させた棒状の物を作り出して、それで彼らをめった打ちにするのはどうだろう?
彼らに僕がされてきた仕打ちの数々を考えれば、それくらいしてもいいんじゃないだろうか?
それに、こいつらは師匠のことを悪く言った。
僕はそこまで考えると、自分の心が闇に蝕まれそうになっていることに気がついた。
「もう、いいだろ。これ以上やっても意味はない。どこかへ行ってくれ。仕事の邪魔だ」
それまで、硬直したようにして立っていた三人組は、僕のその言葉を聞くと、逃げるようにしてその場を立ち去った。
僕は、それを見届けると、自分の心が闇に蝕まれそうになったことに軽い自己嫌悪を覚えて、その思いを振り払うように再び野菜を売るための売り口上を大声で叫んだ。
日が暮れかけて、僕たちの持ってきた野菜も3分の2以上が売れ、そろそろ店じまいにしようかと思っていたころに師匠が、しょんぼりとした様子で肩を落として戻ってきた。
「師匠、何事かあったのですか?」
僕は師匠に何かあったのかと思って声をかけた。
「おお、アルバート。実はな儂は街ですることもなく、広場の隅に腰をかけて、そこで遊んでいる子供たちを微笑ましく思いながら眺めておったのじゃ」
「はあ」
「すると、その子供たちの親の誰かが、広場で子供たちを眺めながら笑っている怪しい闇魔法使いがいると、衛兵に通報したらしいのじゃ」
「はあ」
「それで、儂はやってきた衛兵に職務質問をされ、その後、屯所まで連れていかれ、今まで取り調べを受けていたのじゃ」
「それは、災難でしたね」
僕は、いつものことかと思いながらも、またいつものように同情をこめて言った。
「全くじゃ! 時々、儂に魔物討伐を依頼に来る冒険者ギルドの者が、儂の身元を保証してくれたお陰で、ようやく解放されたのじゃが、全く理不尽な話じゃ」
師匠が不機嫌そうにそう言っていたので、僕は話題を変えるために、蓙に並んでいる売れ残った野菜を見せた。
「そんなことより師匠。今日は野菜がこんなに売れましたよ。いつもの何倍もの売り上げです」
「ほほう。ずいぶん売れたのう。こんなに売れたのは初めてじゃ。よくやったのうアルバート。クェックェックェッ」
師匠は、売れ残りの野菜を見て、少し機嫌を直したようだ。
「時に、アルバート。お主は、儂がいない間に闇魔法を使わなかったか?」
師匠が唐突にそう言うと、僕は心臓を掴まれたみたいにドキリとした。
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