第5話 修行と行商
師匠の弟子になってからの僕の生活は毎日が充実していた。
朝起きて朝食を食べ、日があるうちは師匠と一緒に庭にある畑の野菜の世話をして、昼になったら用意しておいた昼食を食べ、日が暮れたら屋敷に戻り体を洗ってからお湯につかり、食事を食べる。食事の用意は僕と師匠日替わりでしていた。僕は、日雇い仕事をしていたときに、食堂のまかないなどを作っていた経験があるので、料理の方はそこそこできる方だった。
この屋敷には保養施設だったころの名残が残っていて浴場には、常に温泉のお湯が満たされているのだ。
夕食を取り終えたら、師匠から様々な教えを受ける。
意外なことに闇魔法について教えられることはあまりなく、基本的には読み書き計算などについて教えられることが多かった。
師匠によると、「ある程度の教養がなければ、儂が何を言っても無駄じゃからのう。クェックェックェッ」とのことだった。
これもまた、意外なことに、師匠は童話や児童書が好きで自室の本棚にはそういった本が並んでいる。
それらの本を借りて読むことは、今までまともな教育を受けてこなかった僕には読解力を育むちょうどいい勉強になった。
ちなみに、ノワールさんが屋敷に来たときに泊まっていく部屋の本棚には恋愛小説ばかりがならんでいる。
これは、ノワールさんの趣味なのだ。
不思議なことに、屋敷には魔法に関する本が全くない。研究書の類いと言えば、師匠が参考にしている料理の本や野菜の栽培方法に関する本ばかりだ。
不思議と言えば、ノワールさんの存在は僕にとって不思議だった。
ノワールさんは、いつもいつの間にか屋敷の中にいて、いつの間にかどこかへ、消える。
何日間か、屋敷に滞在して遊んでいるかと思えば、何日も姿を見せないこともある。
とにかく、ノワールさんは神出鬼没でその正体がわからない。
師匠にノワールさんのことを聞くと「あやつは、そういう者なのじゃ」というようことを言って、いつもはぐらかされてしまう。
それでも、それは今の僕には小さな問題だ。今の僕は毎日のように一生懸命働いて、朝昼晩の食事を食べられ、夜は自室として与えられた部屋のベッドの中で快適に眠れ、その上に、師匠から教育まで受けられる。以前の僕の生活からは考えられなかったほどに今は充実した生活を送っている。
もちろん、闇魔法の勉強というか、練習も平行して行っている。
師匠が闇魔法の基礎だと言って教えてくれた魔法は二つ。
“魔力探知”と“闇や影に質量を持たせて物質化する魔法”だ。
魔力探知は、自らの魔力を周囲に放射させ、その反響を感じることによって様々な生物や物体の動きや位置を認識するというものだ。
僕が初めて師匠と出会ったとき、師匠はこの魔力探知で僕の存在に気がついたのだそうだ。
もう一つの”闇や影に質量を持たせて物質化する魔法”は、言葉そのままの魔法だ。
魔力を使って闇や影を物質化させ、それを硬くしたり柔らかくしたり様々な形状に変える。
その変化した形状によって“闇の刃”や“闇の槍”、“闇の矢”、“闇の盾”などの名前がつけられている。
ある時、僕と師匠は荷車を引いて街へと買い出しに出かけた。
必要なものを買い終えて帰ろうとした時に師匠は古道具屋の前に立てかけてあるようにして置かれている色々な所が壊れてパーツも欠けている鉄でできたフルアーマーの鎧の前で足を止めた。
師匠はしばらくそれを眺めていると、コンコンと鎧の胴体部分を拳で叩き、店内に入るとその古道具屋の店主と交渉して、その鎧を買い取った。
師匠は、闇魔法使いなのだから鎧なんて必要ないはずなのに、不思議に思った僕は師匠になぜ壊れた鎧なんかを買ったのかを尋ねた。
「お主の練習台じゃ。家に帰ればすぐにわかる」と言っただけだった。
僕は、その鎧を荷車に乗せて屋敷まで帰ると師匠は、その鎧を庭の木にもたれかからせた。
「よいか、アルバート。鎧の方をよく見ておけ」師匠がそう言ったので、僕は鎧を見た。
「“闇の刃”」師匠が、そう呟くように言うと樹の影は刃の形に物質化して、鎧の肩の部分を一瞬で切り裂き、鎧の腕は地面に落ちた。
「“闇の槍”」
今度は影が槍の形となって鎧の胴体部分に突き刺さった。どうやら師匠が放った“闇の槍”は完全に鎧を貫通して背中の部分にまで穴を穿ったようだ
「“闇の矢”」
今度の影はさっきの“闇の槍”よりも細い形だったが、“闇の槍”よりもさらに速いスピードで鎧を貫いた。今度も完全に貫通しているようだった。
「と、まあこれが闇魔法の基本的なものじゃ」
師匠はそう言って、驚いている僕を見た。
「ほれ、アルバート。お主も今見たようにやってみろ」
僕は、師匠の真似をして影を物質化して鎧に向かって“闇の刃”や“闇の槍”や、“闇の矢”を放ったがいずれも鎧には微かな傷をつけることしかできなかった。
「まあ、最初はそんなものじゃ。お主が持つ魔力ならコツさえつかめばすぐにできるようになる、これからはこの鎧を相手に修行するがよい。さて、そろそろ食事にしようではないか」
「はい、師匠」
僕たちが屋敷の中に入るとそこには、ノワールさんが立っていて、僕たちに軽く手を振っていた。
「おかえりなさい。お邪魔してるわよ」
「なんじゃ、何か用でもあるのか?」
「あら、用がなければ来ちゃいけない?」
「そうは言っておらんじゃろ」
「今日は、街に買い出しに行ったんでしょ? それならいつもよりも美味しいものが食べられると思って、ご相伴に預かりにきたのよ」
そう言ってノワールさんは笑った。
どうして、今日、僕たちが街に買い出しに行ったことがわかったのだろう? ノワールさんは、やっぱり不思議な人だ。
□□□
師匠の弟子になってから半年くらいがたったころ、僕と師匠は荷車に収穫した野菜を積んで、街に野菜を売りに行った。
以前から時々、こうして野菜を街に売りにいくのだか、売り上げはいつも芳しくない
僕たちが売る野菜の値段は、儲けを度外視して相場の半額くらいなのだが、あまりお客さんはやってこない。
僕にはその理由が痛いほどわかるのだか、それを師匠に伝えるのは躊躇われた。
その理由を正直に言えば、繊細な師匠はきっと傷つくだろう。
その日も僕と師匠は、市場の隅に場所を取り、持ってきた野菜を地面にしいた蓙ござの上に並べた野菜を売り始めた。
師匠は、「物を売るためには、とにかく笑顔を浮かべて客の警戒心を和らげ、興味を持ってもらうことが肝要じゃ」と行ってニヤニヤと笑いながら座っている。
正直に言うと師匠の、その笑顔は怖いです。
師匠の性格を知らない人から見たら、その笑顔は他人を嘲って笑っているようにも見えるし、何か悪いことを企んで笑っているようにも見えます。
多分、そんな笑顔を浮かべている師匠の前に並んだ野菜は何か闇魔術師が毒を盛ったり、邪悪な魔法をかけられているようにも見えるだろう。
でも、そのことを師匠に正直に伝えれば師匠はまた傷ついてしまう。
僕は、それでいつもどうしたものかと悩んでしまう。
それでも僕は、その日思いきって師匠に言ってみた。
「師匠。せっかく街に来たのですから席を外して街を散策などしてはいかがでしょうか?」
「そのような必要などない。とにかく今はこの野菜を少しでも多く売って、街の者たちの腹を満たすことが先決じゃ」
「確かにその通りですが、あの、その、なんと言いますか、師匠が店番をしていますと、何というかお客さんたちが近よりづらい気がするんですよね」
僕が心を鬼にしたつもりでそう言うと、師匠もこの言葉で全てを察したようだ。
顔に驚愕の表情が浮かんでいる。
明らかに傷ついた顔だ。
この後、どうしよう。
「そうか、なかなか客がよりつかないのは、やはり儂が怖そうだからか」
師匠は呟くようにそう言った。
僕は、否定や肯定の言葉を口にできずに黙りこんだ。
「何も言わずとも良い。そのように他人から思われるのはもう慣れておる。それでは、アルバート。儂は他の場所で時間を潰しておるから店番の方は頼んだぞ」
師匠はそう言うと、肩を落としてその場をトボトボと歩み去った。
僕は、その哀愁の漂う師匠の背中を見ていると、なんだか罪悪感を感じて心が痛んだ。
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