第11話 さらわれた雪女

 それは、ふぶきが忍として他の国を調査しに出掛けていた帰りのことである。

 日輪国の領地に入って、ホッとひと息つく。

 他の国に無断で潜入する、というのは生きた心地がしない。なにしろ戦国時代だ。どこの武将もピリピリしている。他国の忍者なんて見つけたら何をするか分からない。

 さて、あとは城に戻って烈火れっかに報告を――

「お嬢ちゃん」

 不意に誰かに声を掛けられ、何気なく振り向く。

 少年ほどの年頃の男が立っていた。

 ――いや、コイツは少年ではない。

「せ、殺生堂せっしょうどう夜叉丸やしゃまる……!?」

 殺生堂夜叉丸。宵闇国よいやみのくにを統べる、『魔王』と呼ばれる魔人族の長。少年のような見た目だが、その身に秘めた魔力は魔人族のなかでも最も強力と言われている、とんでもない奴だ。

 そんな奴が、なぜ日輪国ひのわのくににいる――!?

「久しぶりじゃのう、雪女のお嬢ちゃん」

 殺生堂は目を細めて笑う。それだけなのに、強い圧力を感じる。まるで跪いてこうべを垂れろとでもいうような。

「…………殺生堂様、なぜ日輪国に?」

「ワシはお嬢ちゃんに会いに来たんじゃよ」

「私に?」

 ふぶきは無意識に後ずさりしていた。嫌な予感を明確に感じ取ったのである。

「なに、恐れることはない。悪いようにはせんよ」

 殺生堂の言葉が合図だったように、背後から何者か――おそらく魔人族の忍である。完全に気配を絶っていて気付けなかった――が催眠香を焚きめた布でふぶきの鼻と口を覆う。不意打ちを食らったふぶきは催眠香を吸ってしまい、ガクッと身体から力が抜け、意識を失った。

 こうしてふぶきはさらわれてしまったのである。


「…………ん……」

 次にふぶきが目を覚ますと、視界に千夜姫ちよひめの美しいご尊顔がすぐ近くにあって、ふぶきは心臓が止まる思いだった。

「あ……目、覚めた……?」

「ち、千夜姫様ッ!? 何故ここに……!?」

 どうやら外にいたはずなのに畳で寝かされていたらしい。ご丁寧に布団まで敷かれている。

 外は真っ暗である。寝ている間に日が暮れてしまったのだろうか?

「ええと……たしか私は日輪国に帰ろうとしてて……?」

「ここは宵闇国じゃ」

 スッと障子を開けて殺生堂が入ってきた。

「殺生堂……!」

 ふぶきは思わず苦無くないを構えて臨戦態勢を取ってしまう。宵闇国! なるほど常に闇に包まれたこの国ならば昼も夜もなく真っ暗である。

「おお、そんなに警戒するでない。なに、そなたにとっても悪くはない話なのだ」

「どういう意味ですか」

 警戒を解かず、殺生堂から距離をとる。

「お千夜がどうしてもお嬢ちゃんを城に招きたいと言っておってな? お千夜のためにお嬢ちゃんには富士国ふじのくにの雇われ忍びになってほしいのじゃ」

「しかし、富士国の緋色様が黙ってはいないでしょう」

 千夜姫の婿殿である緋色ひいろ雅光まさみつは卑怯な者、裏切り者、正道から外れた者を何より嫌う、潔癖なお方である。なぜ魔王の娘を嫁に貰ったのか謎なくらいだ。まあ政略結婚なんだろうけど。

「そのへんは心配せずとも良い。雅光のボウズはワシには頭が上がらんからの。黙ってそなたを雇ってくれるじゃろ。もしかしたら、そなたの働き次第では見直してくれるかもしれんぞ?」

 いや、見直してくれるとかどうでもいいんだけど。

 とは、流石に言えなかった。

「ふぶきちゃん……千夜、ふぶきちゃんとお友達になりたいな……」

「うっ……美の暴力……」

 魔人族のなかでもとびきりの美人、いや、裏日本一の美女と謳われた千夜姫の顔面偏差値はかなりのものである。直視できない。

 ふぶきは美しいものに目がない。千夜姫のような美女のそばにはべられるなんてこの上ない名誉であろう。

 しかし、脳裏には先日自分に求婚してきた主である明王院烈火の姿が浮かんでいた。このまま烈火を見捨てて富士国に行ってしまっていいのか。何より、下手したら烈火に焼き殺されそうな気がする。

「も……申し訳ございませんが、私には既に心に決めた主がおりまして……」

 千夜姫の忍になれる誘惑に、歯を食いしばって耐えながら固辞する姿勢を見せる。

「ダメ……なの……?」

「ふむ、仕方ないのう」

 あ、良かった、殺生堂は話が分かってくれそう――

「その、明王院? とかいう奴をぶち殺せば未練なくお千夜に仕えられるってことじゃな?」

「い、いやいやいや」

 ダメだ、魔人族、話が通じないし物騒すぎる。

「よし、そうと決まれば日輪国を滅ぼすぞい」

「待ってください! そういう事じゃないんです!」

 ふぶきは必死で殺生堂を止めようとする。

 そこへ、外がにわかに騒がしくなった。

「夜叉丸様! ご報告申し上げます!」

「よい、申せ」

「はっ! 日輪国の人狼族が攻め込んできました!」

 日輪国の人狼族……! 烈火様が助けに来たんだ!

「ふむ……? もうバレてしまったとはのう。よほどこの小娘が大事と見える」

 殺生堂はニヤニヤ笑っている。いかにも悪役顔である。

「殺生堂! 出てこい! 出てこなければこの城、燃やし尽くしてくれようぞ!」

 烈火の怒鳴り声が聞こえる。普段は冷静な顔をしているが、彼の胸の内には炎属性に相応しく、激しい情動が渦巻いているのである。

「そうかすでない。まったく、これだから若造はせっかちでいかんのう」

 自分も子供のような姿のくせに、妙にジジくさい魔王は千夜姫とふぶきを連れて城の正門から出てくる。

「ふぶき! 貴様は何をしておるか!」

「すいません、うっかり攫われちゃいました」

「うっかりではないわ! 貴様はそれでも忍か!」

 烈火にめちゃくちゃ怒られても、ふぶきはてへぺろ、と無表情で舌を出す。

「おお、これは驚いた。そなた、お嬢ちゃんを助けに来たのかと思えば、説教しに来たのか?」

 殺生堂は目を丸くして烈火を見る。

「それはそれ、これはこれ。もちろん助けには来てやったが、叱るべきところはきちんと叱るのがしつけというもの」

「そうか、ワシにはとんと理解できん。ほら、ワシってば好きな子を甘やかしてダメにするタイプじゃから」

「貴様の趣味嗜好など知るか。いいから俺の忍を返せ」

 苛立った様子で、烈火は牙をむいてうなる。今は人型だが、いつあの炎をまとった巨大な狼に変身してもおかしくない。あの姿になれば周りのものはみな焼き尽くしてしまうだろう。宵闇国は戦火に包まれることになる。

「オオカミさん……千夜、ふぶきちゃんがほしいの……譲って……?」

「根暗女は黙っておれ」

「お? ワシの可愛い愛娘まなむすめをつかまえて、貴様いま、なんと言ったのじゃ……?」

「根暗女と言ったのだ。耳が遠くて聞こえなかったかジジイ」

「言ったな小僧! 戦争じゃー!」

 あああ……売り言葉に買い言葉でどんどん不穏な空気になっていく……。

 ふぶきは頭を抱えたくなってきた。

「あ、あの! 私も千夜姫様とは仲良くなりたいですけど、別に国が違ってもお友達にはなれるんじゃないですかね……!?」

「千夜、ふぶきちゃんにはすぐ近くにいてほしい……」

「遠くなら遠くで、文通とか楽しいですよ」

「文通……まあ……千夜、お友達とお手紙を送り合うの、憧れてたの……」

「千夜姫様となら、年賀状だって交換しちゃいますよ」

「ふふ、嬉しい……」

 よし、まずは千夜姫を説得成功。

 次に殺生堂に向き直る。

「殺生堂様、私は烈火様と婚約しております」

「!?」

 ふぶきの言葉に、烈火は驚愕の表情を浮かべる。

「明王院の小僧はめちゃくちゃビックリしとるが」

「烈火様に求婚されて、一度考えさせてほしいと返事しましたが、いま腹をくくりました。千夜姫様とは文通することで和解しましたし、私は日輪国に帰ります」

「……そうか。いや、お千夜が良いならそれで良い。帰って良いぞ小娘」

 殺生堂は素直に道を開けてくれた。

「じゃ、帰りましょうか、烈火様」

「あ、ああ……」

 烈火は戸惑いを隠せないまま、ふぶきに手を引かれ、二人は日輪国へ帰っていった。


「ふ、ふぶき、その……婚約を受ける、ということで良いのだな……?」

「宵闇国も富士国も結構お給金いいんですね、ちょっと惜しいことしたかも」

「結局貴様はカネか!」

「当たり前でしょ、お金が無かったら飢え死にしちゃうんですよ」

「日輪国とて、飢え死にするほど金に困っているわけではなかろうが!」

 今日もふぶきと烈火の口喧嘩が城内に響き渡る。

「いやあ、ふぶき殿は相変わらずですなあ」

「烈火様が燃やさずに我慢していられるのも珍しい」

「仲睦まじいのは良いことですな」

 明王院軍の兵士たちはそう言ってほのぼのと笑い合っているという。


〈続く〉

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