第二十九話「ドラゴン」
ある日の夏のこと。一人の少年は高層マンションの十二階から飛び降りようとしてベランダの淡い水色の冊を越えた。
肌に日差しが当たり汗ばみ、白いカッターシャツの袖で汗を拭く。これから死のうとしている人間が汗を拭くのも不思議なものだ。
綺麗な太陽と青空に広がる入道雲。ここまで自殺する風景が麗らかだと誰もこんな日に人が空から落ちるなんて思いもしないだろう。人が死ぬと星になるというが地面に向かって落ちたあとに空に登るのもおかしな気がする。
「…………っ」
生唾を飲み込んでみる。こうして下を覗くと少し怖い。だからといってこの人生が僕にとってこれ以上楽しいことも悲しいこともない。だから辛いわけではない。
ライトノベルの異世界転生みたいに違う世界が待っているなら、きっとみんなこんな世界の体は脱ぎ捨てて当然のように向こう側へ行くのに。
こうして、現世のこの瞬間を噛みしめるのも飽きてきた。
体を前に倒し、ゆったりと頭が下へ向かっていき真っ逆さまの体勢へとなる。
「――――――ん」
なんだろうか。今、何かが通った気がする。とはいえ、落下速度はどんどん増していく。死んだあとの夢はせめて楽しいものであることを望む。そんなことを思いながら、目を瞑る。
――――ねえ、君はそれでいいの?
不意に誰かの言葉が頭を過ぎていく。これが走馬灯なのだろうか。
――――やり残したことはないの?
いや、違う。これは誰かの声だ。ということはすでに僕は死んだのだろうか。
――――僕と契約しようよ。そうしたら新しい人生をあげる。
もし新しい人生が手に入るのだったらそれもいいな。
なんだろうか、今まで落ちていた感覚がいつの間にか消えている。恐る恐る目を開いてみる硬い何かが僕を乗せている。
「契約は交わされた。さあ、行こうか。僕はアリス、君は? 」
これが僕がドラゴンを初めて目撃することになった瞬間だった。
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