第36話 (わぁ私とタイプ正反対……颯太の好み、やっぱこっちかぁ)
「……何してんの」
驚きすぎて、唖然としたまま颯太は声をかける。
美和は颯太の横にいる女生徒を見て、明らかに慌てたように視線をさ迷わせる。
「あ~~……今日ここで、うちの学校と女バスの練習試合があるんだけど、その応援に来てて……。体育館、どこかわかんなくって……」
「あっそ」
颯太は白飯を箸で掬い、口の中に放り込んだ。そういえば、今日バスケ部の他校試合があるため昼から体育館を使えないと、朝に聞いていた。
「……案内して、もらえたりしない?」
心底困った顔で、美和が言う。
颯太は白飯を噛み続けた。
「あー無理だよね! わかる! ごめん、いい。どっか探してれば見つかるだろうし」
そう言って歩き出そうとした美和の進行方向に、颯太は思わず口を出した。
「……反対」
「わかった! こっちね! 走ってみる!」
ぶんぶんとちぎれそうなほど首を縦に振る美和に、颯太は呆れて尋ねた。
「試合、何時から?」
「えっと……五分後かな……」
この美和の様子からして、五分でつけるとは思えなかった。だが、篠の隣から立ち上がり、美和を連れて体育館に送る事を考えると、白米も喉を通らなくなる。
「そこまっすぐ行くと渡り廊下が見えるから通り抜けて、二個目の角を左に曲がって、坂道になってるとこの階段上ったら、右手にトレーニングルームがあるから――」
「ま、待って、お願い。ちょっとメモさせて」
美和がスマホを取り出す。慌てているせいでパスコードを二回ほど失敗している。
(相変わらずそそっかしい)
慌てる美和を見ながら、颯太はプチトマトを口に放り込んだ。
「ごめん、もっかいお願い」
「――颯太。送ってあげて」
静かに颯太と美和を見ていた篠が、首を傾げて言う。
「えっ……」
「いえいえ! 大丈夫です! ちょっと道順教えて貰えれば……!」
「他校ってわかりにくいでしょ? それに応援、間に合わなかったら大変だから」
颯太は篠を見た。篠はふんわりと笑っている。
この、颯太らのぎこちない様子から、颯太と美和がただの旧友でないことは察しているはずだ。
「……いいんすか?」
「うん」
「あー……本当に、本当にすみませんっ……!」
顔を青ざめながら、美和が両手を合わせる。
「送って貰えたら助かる……!」
「……わかった」
颯太は食べかけの弁当の蓋を閉じると、篠に言った。
「すみません。送ってたら、多分戻ってくる時間が無いと思います。せっかく作って貰ったのに……」
「大丈夫だよ。颯太はお腹空いたら、何か食べてね」
「はい」
篠が「いってらっしゃい」と小さく手を振る。
颯太は頭をぺこりと下げて、美和の前を歩き出した。
***
「――本当にすみませんでした!」
中庭に向かう渡り廊下を歩いていた辻浦 陽介は、突如聞こえてきた威勢のいい謝罪に、反射的に身を隠した。
全身の神経を緊張させ、物陰に隠れる。陽介は声の主に少しばかり、心当たりがあったからだ。
「……試合、終わったの?」
「今ハーフタイムなんです。先ほどはありがとうございました。おかげで間に合いました。私、荒巻と言います」
「花茨です」
「先輩ですよね? 花茨先輩がまだここにいらっしゃってよかった」
中庭で話しているのは、最近颯太といい雰囲気の篠と、他校の生徒であった。
陽介はとある理由から、この他校の生徒――
(とはいえ、これはちょっと面白そうな組み合わせだな……)
美和が颯太の元恋人だと知っている陽介は、校舎の影から顔を覗かせた。完全な出歯亀である。
陽介は職員室でバレー部の顧問の先生と話をした帰りだったのだが、これは中々興味深い現場に行き当たってしまった。
「さっき颯太にも謝ったんですけど、花茨先輩がいるなら直接……と思いまして」
「私、謝られるようなことされた?」
きょとんとした声だが、どこまでが篠の本心なのか、彼女とほとんど交流の無い陽介にはわからない。
「この間その、私の友達……長谷川、って言ってわかります?」
「わかります」
それまで、他校の後輩に対する礼儀を持って接していた篠だったが、「長谷川」という名前を聞いた途端にピンと張り詰めた声を出した。
長谷川も、陽介がよく知る後輩だった。
中学の頃の男子バレー部と女子バレー部は仲がよく、陽介は長谷川も幾度となく面倒を見ていた。
「長谷川がこの間……お二人とモールで会ったって聞いて――」
(あー。それは、キャンキャン吠えたんだろうね)
長谷川はいわゆる、美和のひっつき虫だった。
美和はバレーに向いている長身で、顔立ちもそこそこ整っている。明るく真っ直ぐで、物事をハッキリさせたいタイプだ。
陽介にとっては、友達ならいいが、恋人にはしたくないタイプである。
過去に付き合っていた颯太がどうだったかは知らないが、付き合った頃の美和と颯太が並んでいても、甘い空気は一切無く、ただ部活の話をする女部長と男部長にしか見えなかった。そのせいか、二人は半年に満たない期間で別れていたはずだ。
「長谷川がもの凄く失礼な態度をとってしまったようで……本当にすみませんでした。長谷川には、もう今更だし、勝手なことはしないでって、私からちゃんと言いました」
「そうですか」
「――別れた当時、私が凄く落ち込んでて……。それをずっと慰めてくれたのが長谷川だったんです。長谷川のことは好きだし、私のことを思ってくれてたのは感謝してるんですけど、花茨先輩につっかかっちゃったのは本当に申し訳無くて……」
美和が深々と頭を下げると、篠は微かに笑ったような声で言った。
「わかるよ。私にもいるから。そういう友達」
顔を上げた美和は、明らかにほっとした声で言う。
「ありがとうございます。――ただ、私もまだバレーやってるんで、こうやって顔合わせちゃったりする場合も、あるとは思うんですけど……」
「それは仕方無いね。これを口実にまた、とか、私に内緒でとか思ってる?」
「思ってません、思ってません! 颯……楢崎に、そういう気持ち残ってないので! それになんなら私――ええと……」
陽介は雲行きが怪しくなっているのを感じた。体を引っ込めて、万が一にもバレないように息を殺す。
「陽介先輩が……あ、中学の頃からお世話になってた人なんですけど。今、そっちの男バレの部長の……」
「……辻浦君?」
「あ! ご存じなんですね! 私、中一の頃からずっと陽介先輩に憧れてたんですけど、この間会った時に再熱したっていうか……」
(あー……やっぱり……)
陽介は頭を抱えた。
話し声が聞こえた時に、つい隠れてしまったのは、美和からの好意に気付いていたからだ。
陽介には、最近ようやく付き合い始めたばかりの幼馴染みの恋人がいる。
それも割と、すったもんだあった末に追いかけて、なんとか捕まえることの出来た彼女だ。
まだ基板が盤石とは言えないこの時期に、絶対に、波風は立てたくない。
美和の気持ちに応える気は無いため、さりげなく拒否したり、空気を変えたり、距離を取ったりしているのだが――部活で育まれた負けん気と根性で、美和は全く諦める様子が無い。
告白をされてないのも、また痛かった。バレーという狭い人間関係の中で、どうしても横と縦の繋がりがある以上、ただ好意を示されているだけで徹底的に拒絶することも出来ない。
「……辻浦君、彼女いるよ」
「んー。でも、要は付き合い始めた順番ですよね。あの幼馴染みの先輩とは、すぐ別れるかもしれないし。私、バレーもやってますし。陽介先輩には一年の頃から、割と可愛がってもらってたんですよね。ワンチャンあると思いません?」
(うわー……うわーうわー……無い。怖い。絶対みぃに聞かせたくない……)
頼むから止めて欲しい。
陽介の恋人である
(多分、みぃもさすがに、身を引こうとしたりはしないだろうけど――やべ。想像だけで怖い)
付き合う前に、何も知らされず実里にフェードアウトされたことがある陽介としては、不穏分子は死んでも実里に近づけたく無い。
逃げられてもまた追いかけるつもりだが、逃げなくてはならないような状況に、実里を追い込みたく無かった。
今日、他校試合があってるのは女子バスケ部だ。美和はバレー部なので、応援に来ているのだろう。美和がこちらの高校まで来た理由が、応援のためだけでは無いと考えるのは、自意識過剰では無いはずだ。
(出るか――。今聞けたし、断りに行こう)
陽介はゆっくりと腰を上げた。盗み聞きをしたことは謝るとして、相手が口を割ってくれた千載一遇のチャンスを逃してはならない。
しかし陽介が足を踏み出す前に、篠の声が耳に届いた。
「――ごめんね。私、辻浦君の彼女と友達なんだよね」
篠がやらわらかな声で、きっぱりと言った。
美和は少しの間逡巡して、嫌そうな口調で呟く。
「……それ言われると、今回私は分が悪いですね」
陽介は期待に胸を躍らせた。
美和は長谷川の暴言を誠心誠意謝ったが、長谷川が美和の味方をしたことについては肯定的だ。
長谷川の気持ちを肯定する美和は、実里の味方をする篠に、謝罪に来ている立場としては強く言うことが出来ない。わざわざ長谷川の件を謝りにくるような、持て余すほどの正義感がある美和にとって、篠の言葉は大きなブレーキになっただろう。
「わかりました――……陽介先輩は諦めます」
美和が、試合に負けた時のようなむすっとした声を出す。陽介は壁に背を当てる。ずるずると、全身から力が抜けた。
「楢崎も入れておいて」
「わかりました。楢崎と陽介先輩は諦めます」
えーん。と美和が嘘泣きをする。
篠はふふっと笑って、美和の頭を二度撫でた。
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